コロナワクチン
2021/06/25
テレビから流れて来るニュースはコロナワクチンとオリンピックの事ばかりだ。テレビは無くても生活には支障がないと今日も夕食後、テレビを点けて直ぐ消して、湖岸ポタリングに出かけた。台風が日本近海にあり、不安定なお天気が続いている、今日も夕刻近くに夕立があった。雨上がりの湖岸は涼しく肌寒いくらいだ。人影も少なく寂しい佇まいがコロナ禍の現状を感じさせてくれた。僕もワクチンの二回目の接種を終えてもマスク生活を続けているのも信頼性がイマイチと判断したからだ。そして暑い夏が来てもマスクは放せないのかと、琵琶湖を見て深呼吸しようとマスクを外した。
森の声
2021/06/24
今、読んでいる本「樹木たちの知られざる世界」(ペーター・ヴォールレーベン)の中で語られる木々たちの話を興味深く読み進んでいる、植物界の素晴らしい循環機能に驚くばかりだ。木の話だけでなく土の中の菌糸類や昆虫そして動物が関係し合って作り出す自然の無駄のない暮しには感心するばかりだ。弱った木は隣の木が助けている事や木の根のコミュニュケーションらの話を読んでいると本当に木々達は会話しているのではと思った。そして僕は遠に植物が水を吸い上げる仕組みは解明されていると思っていいたら毛官現象で説明できるのは十メートル位の高さまでで三十メートルもある大木の上まで水が行き渡ることは未だに解明で出来ていないと知って驚いた。土の中、地中でおこなわれている生物の活動らの話には感心するばかりだ。本を読んで木々たちの偉大さを知ると朝の三井寺の散歩でも見上げる木々に畏敬の念を表すしかなかった。それに比べて我らホモ・サピエンスの世界、とくに我が国では循環系統の完成していない原子力発電を進めている、そして危険と言われている老朽原発の美浜原電第三号機を再稼動した。日本での原発は当初から便所の無いマンションと言われ、後始末の出来ない代物だった。その古い原発を再稼働する我が国の現状は廃墟へ向っているのではと考えると何もかも虚しくなるばかりだ。
みるく世
2021/06/23
みるく世は、沖縄の言葉で平和な世だという事を今日、知った。6月23日は沖縄慰霊の日だ、戦後76年の時が流れたが今も基地問題らで大変な状況は続いたままだ。式典で、平和の詩の朗読で今年、選ばれたのは宮古島中学二年生の上原美春(13)さんが目を逸らさずに自分の作品、「みるく世の詩」を透き通る声で朗読した。毎年、平和の詩を朗読する少女の声が記憶に残っている、今年も素晴らしく心の中に重く記憶された。今日の朝日新聞(夕刊)の第一面に詩か全文紹介されていて誰でも読むことができる、題名の、うた、の漢字が紙面と違うのは僕のパソコンでは探し出せなかったから詩にすることに・・・上原美春さんの詩は、今、私たちの中にある 暗黒の過去を溶かすことなく あの過ちに再び身を投じることなく 繋ぎ続けたい みるく世を創るのはここにいるわたし達だ。と結んでいた。僕は此の詩の朗読中継を聞き終えると直ぐにテレビを消した。深く心に記憶するために・・・・
今日、三井寺の観音堂では沖縄戦没者慰霊の法要が行われた。
花の名前
2021/06/22
花の名前を知るには以前なら知っている人に聞くか、植物図鑑で見るのが普通だった。最近ではデジカメで花を撮った後にスマホのグウグルレンズを花に向けると幾つかの候補まで画面に表してくれるから便利だ。過度な便利さを批判しながら文明の機器を数多く取り入れた生活をしている僕は苦笑いで誤魔化し、今日も便利な写真機デジカメで花を撮った。浜大津港の公園ではアガパンサスが咲き始めた。青い大きな花は、青空にも、そして雨の日にも似合う花だと僕は思った。辺りには合歓の木も花を咲かせていた。少し高いところで咲く花は遠くからでは目立たない、赤い花は浮遊感があり、色合いも淡く、優しく咲いているのを見落として去年は撮れなかったが今年は優雅な花を写真に撮れ嬉しく感じた。そして今日、初めてタイサンボクの花を発見した?そんな発見などと大げさな事だが何十年も湖岸ポタリングで通っているのに気付かなかった事を詫ながら白い大きな花を写真に撮った。タイサンボクと分かったのはグウグルレンズのお陰だ。庭木に多く使用される木だとも知った。浜大津港公園のタイサンボクの木は発育途中の青年ぐらいの木で葉が多く活力を感じるが大きな花は一輪しか咲いていなかった。そして白い大きな花をパソコンにアップする時にタイサンボクの花の美しさを改めて感じた。
琵琶湖夕景
2021/06/21
琵琶湖の夕景写真は誰が撮っても美しい写真になる、以前から良く言われている写真の基本では、朝陽、夕陽は誰が撮っても綺麗な風景写真になるから写真を志すものは余り撮らないのが普通だ。そして8ミリフイルムでホームムービーを撮っていた時は、よく山川地蔵は定番の映像で、これも夕陽や朝陽の風景と同じように誰が撮っても其れなりの風景になるからと映画撮影の基本編の書物にも書いてあった事を思い出しながら浜大津港で素晴らしい夕景に呑み込まれながらデジカメのシャッターを押した。何と一時間ほどの間に100枚も夕景写真を撮ったのだ。そして、少し自分に笑った。モニターで確認すると時間と場所を変えて,写した琵琶湖夕景の画像を確認しながら今日で暫くは夕景写真はお休みにしようと思いながら日の落ちた湖岸を後にした。

















