デジタル庁?
2021/05/12
湖畔通信を書こうと、パソコンの前で傍らのテレビを見ているとデジタル庁が発足することが決まったとニュースが伝えていた。漫画を見ている様で思わず笑ってしまった。今更、デジタル庁を国が作って先導する?と言っても一番遅れているのが政府ではないではと、ニュースを見た。ワクチンの予約システムがダウンして接種予約で混乱している各地の状況を各局のニュースが伝えていた。我が国の重要なシステムがアメリカ製が担っている現状は、何もワクチン予約システムだけではない、防衛を担う自衛隊の戦闘機やイージス艦などもアメリカ製で一般人での貨幣感覚では想像もできない高額予算で購入されたものばかりだ。ワクチンの予約システムも作れない国が今頃、デジタル庁を創設する意味が僕には分からなかった。AI,ITと国が騒ぐが、子供たちは既にAIやIT技術を使ったゲームやパソコンそしてスマホまで利用するのが日常になった時代で遅れているのは政治家だけでは?コロナ禍で少し減速した現世で、デジタル、デジタルと浮足たたずに、もう一度アナログの大切さを振り返って見る良い機会ではないのかとおもった。
写真モノクロ写真はフイルム撮影です。
今日の新聞
2021/05/11
一年以上も続いているコロナ禍の現状を解決する術を持たない我が国の現状を見ていると空しくなるばかりだ。朝刊(朝日)第一面を見ると、ワクチン接種での予約でも大混乱を起こしている記事を読むとIT化が遅れた国のシステムは政治と同じように用を足さなくなったとおもった。大阪では入院も出来ずに死んで行った人の数17人と,コロナの第4波の影響で医療崩壊が起きていると実感させられた。政治は緊張感がないのかオリンピック問題が第一でコロナ問題を後回しにして大丈夫な筈がない、非常事態の意味が分かっていないのではと思った。そして新聞を開くと両面を使った広告ページには緊急事態の文字があり、中央にはコロナウイルスが日の丸に変わって存在感を、そして竹槍の少女がの写真を使った紙面に少し驚いた。アピールの文字を読むと・・コロナ禍が続く中で何も出来ない政治に苛立っている人達の気持ちを表す意見広告のように思った。スポンサーは宝島社だ。言葉の最後は、今こそ、怒りの声をあげるべきだ。と結んでいた。うん・・疫病は怒りだけでは終息しないのではとホモ・サピエンスが幾度となく体験した疫病終息の過程を冷静に見直すことも必要では・・・そしてホモ・サピエンスが経験しているコロナ禍もいつかは終息するに間違いないのだからと心を鎮めたいとおもった。
写真を撮る
2021/05/10
写真を撮ると言ってもこの頃は誰でもがスマホで日常茶飯事に写真を撮っている時代だ。改めて写真を撮る行為とは、と考える、僕はフイルムカメラで撮る写真ではないかとおもった。午前中の湖岸ポタリングではデジカメで撮影した。露出や距離も合わせる必要のないデジイチで膳所由美浜湖岸に咲いているリュウキュウツキミソウを撮った。全部オートでは好みの写真にはならないのでマイナス補正して花を撮った。デジタルカメラは便利だモニターはバリアアングルでローアングルも楽をして撮れた。午後は福島の友人の贈り物ライカM6を持ってご近所カメラ散歩に出かけた。36枚撮りのフイルムは一日で取り終える事はなく残りの10枚を今日撮った。やっと露出の感が戻った。カメラの露出計は参考程度で充分だ。いざご近所で被写体を探すも見つからず近江神宮まで足を延ばした。境内を歩くと日時計が目に入った。近づいて時刻を見ると二時半をさしていた。自分のチープカシオを見ると2時20分を指していた。あまり違わないと改めて日時計の実力に感心した。世の中、ITだ、デジタル時代だと科学万能を信じて絶賛するも、何故か空しさを感じるのは日時計を見たからではと思った。今日はデジカメは持っていないがスマホはあるが今日はスマホで撮るのを止めた。フイルム写真の欠点は費用が掛かることだ、でも写真を撮る事に関してはデジカメよりも心に響く写真が撮れる事は間違いないと境内にある超アナログな時計の姿を眺めると心が鎮まってきた。
モノクロ写真は、が矢橋式日時計。は古代火時計(ロレックス社奉納)
黄砂
2021/05/09
黄砂の影響で今日の琵琶湖の眺めはイマイチで午前中の湖岸ポタリングでは一枚も写真を撮らなかった。そして午後4時ごろに再び湖岸へ向った。途中で雨が降り出すも本降りにはならずに済んだ。打出浜から琵琶湖を眺めると暗く陰鬱な光景が今の世相を表しているのではとデジカメのシャッターを押した。湖岸に佇んで北方を見ていると原発の問題が浮かんできたと言うのは、午後、三井寺の茶店ながら亭でコーヒーを飲んでいると、店員のKさんが冊子を持って来てくれた。其の冊子「生活と自治5」の中、(現代の透視図)北海道寿都町は今 どこにどう処分するのか?「核のごみ」のゆくえ と題して核のごみに揺れる町の現実が語られていた。原発は以前から「トイレなきマンション」と言われ、今でも其の状況は変わっていない、寿都町は人口およそ2900人の小さな町で財政難の中で最終処分場の文献調査受け入れに立候補したことで町議会や町長の独断に対して異議を唱えている住民らの話しの背景らを詳しく取材した記事を読んで「核のごみ」問題をスルーする訳には行かないと思った。そして我が国は原発をこれから先、ベースロード電源として行く、そんな無責任なことを許しておいては未来を生きる人に申し訳ないと・・やはり原発は早急に廃止にする方向に進むべきではとおもいながら暗い雲が覆う琵琶湖を見た。
そして夕食後、また琵琶湖へ向かうとお天気は回復へと・・明日は晴れ?
先日、三井寺の駐車場にはレンタサイクルが登場していた。(写真はフイルム撮影)
ユーチューブ・・・・
2021/05/08
最近、夕食後、寝転んでタブレットでユーチューブを見ることが多くなったと言っても飛行機、カメラ関係の話をチョット見するだけの20分だ。そして今日の夕刊(朝日)の第一面に、大きな見出しで、街角で撮る想像超える人生 の大きな字につられて読んだ。元テレビ局のディレクターがフリーとなり、ユーチュバーとして活躍している様子を取材した記事は面白く読めた。「街録Ch」で検索すると直ぐに見られた。タレントの東野幸治さんをインタービューしたユーチューブを見るとテレビ放送では味わえない生身のタレントさんの声が聞けて楽しくもあるが、僕の好きなドキュメンタリーではないが、構えずに見られるのがユーチューブの良いところだ、カメラマンも一人で別に凝った撮影をしている訳でなく街灯の下で赤裸々に語られる普通の話し方で気楽に聞けて、日常会話のようで、テレビ番組では味わえない良さを感じた。そして嫌になれば違うチャンネルは山ほどあるから、次々と変えて行くこともできるが・・こんな情報過多の時代は、本当に良い事なのかと少し考えた。僕の育った時代はゆっくりと時が進み、慌ただしい社会ではなかったと今の社会の気ぜわしさには追従したくないと思った。最近はテレビで映画(DVD)を見るのも1・5倍速や倍速で見る人が多いと聞く、そして間延びするシーンは飛ばして作品を観賞している人もいると聞く、そして別の音楽を聞きながらビデオを倍速で見る時代になった現代社会事情に驚かない自分がいるのは、そんな事が出来る人達の全てが聖徳太子の様だったら驚きもするのだがと、自分に苦笑した。コロナ禍の中でメディアが大きく変革する時代になったことは確かだとおもった。そして僕は軽く流れる情報などに聞き耳立てるほど時間もないと、今読んでいるトーマス・マンの魔の山をゆっくりと自分の時間で読もうとおもった。

















