歩数計
2021/06/10
スマホのアプリの歩数計に強要されて歩いている訳ではないが一日、一万歩を超える日は多いが、最近のアプリは自転車で走っていても歩数を記録してくれるから、本当に歩いた歩数は毎日五千歩ぐらいで後は自転車で稼いだ歩数だ。今日は久しぶりに京都へ出かけた。知人の画家Mさんの追悼展が開かれている寺町のH画廊に着くと多くのファンがMさんの絵を見ていた。僕も以前に見た絵も多く懐かしくMさんの顔を浮かべながら拝見した。寺町通りも人通りが少なくコロナ禍で京都市はまだ非常事態宣言中だと実感した。画廊を出ても何処へも寄らずに電車に乗ってトンボ帰りをした。ワクチンの二回目接種が終わっていれば行きつけのショットバーに寄ることも出来たのにとおもいながら帰宅した。
小説の映画化
2021/06/09
先日、読み終えた「魔の山」は映画化されているのかとパソコンで調べるとテレビ番組で放映されたと・・でもイタリアでの話だ。テレビでは5時間以上の大作でDVD化されているが、そして日本国内には縮小版が発売されていることを知った。高額で、しかも短縮版での評判は良くなく諦めた。パソコンでは魔の山の背景などを詳しく教えてくれ、解説までしてくれるページもあり楽しめた。そして小説と映画では断然小説が良いと言っている人が多かった。映画の内容とスチール写真を載せているモノもあり、青年ハンス・カストルプが恋するショーシャ夫人の写真もあるが小説のイメージではもっと美人ではなかったのではと演じる女優さんに悪いが少し違和感を感じた。ハンスやセテムブリーニ氏そしてナフタ氏らは僕のイメージと合った俳優が演じていた。でも動画でないので詳しくは分からなかった。同じトーマス・マンの小説「ベニスに死す」の映画は巨匠ルキノ・ヴィスコンティーが監督した映画をDVDで見たが小説にも劣ることのない素晴らしい映画だった。もしヴィスコンティーが制作していたら素晴らしい映画になったのではと想像した。そして僕は魔の山は小説の世界だけにしておこうとおもった。
今日も琵琶湖の時間は平穏に流れた・・・其の写真です。
今日の叙景
2021/06/08
毎日、散歩や湖岸ポタリングにはカメラを持たない日はない、フイルムカメラの時代でも必ず出かけるときにはカメラを持って出かけた。でも毎日フイルムを現像に出す事もなかったから撮った写真を毎日、見ることはなかった。毎日、過ごす時間の中でデジカメを触っている時間はと考えた、持ち歩いている時間、パソコンにアップしたり、ブログを書いたりと、写真(デジカメ)との関わりは2時間以上もあり、一日の中での割合は大きいと実感した。そしてスマホでもFBに上げる写真を撮っているからIT機器に触れている時間は長いと、少し反省した。ITやAIに近づかなければ解決するのだがと思った。今日は幸い、デジカメで撮る被写体も少なくIT機器を触る機会は何時もより少なかった。今日の夕景は平穏な風景が広がった。
写真一枚目は今日の夕景、二枚目は琵琶湖大橋遠望、三枚目は昨日の琵琶湖大橋の上位蜃気楼。
蜃気楼の時
2021/06/07
琵琶湖に出る蜃気楼には上位蜃気楼と下位蜃気楼があり、比較的に見ることが多いのは下位蜃気楼で浜大津湖岸から冬場等はよく見られ、目の良い人なら琵琶湖大橋が凸レンズ型に変化した姿を、見る事ができるポピュラな蜃気楼だ。僕は視力は今でも1・5あるから湖岸から琵琶湖大橋がはっきりと見える、今日も湖岸ポタリングで湖岸を走りながら琵琶湖大橋を見ると随分と橋桁が浮き上げって見えるので自転車を止め良く見ると上位蜃気楼の気配を感じた。近くの湖岸を見ると蜃気楼研究会のメンバー?らしき人が三脚にカメラを付けて琵琶湖を眺めていた。僕はワイドレンズで遠くの撮影は不向きと諦めて湖岸ポタリングを楽しんだ。昼食後、蜃気楼が気になり、望遠ズームを付けたデジイチを自転車に積んで出かけた。蜃気楼は気温差がないと出ない、水温と地上の温度の絶妙のバラスが必要だ。上位蜃気楼は5月頃が一番多く見られると蜃気楼研究者のBさんが教えてくれた。浜大津湖岸に自転車を止め、琵琶湖大橋を見ると高い部分と守山側の橋の部分が同じくらいの高さに見えた。デジカメのファインダーで眺めると橋がZ型に少し湾曲している、正しく上位蜃気楼だと何枚もシャッターを押した。蜃気楼の写真は下位蜃気楼は写真にしやすいので良く撮るが上位蜃気楼は出会うチャンスも少なく出ていてもモヤっとしている時が多く、そして望遠レンズを持ち出す煩わしさもあり一二度撮ったくらいで、写真もイマイチだった。今日は久しぶりに蜃気楼の時を楽しんだ。そして機材を提供してくれた福島の友人Hさんに感謝した。
写真一枚目と二枚目が蜃気楼です。
琵琶湖の時間
2021/06/06
僕の経験する時間は・・・・琵琶湖の湖畔に生まれ育ってから81年が過ぎた。琵琶湖は人が名付けた湖の名称だが人類の歴史よりも遥かな時間と歴史は例えようがない・・・湖畔に暮らす者にとって切り離すことの出来ない琵琶湖の存在は意識とは関係ないところで作用しているのだと思った。26歳の時に飛行機の操縦を習い始めたのも琵琶湖が関係しているのではと僕が飛行機を操縦するのは手段であって目的は琵琶湖を記録するために琵琶湖がそうさせたのではと思う時もある・・・総合開発が始まる前から空から琵琶湖の写真を撮ったのは、自分の意識からだろうかと考えた。青年会議所で琵琶湖の映画を制作した事も琵琶湖の時間に組み入れられていたのではと思った。毎日の湖岸ポタリングも朝の散歩では三井寺の展望台から眺める琵琶湖も、僕に組み込まれている琵琶湖の時間ではないのか・・・そして夕食後、今日も琵琶湖へ向かうと素晴らしい夕景を見せてくれた。僕は毎日、琵琶湖が作り出す時間で動いているのは確かなことだと頷いた。

















