中島省三の湖畔通信

百人一首

2022/04/04

昨日、友人と言っても大先輩で、今闘病中のOさん・・Oさんに変わって奥様(書家)の代筆での手紙を頂いた。和紙に書かれた美しい毛筆の手紙を読むのは初めてだ。以前、友人の装丁家Yさんが巻紙に手紙を書いている姿を見た事と時代劇のシーンでしか毛筆の巻紙に書かれる光景を思いだす、ぐらいが僕の浅はかな知識だ。手紙を広げるも、読めない?と少し戸惑いを感じた。ひらかなに漢字が交じる美しい文字に感心するも読むことが難しかったが最後に百人一首と書かれていたが百人一首の「かるた」など60年前に彦根の従兄の家で遊んでから耳にも目にも触れていない百人一首の歌詞など浮かぶ筈がないと諦め手紙の本文を読んだ、綺麗な文字で分かりやすく書かれた毛筆の文字は難なく読めた。手紙の内容はベッドの生活の中で僕が時々送る、写真ハガキの湖畔通信に対するお礼の手紙だった。手紙は読み終えたが百人一首がと頭を巡らせ、パソコンで百人一首を検索した。手がかりは、最初の、いにしえの、と読めなくもない字と八重の文字が入っている歌を探すと、見つかった。いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 伊勢大輔の歌である事が分かった。そして改めて、手紙を広げて、百人一首の書かれた綺麗な和紙に書かれた歌詞を読むと、僕の経験したことのない世界の難しさと楽しさが感じられた。そして便利なパソコンに改めて感謝した。何時も何かと便利な時代を批判している自分が恥ずかしくなった。

写真二枚目はフイルムで撮影した写真です。同じ場所で同じ時間に撮ったデジカメと比べると、僕の選ぶのはフイルムの方だった。空気感が違うからだ。ただそれだけ・・・・

火星移住?

2022/04/03

今朝、新聞を読もうと朝刊を探すとカラー刷りの朝日新聞、グローブが目に留まった。朝刊はカラー刷りのグローブに挟まれていた。本誌よりも脇役(グローブ)が主役に変わったのかと新聞の未来を垣間見た気分だ。火星移住の文字に誘われ一応読んだ。赤い土に覆われた大地は火星?最終的に何百万人の人を火星に送り、そこから他の星を目指す遠大な計画を読んでいると、以前に見た映画「メランコリア」2011年(ラース・フォン・トリア監督135分)を思い出した。映画は巨大惑星が地球に接近、最後は衝突へと向かう過程での人間の心理や行動を描いた映画は映像も素晴らしく僕の好きな映画だった。今日もパソコンで「メランコリア」の情報を見た。大方は僕の記憶と変わらなかった。ただ最後に女性が語った言葉が、蘇った、「地球は邪悪よ消えても嘆く必要はないわよ」・・そのご三角形の形をしたパワースポットに入り衝突を待つシーンが印象的だった。地球外へ人類の存続を求めて止まない人類の浅はかな夢など、惑星の衝突で消えてしまっても宇宙から見れば大した事でもないとおもった。寧ろ映画「メランコリア」のように清く僕は惑星の衝突を待ちたいと思う方だ。

写真でお花見

2022/04/02

写真を多く撮ったので写真だけでもと・・・長等公園は本当に静だ、少年時代はお花見と言えば長等公園だった。大人たち夜遅くまで桜の下でボンボリの仄かな灯り照らされた中で酒宴を繰り広げていた頃の賑わいは何処へ消えてしまったのかと存在感のある桜木に訪ねたいとおもった。膳所公園は膳所城址で、新しく造られた塀と堀が昔、お城だった事を思い起こさせてくれた。におの浜のソメイヨシノも見頃となり、車を止めた、僕は有名な海津の桜を見にゆくことが無くなったが湖岸で見る桜で充分満足できた。

オーバーツーリズム

2022/04/02

我が家の横を走る県道は桜のシーズンは通行量が多くなるのは桜の名所三井寺へ向かう車が多くなるからだ。通称大門通も朝から交通渋滞が起きているのは三井寺の駐車場へ入る車が多すぎて、時間が掛かるためだ。京都嵐山のオーバーツーリズムでの混雑ぶりが思い出された。問題は県道が狭く普通車でも離合が困難な場所も在るからだ。大津市の都市計画の中でも道路整備は遅れているとおもった。今日は近くの鹿関橋も朝から桜見物の人を多く見かけた。三井寺の境内も行き交う人の賑わいはコロナ以前の観光シーズンを彷彿させた。僕は混雑を避け、過去の桜の名所長等公園へ向かった。胡坐やムシロを敷いて、お花見をする姿もなく静な佇まいだ。良く見ると数人の人を見かけるが昔の賑わいを知る僕は余りにも寂れた公園を見ていると少子化で人口の減った未来の大津を見ている様で寂しくなった。午後は膳所公園へ出かけた。此方は家族連れが健康的な、お花見を楽しんでいた。少し露店?バザー?のお店も並んでいた。見かける人たちは皆マスクをしていた。コロナ三年目となった今年もコロナは人間社会に影を落としたままでは困ると、早くマスク無しの日常に早く戻って欲しいものだ。

桜名所叙景

2022/04/01

僕が叙景という言葉を知ったのは佐藤泰志の小説「海炭市叙景」を読んでからだ。自然の風景を詩文に表すことと辞書にあるが、観たままの風景ともあった?字のカッコよさもあり単細胞の僕は簡単に使ってしまうからと反省しながらも今日も使ってしまった。近くの桜の名所、疎水と三井寺も朝から賑わっていた。桜は五分咲きで少し寒さもあり後十日間は楽しめそうだ。マスク姿のお花見シーズンも三年目に入った。コロナウイルスは一向に衰える事無く人間社会で市民権を得たのではと、マスク姿の観光客を見た。今日は春の嵐?いや湖国では比良の八講荒れじまいの様相を示す琵琶湖の眺めは、波にも迫力があり湖岸に打ち寄せ波しぶきが上がる様は海を見ているようだ。以前、風が強く吹くと海よりも湖の方が荒れると聞いたことを思い出した。次から次へと打ち寄せる波は海の波よりも間隔が狭く、忙しい波の風景を見ていると琵琶湖が怒っているのではと思った。波に急き立てられ湖岸を後にした。午後は皇子山球技場横の桜を見に行った。道路脇で排気ガスの影響を受けて、少し弱ってきたのではと少し元気のない桜木を眺めた。ソメイヨシノは60年が寿命と聞いている、疎水堰堤のソメイヨシノも近年植え替えが進んでいるところだ。夕食後、ライトアップの写真を撮りに出かけた。家から歩いて三分と掛からないから毎年、撮っていて珍しくもないが、空の青さが残る頃がライトアップされた桜の雰囲気が出るまで撮り続けた。フイルム時代では考えられないほどシャッターを切った。鹿関橋から眺めるライトアップも半世紀の歴史があるのかと記憶を辿ると懐かしいボンボリに照らされた夜桜で賑わっていた、長等公園の夜桜を思い出してくると、便利になった時代の明るすぎるライトアップの桜見物は風情が感じられないとおもった。そして便利さと引き換えに多くの大切なモノを失ったとのではと暗い夜空を見上げた。

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