本屋事情
2021/08/29
パルコがあった頃は紀伊国屋書店があり本を買うのも便利であった。今はイオンとパルコの後継施設にはツタヤがあるが買いたい本が見つからない、今日も西大津イオンの未来書房へ向かうも読みたい本が無く買わずに帰った。先日、中井書店に注文した本も二週間待たねば手元に届かないと小さな書棚には読もうと思って残して置いた本があり、「ホーキング、宇宙を語る」が目に入った。買った時はホーキング博士は存命中だった。宇宙理論は数式が多く僕には無理と買ったまま本も開かずにいたが、手にとって本を開くと、誰でもが宇宙に親しみを持つようにホーキング博士が著した本だと分かった。序文はカール・セーガン氏が書いていた。私たちの宇宙像から始まる内容は抵抗もなく何時も眺めている雲の世界から宇宙へと飛び出せた。地球を中心にした宇宙観から膨張する宇宙論へと変化したのは1929年にハップルが望遠鏡で宇宙が広がっている事を発見してから大きく宇宙の謎が少し分かりかけたのだから、此れから先も新しい発見が続いて行く楽しみな時代になったと1989年に発刊された30年以上前の本を読み進めることにした。
樹木たちの社会?
2021/08/28
樹木たちも僕らホモ・サピエンスと同じ地球に暮らす生物で、会話もするし移動もすることを、「樹木たちの知られざる生活」(ペーター・ヴォールレーベン著)を今日、読み終えて木々たちの不思議な世界を知った。僕らの生きる時間よりも長く生きられる木を羨ましく感じた。人間が管理した林業らで造られる森と原生林と違いらを知らされると人間の自然観など知れたものとおもった。人類の滅亡した後には樹木たちの時間で見事な原生林が蘇る事は間違いないが、その素晴らしい原生林をホモ・サピエンスは見ることが出来ないのは残念だ。ホモ・サピエンスの産業活動で地球温暖化が進んだ事はたしかだと研究者が発表していた。気候変動が起きても樹木や植物そして菌糸類(微生物)や昆虫らも生き延び、人新世の後の地球が、どのように変化するのかを見てみたい気もするが、ホモ・サピエンスのままでは無理なので樹木に変身できないものかとSFの世界を想像した。
今日の琵琶湖はアオコも消えて透明度が良くなり湖底?まで見えていた。
久しぶりに安心の字を見た。
2021/08/27
朝日新聞の紙面で見つけた。月刊安心新聞プラス(神里達博氏)を読んだ。見出しの書いてあったが、本当に今年の夏は豪雨災害に始まり、世論の反対もある中で五輪開催、そしてコロナデルタ株によるコロナ感染の拡大らと、気分が落ち込むばかりで、何の解決策も見いだせないままでは無力感が募るばかりだ。記事の中では、土木工事によって治山・治水を進める事は大事として・・温暖化や気候変動が今後も激しくなる様では「賽の河原で石を積んでは、鬼に次々と壊される童」のようになってきた。とあり、僕も本当に其のような状態になるのではと不安になった。「モダン」の生き方 棚卸しを、する時ではとして、科学的な態度や基本的人権、物質的な豊かさや清潔な暮し、思想や政治、経済活動の自由、どれもそれ自体はすばらしいことばかりだ。として、いずれも、どこかに「ガタ」が来ている。どのくらい修理が必要なのか、もう諦めなければならないレベルなのか。そこを一つ一つ正確に見極めて、新しい時代に・・・としながら最後はコロナ禍に伴うロックダウンで排ガスが減り空が美しくなった、ことに触れて、少し明るさ感じさせ、結んでいた。久しぶりに安心という字を見て少し心が和らんだ。
写真二枚目はフイルム写真です。車窓風景は京阪石坂線の比叡山麓です。
緊急事態宣言
2021/08/26
滋賀県も明日から緊急事態宣言が始まるが効果が出るまでには時間が掛かりそうだ。過去の緊急事態宣言でも然程、効果があったのか?と振り返った。名称だけは緊急事態宣言だが、一年以上も続くコロナ禍の暮しに馴れたのか自分の緊張感も少し緩んでいるのではとおもった。手洗いも続けている、アルコール消毒もこまめにしている京都や大坂へも長く出たことはないし、もちろん居酒屋へ向かうことも無くなった、最近の暮しを振り返り、これ以上に何をするのかとおもった。テレビから流れてくる不要不急で必要のない外出を控えるようにと伝えているが、年金爺は一日の行動が不要不急が基本の行動での一日だ。家に閉じこもることは病気になったと同じではと、明日からも不要不急の散歩は続けようとおもった。もちろん湖岸ポタリングも・・・三密になる場所は無いから・・・・
書評で本を買う
2021/08/25
僕は新聞の書評欄を読んで本を買い求める事が多い、今回は「超空気支配社会」(辻田真佐憲著)を何時もの中井書店で取り寄せた。タイムリーな話題も多く楽しく読み始めた。第一章では五輪とコロナを取り上げ、ふたつの同調圧力に抗って、では1964年の東京オリンピックは多くの国民は無関心だった、ことに触れていた。政治家たちが過去のオリンピックを神格化して語ることに対して、64年の神格化されたオリンピックのイメージは解体されなければなるまいと結んでいた。今回のオリンピックも国民の多数は無関心だったのではとおもった。コロナ問題も過去100年前の感染症騒ぎにも触れていた。読んでみると100年前も今も社会の行動はあまり変わらず、学習能力のないホモ・サピエンスの行動を嘆くより他になかった。我が国の世論は空気の流れの様で確かな考えや論理が無く簡単に社会変革が起こる怖さを感じた。そして僕も簡単に空気に流され政権批判しているが、内容が余りにも稚拙な事に気づき恥ずかしくなった。安倍や菅を見かけの良し悪しで判断するのではなく本人の資質や行動、業績?を総合的に判断してから内容ある批判をしなければ只の烏合の衆の叫びでは意味がないとおもった。言動を慎みながら重く深く考える事は容易いことではないと自分に言い聞かせた。
昨日、浜大津港で見かけたアオコは拡散して、姿は無かった。

















