琵琶湖叙景
2021/12/22おりにでかけた
何時もタイトルに困ると叙景を多用する、何も見たままと書けば良いのだが、叙景を使うのが好きだ。午前中の琵琶湖は水分を多く含んだ空気の所為で神秘的な雰囲気の写真が撮れた。水位も少し回復してきて嬉しくなった。透明度は先日、マイアミ浜で見た北湖の水の様な透明感はないと、少し濁った湖面を見た。浜大津港のユリカモメも以前ほど人に近づかなくなったのは何故と辺りを見渡すと人影もなく、餌のパン屑を与える人がいないのも原因の一つではと思った。午後は柳が崎の元水泳場に出かけた。8月の豪雨災害で堆積した柳川の砂は浜辺に敷かれ以前の砂浜よりボリュウムを増して見事な砂浜になっていた。水泳場が復活すればと、後ろを向くと高層集合住宅が立ち並ぶ姿を見て水泳場の復活は無理とおもった。帰り道、ブランチ大津京のユニクロに寄ってヒートテックの下着を見ている時に店員さんに耐用年数はと聞くと一年と答えられてライフサイクルの短さに驚いた。そう言えばヒートテックの下着は二年も着れば伸びてしまいMがLに変化してしまった事を思い出した。ライフサイクルが短いとゴミが増えるばかりではと心配になってきた。アウトドアースポーツで使用した下着は3年以上も使用できたが値段は高かった、こと思い出した。最近はヒートテックを使用しているが、やはり環境の事を考えると高くてもスポーツ用品メーカーの物を使うべきかと考えた。夕方近く湖岸へ自転車で写真を撮りに出かけた。浜大津港から少し離れた湖岸から夕暮れの琵琶湖見ていると、風も強く、波も高くなり、温度もさがり急激に寒くり、これ以上撮影は無理と止めた。これからは登山用の防寒具を着用しないと寒さに耐えられないと湖岸から退散した。
師走叙景
2021/12/21
湖岸ポタリングで毎日通る浜大津港の観光船乗り場も師走に入り人影も少なくなった。クリスマスパーティーなる言葉を耳にすることも無くなった。大津一の歓楽街だった柴屋町通りも今ではバーやスナックの看板もほんの僅かとなリ昔の賑わいを知るものには寂しい限りだ。師走を感じる商店街の売出しも見かけなくなったのはコロナの影響だけではないと感じながら商店街を自転車で通った。歳末売り出しは師走の風物詩だった懐かしい昭和の時代も記憶の彼方へと消えるのかと人通りのない商店街を写真に撮ると賑わっていた頃の商店街の風景が僕の脳裏に浮かんできた。ふと立ち留まるとタングステン電球が灯る魚屋さんが目に入った。夕方近くで商品も少なくなった店内を写真に撮らせてもらった。以前は水槽があり活魚が泳いでいたのは何年前と記憶を辿ると三十年も前と分かった。郊外に大型スーパーや大手が経営するモール街らが出来た現代、何処の地方都市も旧商店街は衰退への道を辿った。「資本主義」の臨界点が過ぎたと言われているが、次なる時代が来た時に商店街は復活するのだろうかと考えながら帰った。
久しぶりの北湖
2021/12/20
午前中の湖岸ポタリングでは浜大津港でユリカモメの整列している姿をデジカメで撮った。やっと長旅の疲れもとれたのかホモ・サピエンスとのコミュニケーションをとる気になったのかと暫しユリカモメの様子を眺めた。午後は友人の陶芸家Oさん作品撮影で琵琶湖の野洲市マイアミ浜へ出かけた。本当は明日の予定だったが、昼食後、のんびりとしていると、Oさんが車でやってきた。でも僕も今日は、天気も良く、青空だけでなく雲も美しく浜辺で作品を撮るには良いとおもっていたから・・・慌ててデジカメとフイルムカメラをカバンに詰め込み、Oさんの車でマイアミ浜を目指した。琵琶湖大橋を渡るのも久しぶりだ。オートキャンピング場もシーズンオフで辺りは人影もなく静だ。マイアミ浜に打ち寄せる小さな波が心地よいリズムを刻んでいた。車から大きな陶器の作品をOさん夫妻が砂浜まで運んだ。心配した太陽光も冬の優しい斜光が上手く作品にあたり、苦労せずに撮影できた。僕は技術もないから自然光線が何時も味方になってくれるのを待つだけだ。Oさんの作品は琵琶湖の砂浜で水と空そして雲を入れて撮るのが一番と考えているから・・・本当に自然の気象条件が合わなければ撮影できないからと今日の、お天気に感謝した、そして琵琶湖にも感謝・・何時も僕が写真を撮っている浜大津近辺から見ている琵琶湖は南湖で北湖とは12:1で圧倒的に北湖が大きい、久しぶりに太湖の大きさを感じながら楽しく撮影できた。でも少し失敗談も折角持ち出したフイルムカメラは初歩的ミスをしてしまった。基本が如何に大切かと肝に銘じて反省する日となった。そしてOさんが日を間違えたのも良い結果になったからとデジタルカメラの画像を確認すると良く撮れていて安心した。
カラマーゾフの兄弟 1 を読み終えて・・
2021/12/19
カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)の第一部を読み終えた。意外と読みやすく感じたのは亀山郁夫氏の翻訳が良いからだとおもった。もっと暗くて重くジメジメした小説とおもっていたら、身勝手に生きるカラマーゾフ一族の物語は楽しく読み続けられそうだ。周囲の迷惑を顧みず赤裸々に生きるカラマーゾフのフョードル(父)は自分の父親なら許しておけないと思った、そして愚か者だが少し愛嬌と哀切をかんじる人物を読んでいる内に少し許せるようになった。第一部はフョードル(父)が主人公ではと感じるくらい迫力が在った。長男ドミートリーも父親の血を引く無頼漢ながら、何故か魅力を感じるのは、退廃的でもあり野獣的にも見えるからだ。次男イワンは無神論者で現実主義でインテリで現代にも通じるものを感じた。でも第一部では僕には余り目立たなかった存在だ。三男アリョーシャは優しく、誰にでも愛される修道院に暮らす青年は此の物語の、主人公と聞いていたが、第一部では父親と長男に圧倒されて僕には印象は薄く、フョードル(父)が無頼と道化の合間に社会の不条理を語るシーンには頷いた。身勝手な無頼漢のフョードルが小説を面白く楽しくしているとおもった。小説はやはり善人が主役では面白くないのかと思った。まだ読み終えるのは随分と先になるが最後まで読めると、第二部を読み始めた。
浜大津港の突堤を見ると水位が少し回復しているのが分かった。
初雪・・・ユリカモメ乱舞・・・
2021/12/18
朝、FBを見るとBEN BENさんが三井寺の雪景色をアップしていた。朝食を済ませて、初雪を撮りに三井寺へ出かけるも、木々に積もった雪は溶け落ちていた。展望台まで行くと雪は少し残っていた。デジカメを出して雪景色を撮った。今でも雪を見るとスキーに行きたくなるが左股関節がサイボーグではと諦めた。比叡も薄っすらと雪化粧をしていた。湖岸ポタリングで走る湖岸からは琵琶湖大橋以北は雪雲に覆われていた。湖面にはオオバンやカモの姿は見えるもののユリカモメの姿は見かけなかった。先日、沖合でユリカモメらしい群を見ていたから、例年の様に浜大津港の手摺に溜っているのではと期待してデジイチまで持ち出したのにと少し落胆した。そして膳所公園の入江に掛かる橋を目指した。此の橋の付近ではパン屑を与える人を目当てに欄干に整列している時もあるからだ。着いて見るとユリカモメの姿は無かった。先日来、沖合で確認した群れは何処へ消えたのかと思いながら強い向かい風の中を自転車を漕ぎ浜大津へ帰って来て、何気なく湖面を見るとユリカモメの群れが見えたので、直ぐに自転車を止めた。カメラを構える間もなくユリカモメが飛び立ったが上手くファインダーの中で捉えて連写できた。急に飛び立ったのはカメラが銃に見えたのかもしれないと考えた。例年通りなら湖岸の手摺や橋の欄干で整列している姿が見られるのだが、今年は何故と・・・ユリカモメの心境に変化が起きたのか、それとも水位低下で琵琶湖に異変が起きているのか・・カムチャッカでの暮しの中で何か事件が在ったのかとユリカモメたちを心配した。

















