読書の秋そして食欲の秋
2021/10/17
八十歳を超えると、食欲の秋は無くなったが読書は何時もしているから季節には関係ないと、午後、三井寺の茶房ながら亭に出かけた。別に態々、茶房に出かけて本を読まなくても良いのだが、集中して読むには家ではなく違う空間の方が集中しやすいからだ。買っておいて読まなかった本は少し難解と積んでおく事が多い、13年前に買った、「日本文化における時間と空間」(加藤周一著)を最近読み始めた。少年時代からSFが好きでタイムマシン等は時間の話だからと、題名に時間が付いていると読みたくなるが勉強嫌いだった僕には荷が重すぎると、分からないながらも読み進んでいて、中には、はっとするページもあり知らないことの多さを実感しているのが現状だ。第三章の中では、福沢諭吉が語った、大勢順応主義は今も変わっていない事を記していた。そして1940年戦争に走る軍部に中国政策を批判して衆議院から除名された斎藤隆夫の名前を知った。大勢に流されない人達の名前の殆どは歴史の時間から消されたしまうのかと思うと、空しさを感じるばかりだ。もう直ぐ衆議院選挙が行われるが大勢から外れ正論を語る人にと思うが、候補者がいるのかと考えた。時間の話は面白いから読みつけられると思いながら本を閉じた。そして湖岸へ向かうと琵琶湖は冬の様相を表していた。今年も秋は短く、冬がもう其処に来ているのではと、今の瞬間を切り取るのが写真だと思いながらシャッターを押した。
商業施設へ・・・
2021/10/16
二年前に開業した商業施設のブランチ大津京のモンベルに靴を買いに出かけた。大津旧市街の北方、競輪場跡に出来た商業施設で大津市の公園も併設された広い空間があり平日は空いているが、今日は公園部分は家族連れで賑わっていた。此のような光景を見たのは初めてだ。テントを張ってキャンプ気分を味わっている姿も見られた。遊具も少なく広い空間は自由に利用できるのは良いことだとおもった。スポーツ広場もあり高い建物の商業施設でなく比叡山も見えるから遠出したような気分にもなれるのではとおもった。コロナも一休みで誰もがほっとしたのではとモンベルに入った。目的は履きつぶした靴を買い換えるためにきたのだから、靴コーナーへと、店長のIさんを見つけ今履いている靴と同じものを出してもらった。選ぶのも時間はかからない、サイズも同じの、色違いを買った。新しい靴を履いて、古い靴は処分をお願いした。左股関節はサイボーグで丈夫になったのか左足の太ももは右足よりも筋肉量が多く丈夫だが耐用年数が後、五年くらいではと・・・できたら人生も其れまでには終えたいと思うが寿命だけは如何ともしがたいと右足を見ると少し細く見えた。毎日平均8千歩歩いているから靴は10ヶ月しか持たないと、新しい靴での一歩を始めた。
今日の琵琶湖の夕景は季節の変わり目を知らせているのか、暗く静だった。
青空の日
2021/10/15
雲一つ無い青空を見上げると、無性に飛びたくなるが、翼が無いのが残念だと悔しくなるも進化の過程でホモ・サピエンスは飛ぶことへ、シフト出来なかったのかと、鳥たちが羨ましくなった。今日のような好天は一年間に数日しかない航空写真日和だ。余程チャンスに恵まれないと高度三千メートルから琵琶湖全景を写真に撮ることが出来ないと思いながら石坂線に乗って坂本のKクリニックへ向かった。7週間に一度受ける検診の為だ。今日もK先生から異常なしですよと言われ気分は爽快だ。昼食は鶴喜蕎麦が今日は休日で何時もの喫茶店珈琲人で済ませた。帰路の車内は殆どの人がスマホを見ているが僕は車窓風景が好きなので大津比叡山麓の田園風景を楽しんだ。コロナ感染者も少ない日が続いて道行く人の顔にもゆとりを感じた、マスクで口元は見えないが目の輝きが戻ってきたからだ。今年も秋は短いとの予報がでているが間もなく紅葉シーズンになるが、コロナの第六波が心配だ。帰宅後、自転車で湖岸へ向かった。打出浜から見る琵琶湖は雲一つ無く、湖面も青、空も青、の安定した日常の風景を眺めていても、彼方の若狭原発群が気になってくる、高浜と美浜の老朽化した原発の再稼働は絶対にさせてはならないと思いながら青空を眺めた。
坂本では芙蓉の花が夏を惜しんでいるように咲いていた。
セイダカアワダチソウ
2021/10/14
セイタカアワダチソウは以前に比べ身近な場所で見られなくなった。最初はアレルギーを起こすブタクサと間違えられて気の毒な花だった。セイタカアワダチソウは花粉を飛ばすことがなく、ミツバチらの虫たちによる受粉だから花粉を自ら飛散さすことはないが、ブタクサと同様に外来種だ。今日の午後、柳が崎へと自転車を走らせた。僕の行動半径は自力で走れる自転車か徒歩だから距離は知れたものだ。久しぶりに柳が崎にある市営のイングリッシュガーデンに入った。シルバー料金160円と安いが見どころは殆ど無いのが僕の感想だ。中へ入ると花たちが迎えてくれるが元気がない、花を愛する人達が管理をしていないのは一目瞭然だ。これなら自然のままに放置した方が花や植物たちは元気を取り戻すのではと思いながら写真を撮った。長居は無用とガーデンを出て柳が崎の浜辺へ向かった。先日、訪れた時にはセイタカアワダチソウは咲いていなかったが黄色の花が秋の陽を受け湖岸で存在感を示していた。管理されたガーデンなどで咲く花よりも凛とした佇まいだ。セイタカアワダチソウが勢力を謳歌していたのは僕が大津際川の飛行場で飛行機で飛んでいた頃には2メートル近く背丈もある黄色の花を咲かせたセイタカアワダチソウが至るところで咲いていた事を思い出した。でもブタクサだったのではと・・・でも僕はアレルギー体質なのでブタクサだったら大変なことになっていたのではと思い返すもアレルギー反応を起こした覚えはないから・・・とセイダカアワダチソウだったとおもった。
56年前に買った本を今読む
2021/10/13
本屋に注文した本がまだ届かないので、何か読む本はとカメラ等と一緒に並ぶ本を見ると、「対話 人間の建設」が目に留まった。定価220と帯にあり古い本であることが分かった。発行は昭和40年10月で新潮社の単行本だ。買った記憶は遠に消えているが、其の当時は本は読まなかったが気に留めた本は買っていた。高校生の時に難しい本を薦めた奥村先生の影響だと思い出した。人間の建設は数学者の岡潔氏と批評家の小林秀雄氏の対話を記録した本だ。父親がなくなる前の僕が25歳の時に買った本だが、その時なら読んでも理解も出来ないし読むのも諦めたのではと、読み始めた。二人の知の人が交わす会話の奥深さとさり気なさが素直に心に入ってきた。お二人とも難しい言葉を使わずに今から56年前の、会話当時の日本の有り様を楽しく対話している問題点は今もそのまま通用するから、我が国の政治や暮しは一向に進歩していないと思いながら読んだ。岡氏は数学も情緒が大切と語っていた。批評家小林氏は自然科学は破壊だけと話をしていた。最先端科学も原爆や水爆の様に破壊は凄いのだが建設能力は何も無いと改めておもった。岡氏は今の時代は人類時代ではなく弱肉強食の獣類時代と語っていた。56年間も時が過ぎた今も其の構図は変わっていないと思いながら本を読み終えた。そして読まずにいた本に少し詫たい気持ちになった。

















