中島省三の湖畔通信

気象万千

2021/05/22

気象万千は琵琶湖疏水の東口トンネルの入り口の扁額に書かれている文字が気象万千だ。扁額と言っても石に彫られたもので伊藤博文の字だ。トンネルには近づけないのので双眼鏡で見た事を思い出した。毎日、数回は通る鹿関橋の上からトンネルの字は読めないが何時も気象万千を感じながら今日も橋を渡り琵琶湖へ向った。気象万千は、景色や事物が変化に富みきわめるさま、とパソコンで意味を知った。夕方の琵琶湖は正しく気象万千だ。言葉はいらないと、雲の動きを見ながら、水の大循環の不思議さを感じながらデジカメのシャッターを押した。久しぶりの琵琶湖の雄大さを感じるとコロナ禍でチマチマしている自分が可笑しくなった。我が国のコロナ対策ではワクチン接種が他の先進国と比べると遅れている事は確かだ。やっと医療関係者や高齢者への接種が進んだ状況では集団免疫化するには未だ時間が掛かりそうだ。オリンピックを開催できるんだろうか、出来るとしても盛り上がりのない東京オリンピックになるのは誰もが分かっていることだ。中止も悪いことではないとおもった。そしてコロナが与えてくれた試練を活かした、今後の社会は良い方向に転換してほしいと願った。

今日、町中で赤いブラシの様な花を見た。調べるとブラシノキと分り、人間の作ったブラシよりは花の方が先なのは確かだ。

坂本雨情

2021/05/21

今日は坂本のKクリニックへ49日毎の検診を受けに向った。大雨を心配したが、雨は小ぶりになっていた。石坂線の坂本叡山口駅に着くとバスが留まっていたので飛び乗ると、次の停車駅は終点のJR叡山駅で慌てて乗ることもなかったと、運賃を払い降りた。何時もなら歩く少しばかりの距離をバスに乗ったと少し後悔した。JR叡山駅からKクリニックまで15分くらいだ。途中で足洗川を見ると雨の所為で水量が増えていた。三上山は建物に遠慮しながら顔を出していた。クリニックは今日は待ち時間なく検診を終えた。今日の昼食を予定していた鶴喜蕎麦は休日だった。京阪電車、坂本叡山口駅前ではヤマボウシが咲いていた。背丈も低く鑑賞するには良い高さだった。カフェ,珈琲人で食事をすませて、電車に乗った。此の電車石坂線の楽しみは車窓風景の素晴らしさだ。誰もがスマホを見ていて車窓など見る人は無かった。狭くなった田畑が存在感を表す風景も間もなく消えるのかとシャッターを切った。滋賀里から坂本に掛けての田園地帯には建物も無かった時代の空景を思い出した。僕が飛行機の操縦練習したのは比叡山麓の滋賀里と唐崎にまたがった、場所には小さな滑走路があった事を知る人も少なくなったと車窓から際川の飛行場を探した。

七千枚の写真

2021/05/20

何時もパソコンやITでお世話になっている、友人MOROさんが湖畔通信の写真だけを見られる様にプログラムが出来たと知らせてくれた。早速、見てみると2015年から月毎の写真が見られる湖畔通信フォトアルバムとして立ち上がっていた。過去の写真を見ながら時間を遡ると五年前に撮った写真が追この間の様に感じた。MOROさんに聞くと写真はざっと七千枚ほどあると言われて少し驚いた。フイルム時代なら之ほど多く写真は撮っていなかった。毎日、散歩や湖岸ポタリングでデジカメで撮る写真は多い日で100枚、少い日でも50枚は撮っているから凄い枚数だ。フイルムなら費用も手間も大変だと改めて便利な時代になったと思った。でも良い写真が撮れているかは別の話だ。フイルム時代は仕事では一つの被写体を何枚も撮ったが、趣味の写真では月に三本くらいだった。本棚の脇に積まれたスライドフイルムの箱が気になり、開けて見ると少しカビが発生していた。照明ボックスの上で見るとコダクロームポジフイルムは色褪せもせず美しい風景が残っていた。改めてフイルムの凄さに感心した。大切な琵琶湖の空撮フイルムは保管とデーター化は済んでいるが、他のフイルムは整理もされずにそのままだ、何時かは整理しようとおもうが・・・まあ良いかと諦めた。そしてMOROさんが立ち上げてくれたフォトアルバムの写真を見ていると記録写真の大切さと、最近は何でもない写真が撮れていないなと反省した。

写真はコロナ緊急事態で休業した疎水通船の姿もなく、堰堤の植物達が元気いっぱいだ。三井寺の境内前の川ではキショウブが咲いていた。湖岸のキショウブの花は駆除され数年見ていない・・・・

元気なのは・・・

2021/05/19

雨の日の散歩はパワー不足だ、というのは何時もストック二本で歩くノールディクウォーキングは4WD?四足?走法で三井寺の石段も軽く上がれるのにと傘をさし二足歩行のホモ・サピエンススタイルで少し足取りも重かった。境内では椎や楠そしてカナメモチらが花を咲かせ、花粉が飛んでいるのかアレルギー体質の僕は目や頭が痒くなり、そして鼻や喉も少し具合が悪くなるのは致し方ないと自然の残る境内を歩いた。人間社会はコロナ禍で意気消沈しているのにと、たわわに繁るカナメモチの花を眺めているとマスクをしているのに、くしゃみが出そうになった。湖岸ポタリングで湖岸へ向かうと浜大津港では、もう紫陽花が咲いていた。打出浜から琵琶湖を見ると遠くはもやっているから海のように広く感じた。今年の梅雨は長引くのか、それとも早く開けるのかと空を見上げた。梅雨が早く開けても嫌な夏が長くなるだけでは割に合わないと海の様な琵琶湖を眺めた。

足下の宇宙

2021/05/18

大宇宙ばかりが宇宙ではないと知らされたのは足下に広がるエゴの花を見て星空を想像してしまった。そして三井寺の境内の楠の大木がたわわに花を咲かせている姿を見ていると雄大さは宇宙ではと感じた。今、読んでいる「魔の山」(トーマス・マン)は上巻の後半部分で主人公ハンスがサナトリウムで人体に興味を感じ学ぶ辺りでは、人体の複雑さを感じると、人の体を構成する膨大な細胞の多さは宇宙そのものだから、コロナウイルスなどに簡単に我が人体の宇宙を滅ぼさす訳には行かないと、36兆個以上ある細胞君に健闘を祈るしかない現状だ。そして感謝すれども実態もコンタクトも取れないから、これからも宜しくお願いしますと頭を下げ、足下の白い星を眺めて納得しながら、境内を散歩した。トーマス・マンの小説「魔の山」を若い時に読んでいたら・・・でも理解力不足で読むのを諦めていた事は確かだ。老いぼれ爺が時間を気にせず少しづつ読み進む小説の先は長いと今日もページを捲った。

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