写真集
2022/03/26
今日は雨、何時もの散歩で訪れた三井寺の桜も咲いていなかった。訪れる観光客も少なく閑散とした境内を歩いた。湖岸ポタリングは雨の止んでいる短い時間で済ませた。夕方、福家さんから写真集の初稿が出来上がったので来るようにと連絡を受け、三井寺の事務所へ向かった。82歳になった今年に僕の写真集を出版していただく事となった。僕が湖畔通信として福家さん宛に出していた、写真ハガキ版が随分と溜まり何時か本に出来たらと以前から言われていたが、正かこんなに早く出版していただくとは考えていなかったから、久しぶりの快挙と嬉しくなった。事務所で福家さんと出版社の方二人と僕を入れて四人で初稿を見ながら完成目指して話が進んだ。写真集は福家さん宛に出した写真ハガキからデータ化したものを使用する写真集は楽しいモノになると思った。僕の拙い写真と小学生時代よりも劣った字で書かれたハガキの文面も同時に使用されるから少し気恥ずかしさも感じたが、僕の字は上達しないのが僕の字と諦めた。出版に関しては福家さんを初め出版社の編集の方の力と感謝しながら話し合いを終えた。僕の拙い写真と文書で構成される写真集の完成予定は5月だと聞いた。改めて自分の力でなし得ることが出来ない事の多さを自覚した。そして最近ではカメラまで提供してくれる友人にも恵まれ写真を撮り続けられる事にも感謝した。
桜の種類
2022/03/25
早咲きの桜が次々と咲き、一足早いお花見を楽しめるのも近くに色んな桜が在るからだ。パソコンで調べると桜の種類は600種類以上あり、11種の基本野生種、自然交配で100種類も在ることを知った。近くの尼寺遊心庵の門前に咲くジュウガツザクラは9月、お彼岸頃から咲き始め11月の最盛期には多くの花を咲かせ楽しませてくる、僕は最初は彼岸桜とおもっていたが、花は少ないながらも4月の桜シーズンまでも花を咲かせ存在感を示す清楚な桜花を今日もデジカメで撮った。大津では膳所由美浜の河津桜が一番に咲き始めると、時を同じくして皇子が丘公園のハツミヨザクラが、そして疎水の傍らのO邸のオカメザクラも続いて咲くと春本番になる、明日は26日、琵琶湖の恒例の行事比良の八講が行われる、言い伝え通り比良の八講荒れじまいとなりそうだ。今日から三井寺の春のライトアップが始まったが桜(ソメイヨシノ)はまだ開花していず寂しいオープニングとなった。三井寺はソメイヨシノが主体で山桜やエドヒガンらが少ないのが残念だ。ソメイヨシノが咲き始めると打出浜のオオシマザクラも咲き始め湖国は一気に桜の園へと・・・
新聞から学ぶ・・
2022/03/24
久しぶりに新聞からの・・・今朝の朝刊(朝日)の耕論では、批判される「権力批判」と題して三人の方が意見を語っていた。両角達平さん(若者政策研究者)は、変わらぬなら波風立てず、では権力の批判や意見を言わない若者の現状と、外国での若者の発信力らを例に上げ、批判する大切さを語っていた。様々な指摘こそ社会の礎と題して、富永京子さん(社会学者)は若者の遠慮しがちな行動と周りを気にする事らと中年世代の政治への諦めらを、最後を、日本人の多くは「政治に意見を言っても意味がない」と思い込んでる。そんな必要はないと私は思います。と締めていた。松本ヒロさん(コメディアン)は、空気読み政権のポチ、と題してメディアが政権に擦り寄り過ぎている事を語り、最後に、今の政治はおかしいと思う人は少なくありません。勇気をもって声を上げる人がいれば世の中、動きます。それが民主主義の世の中ですと結んでいた。そして少年時代、江戸時代末期に生まれた祖母が僕が父親に叱られた後、悔しがっていると、祖母が何時も僕に、長いものには巻かれろ、と言っていた事を思い出したが、僕は生来天邪鬼で逆らうのが当たり前と思っていたから家での絶対権力者の父には怒られてばかりだった。長いモノに巻かれろ、や変わらぬなら波風たてずも、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和の今も続いている日本人の悪しき習慣ではとおもった。個人が言いたいことを政府にぶつけていかないと何時まで待っても民主主義国家にはならないとおもった。
ウクライナの戦火を見て・・・
2022/03/23
連日、テレビが映し出すウクライナの戦火の中、逃げ惑う市民の姿や瓦礫と化した街の姿を見ているが、テレビの画面の中で感じる戦争は遠く離れた場所であり実感することは出来ない、ただ無事を祈るだけだ。そして戦争体験と言っても77年前の太平洋戦争時、僕は五歳だった。記憶にあるのは空襲を知らせるサイレンの警報音と母に連れられて三井寺に在った防空壕に避難した時の土臭い湿気った防空壕、と昼間、高度一万メートル以上を飛行するB29の編隊が銀色の機体を輝かせ悠々と青空を行くさまを見たぐらいで、空襲で逃げ惑う事もなく終戦を向かえ、空襲の修羅場の経験もなく戦争は終わった。だから本当の空襲の怖さは分かっていない、テレビから流れてくる戦争はイラク戦争の時にリアルタイムで放送されたのが始まりで、戦争ゲームを見ているような錯覚を受けた。その後もテレビが伝える戦争は此処ではなく彼処で起こっている戦争として唯テレビを見ている毎日だ。いくらテレビに向かって戦争反対と言っても空しいだけだ。そして一番注意しなければと思うのは我が国が世界情勢の混乱に乗じて核武装をすることなど在ってはならないと考えた。
三枚目写真はフイルム写真で4日前に撮ったものです。
全身小説家・・・
2022/03/22
雨の日の読書は進む・・昨日から読み始めた「苦役列車」(西村賢太)は短い小説で読み終え、同じ文庫本に記されている「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を三井寺の茶房ながら亭で読んだ。私小説はと・・少し敬遠したが西村賢太氏の「どうで死ぬ身の一踊り」と「苦役列車」を読み終えた時に正直、好んで読む小説でもないとおもったが、読んでいるうちに小説家の置かれている困難な状況が浮き上がり作家の暮らす生活環境の臭いまでが文章の中から湧いて出てくる錯覚を覚えた。見たくもない作家の赤裸々な姿を見せられると引いてしまうほど、リアリティーに描かれる小説は凄いなと思った。そして数十年前に見た映画「全身小説家」原一男監督のドキュメンタリーで描かれた小説家井上光晴の映画を思い出した。見た内容は記憶の外へ消えたが、小説家の五年間の記録映画は今見れば違う形で深く見られたのではと思った。そして「落ちぶれた袖に涙のふりかかる」を読み終えた時、小説家が苦悶しながら生きる姿を垣間見せられ、小説の生まれる環境は、生優しさのない非情な世界の中で、小説を書ける作家は凄いと思った。そして僕が経験した事のない世界を描いた、小説家西村賢太氏の小説を読んで良かったと思った。

















