三井寺では・・・
2021/10/29
三井寺では二年ぶりに人を招いて智証大師御正忌会が執り行われた。屋外に張られたテント内のパイプ椅子は満席で、参列者は全てマスクを付けているので、友人のSさんを探すのに時間が掛かった。久しぶりに三井声明を聞きながら青空を眺めるとトンビが優雅に舞っていた。参列者が全てマスク着用している姿はやはり日常とは程遠いとおもった。法要が終わり友人と茶会に参加、何時もの記帳なら名前だけだが電話番号まで書かされるのはコロナ対策で、感染者が出た時のお知らせの為と分かった。勧学院の庭を見ながら煎茶を頂いた。マスクを外したり着けたりと面倒なことだが此れもコロナ感染予防では仕方ないこととおもった。何時、第6波が来るのかと心配しながらの暮しはまだまだ続きそうだ。
琵琶湖の水位は低く湖岸の石垣は最下部も見えたままの状態だ。何時もなら此の季節は台風らの影響で標準水位が普通だった。冬に向かうと大量の雨が期待できないから少し心配だと湖岸を写真に撮った。モノクロ写真は以前に撮った柳が崎の写真です。
ソーシャルメデイア・・・
2021/10/28
今日の朝刊(朝日)の論壇時評では林香里(東京大学大学院教授)さんが人間の「悪」増幅 SNSの罪と向き合う時 と題して語っている記事を読んだ。一大勢力となったフェイスブックの問題点を取り上げていた。僕が最近読んだ「インスタグラム」(サラ・フライヤー著)の中でもフェイスブックの問題点を取り上げていた。ソーシャルメデイアがアメリカ大統領選挙でも利用され選挙に大きな影響が出たことは誰もが知る事実だ。日本でも17万人以上もフォロワーのいるDappiと言う匿名のツイッターアカウントが話題になっていることにもふれていた。都内のIT関連企業の法人のもので、同社の主要取引先が自民党だったことがわかった。と記されていた。そして、メディアがこうした話題を取り上げない状況も・・日本社会の行方を左右する総選挙の投開票が控えている。日本のメディアもソーシャルメディアについてより踏み込んだ調査報道をしてほしい。と語っていた。もしアメリカ大統領選挙の様に日本のソーシャルメディアが選挙に関わっているとしたら大変な問題だと僕は警戒心を高めながらソーシャルメディアを利用して行こうと考えた。そして利用しなくても暮らせる努力をしなければとおもった。
写真の一枚目は今日の琵琶湖(デジタルカメラ)二枚目三枚目はフイルムカメラの写真です。二枚目は唐崎神社の唐崎の松、今日、久しぶりに見る唐崎の松の衰退ぶりに驚きました。広がった松の半分は枯れていました。もし芭蕉が現実を見たら嘆き悲しみ・・どんな句を・・・
雲の美術館は秋の展示に
2021/10/27
大津は琵琶湖があるお陰で、湖岸へ出れば広い空間があり大空を見渡す事が出来る、今日も湖岸ポタリングで空を見上げると巻雲、巻積雲が青空の中で乱舞していた。雲の美術館では二度と同じ作品を展示しないから、確りと脳に記憶しなければと素晴らしい雲の作品を楽しんだ。僕の好きな本「雲の名前」そして「雲を愛する技術」の中に掲載されている雲の写真と同じ雲は現れた事がない、雲は何時も一回きりの出会いだ。毎日、撮っている琵琶湖と雲の風景の記録はデジタル保存している、でも刹那に見る雲の素晴らしさには勝てないと巻雲の乱舞する姿に魅了された。秋の雲の美術館を堪能させてもらったお陰で、ストレスも吹っ飛んだ。今日はチマチマした地上のお話は、お休みにさせてもらった。
琵琶湖ムラ?
2021/10/26
先日、読み終えた「日本文化における時間と空間」の中で語られた、内容とは程遠いが、僕が81年間、今も暮している琵琶湖南湖の大津市から漂白することもなかった、時間は全て琵琶湖ムラで暮した、今とここでの体験時間では世界の情勢等は分かっていないに等しいとおもった。今更、世界の見聞をと考えても無理なことと諦めるしか無いと、今日も琵琶湖をポタリングした。町中は狭く息苦しいが湖岸へ出ると日本一大きな琵琶湖の空間が息苦しさを開放してくれる、内陸部では最高の立地条件のホモ・サピエンスの暮らせる土地だ。長く安定した閉鎖空間でムラとしての存在感はあるが、時代の流れ乗れずに、発展から取り残されているように思われているが、僕はそうはおもっていない、こらからの時代に必要な空間が琵琶湖によって確保されているとおもった。何もない空間の大切さが必要な時代がきていると琵琶湖を眺めた。そして今回の衆院選では少しムラ社会から抜け出た結果が出て欲しいと願った。
そこのみにて光輝く?
2021/10/25
そこのみにて光輝く?は佐藤泰史の小説の題名だ。少し世の中からはみだした人達の物語には心惹かれたことを思い出した。今日は雨で琵琶湖へ出かけることが出来ず、三井寺の散歩だけで終わった。パソコンの前に座って写真をアップしながら、言葉を考えた。今日の題名には合っているのではと、三井寺の林の中で動物の顔をした木のコブの写真は、コアラの様にも見えるから不思議だ。境内に設置された、大型案内液晶ディスプレの画面を見ているとヤモリが中にいた。寒いから中は暖かいのか気持ちよさそうに動いて三井寺の宣伝に協力していた。ヤモリは今年始めて見た。例年なら家の壁などで見かけるのにと・・今年は本当に虫が少なかったと夏を振り返った。金堂へ向かう途中、木にセミが留まっているのを見つけた。其のセミは命は既に途絶えていた。目は白く石の様になっていた。9月の終わり頃にセミの鳴き声を聞いたのが最後だったから随分と時間が過ぎた。急に寒くなった日に命が果てたのかと見ていると、人間世界の即身仏を思い出した。蟻にも食されずに形を残した儘だ、これも空蝉というのだろうかと考えた・・・其々が,そこのみにて光輝いているとおもった。

















