ビニール傘の効用(紅葉)?
2021/12/07
毎日の散歩は嵐や雷雨以外は出かける、もちろん今日も雨の中、三井寺へ向かった。鹿関橋から疎水を見ると水の流れは無かった。恒例の清掃作業のためだ。総門を潜り収納所を顔パス?で通過できるのも僕が所持している参拝券の期限は2100年で、僕は150歳だ。石段には紅葉が雨に濡れ滑りやすく注意しながら上がった。展望台から琵琶湖雨情を楽しんだ。そして琵琶湖には恵みの雨になればと展望台を後にした。境内の紅葉は雨に映え妖しい美しさを見せてくれた。村雲橋でビニール傘越しに木々を見上げると透明の傘に落ち葉が、お洒落な傘にしてくれた。僕が作為的に落ち葉を付けたら、こんなに美しくは、ならないと翳した傘を眺め感心した。少し雨脚が強くなった。雨粒がビニール傘を打つ音と林の中から聞こえてくる鳥たちの鳴き声が上手く合っているようにおもった瞬間、何故か違和感を感じた。少年時代に指した番傘に当たる雨音を思い出したからだ、和紙と柿渋そして竹と全て自然な材料で造られた和傘から聞こえる雨音はビニール傘とは比べ物にならない、良い音だったことをおもいだした。普段から環境問題をうるさく言っている自分がライフサイクルの短いビニール傘を使い、透明な傘に乗った落ち葉を愛でている、めでたい奴だと少し恥ずかしくなった、雨の散歩だった。
沈水植物?
2021/12/06
沈水植物の言葉を目にしたのは朝日新聞の滋賀版に掲載される琵琶湖博物館研究だより、で知ったのが初めてだ。一般的には藻の事だ、何だと通り過ぎてしまえば其れまでだが、2000年代に入り沈水植物が過剰に繁茂した理由は水位の低下と関係?のキャプションが気になり読んだ。記事は琵琶湖博物館の総括学芸員 芳賀裕樹氏が南湖の沈水植物として四回に別けて紙面に載せた、今日が最終回だ。記事の中で透明度は1936年に京大の山口久直さんが観測した南湖の平均透明度2・6メートルは、現代とほぼ同じでした。従って可能性のあるのは琵琶湖の水位低下です。そして昔に比べると水位が低い期間が長くなっているのは京阪神の水需要の拡大に応えるためです。と記事に・・・そして最後に、研究の結果次第では琵琶湖の水を1450万人が利用していることが、沈水植物の過剰繁茂の原因ということになるかも知れませんと結んでいた。渇水の原因にも人間の生活が影響しているのかとおもうと水利用も考えねばと思った。そして1450万人が命の水としている琵琶湖が、もし若狭の高浜、美浜の老朽原発が事故を起こせば1450万人の命が危うくなる前に老朽原発の運転を止めなければならない事も重要だと考えた。今日の湖岸ポタリングで湖岸に佇んで彼方の原発群の危険性を心配した。今日は風がないが、若狭から強い風なら一時間も掛からずに、もし事故があれば放射能雲が琵琶湖を覆ってしまうと近畿は全滅だ。と想像すると怖くなってきた。
飛行機野郎が書いた本
2021/12/05
僕が今、読んでいる本「風に賭ける」と「カナキンとプロペラ」は飛行機野郎が書いた本だ。風に賭けるはアラスカのブッシュパイロットと言うより山岳飛行士ドン・シェルドンの実話だ。作者もパイロットだから航空用語が多用されていて時々、操縦している錯覚を覚える時もあり楽しく読み進んでいる、飛行機がコンピュターなどに支配されない人間の技量で思うように飛べた時代の物語は僕が飛行機操縦に夢中になっていた頃も同じだったから親しみを感じながら物語に中に入って行けた。そして「カナキンとプロペラ」著者栗原生死は同じ飛行機野郎で僕が大津際川飛行場で飛んでいた頃、栗原氏は大利根飛行場で飛んでいた。そして嬉しくなるのは飛行機の共通点が多く、ドン・シェルドンの操縦するパイパースーパーカブPA18で羽布張りの飛行機だ。そして栗原生死が愛する飛行機はエアロンカ7ACでこれも羽布張りの二人乗りの小型機だ。僕もスーパーカブPA18 を操縦していた。時代はドン・シェルドンはアラスカで僕よりも早く時代が少し違うが、僕は栗原生死さんとは同じ時代だが、歳が僕よりも12歳上だ。自家用操縦士には僕が先に合格しているが飛行機野郎としては先輩だ。凄いのは文章で、上手さは卓越していて航空界の文芸賞もらっているのが「カナキンとプロペラ」だ。今日も「カナキンとプロペラ」を読むと誌の様な文章に飛行機の風を感じながら読んだ。残念なのは、栗原さんは天国に行ってしまった。飛行機野郎の間では月曜日の男と言われて関東方面では有名だった。仕事が床屋で月曜日が休日で此の日だけが大利根飛行場に行けるからだ。剥き出しフランスパンを三本、リュックに突き出したまま飛行場へ出かける姿を僕も見たことがある、僕も大利根飛行場に向かう時に偶然に見かけたからだ。そして「カナキンとプロペラ」には栗原生死の直筆で大利根の鬼から大津の鬼、中島省三・・・と記した本は今も大切にしている、そして最後のページには松岡正剛氏が後書きを載せている本は1979年に発行された。
初冬の叙景
2021/12/04
初冬の湖岸ポタリングは北西風も弱く風に悩まされずに済んだ。まだユリカモメの姿は見えない湖面を眺め、カムチャッカをテイクオフしたのではと北の空にユリカモメの姿を探した。水鳥も分散したのか大群の姿は今日は見られなかった。やはり気になるのは琵琶湖の水位だと湖面の高さが一目で分かる浜大津港の突堤を見ると異常渇水になるのではと心配になった。帰路、大津の商店街へ進むと百円商店街が久しぶりに開かれていたが僕が訪れた時は人は疎らで以前の賑わいは感じられなかった。やはりコロナが完全に終息しなければ日常は戻らないとおもった。午後、伊坂幸太郎の「フーガとユーガ」を読み終えて気づくと4時半を回っていた。窓を見ると雲に少しの赤みが残っていた。琵琶湖が招いていると急いで自転車に乗って湖岸へ向かった。少し遅かったが琵琶湖の神秘的な夕景を見ると心が鎮まった。唯 淡々と過ぎゆく時間が愛おしく感じる暇な日が良いと思った。
近江ARS?
2021/12/03
今日は忙しい日となった。午前中は坂本のKクリニックへ検診に出かけるのは、何時もなら京阪石坂線で向かうのだが今日は湖西線JRで向かった。車窓風景は高架を走るから琵琶湖の眺めは良好だ。帰路も湖西線に乗った、車窓から僕が撮りたい場所があり早くからカメラを構えて狙うのは大津際川飛行場のランドマークの毎日牛乳の大きな牛乳瓶を撮るためだ。その大きな牛乳瓶は飛行場が無くなった今も存在感を示していた。そして今日の午後、びわ湖ホール大ホールで近江ARS「染め替えて近江大事」と銘打って滋賀県の文化等をもっと世界に発信しようと情報編集者の松岡正剛氏と三井寺の福家長吏とが共同提案者として新しく出発する集いが今日、開かれた。其の行事に参加するために今日は湖岸ポタリングもお休みにした。大ホールは取材した事も在ったが長吏就任の祝賀の第二部で友人美術作家Oさん達と舞台に上がって少し話す事になったのは福家さんの友人でもある僕が堅苦しい挨拶が続くからほぐし役で選ばれた次第だ。舞台の上から客席を眺めながら超短時間でスピーチを難なく済ませた。そして始まる前に松岡正剛さんと少しお話できた。そして飛行機の話題に、利根川大利根飛行場で活躍していた飛行機エアロンカの話ら、そして今は亡き栗原生死さんの話まで進んだ。松岡さんも飛行機野郎だったのかと嬉しくなった。これも大きな牛乳瓶のお陰だと思った。

















