雨降り画面を・・・・
2021/09/24
毎日、散歩や湖岸ポタリングで撮る写真は、デジカメにスマホカメラが加わり結構な量だ。フイルム時代では考えられないほどシャッターを押しているが、フイルムカメラで撮った写真(記録写真)の様に残らないのではと思うこの頃だ。今日も撮った写真をパソコンにアップしながらスマホの写真と比べた。スマホ画面の写真は現実とかけ離れたブルーが青空を強調して僕がインド洋に浮かぶセェシエルで撮ったポジフイルム写真の様に見えた。まだパソコンにアップする写真はデジイチで撮影しているから現実に近い色彩ではと湖畔通信に載せた。そしてフイルム写真はポジ(スライド)も何度も見ていると擦りキズが出来たり、カビが生えたりとアナログ的欠陥も多いが、モノとしての命を感じるから不思議だ。少年時代に映画館で見る映画には、晴れのシーンなのにスクリーンには雨が降っている様に見えるのは、大津は地方だから都会での上映で何回も映写機を通ったフイルムにはスリキズができ其れが雨のように見えるから、僕らが見る映画は殆どが雨が降っていた。もちろ学校で上映される16ミリ映画も雨が降っていた。今はHDVで4Kや8Kの画像で上映される映画では雨降り画像を見ることは無くなった。でも時折、デジタル処理で態とスリキズ状態を画像に取り込み古いフイルム映像に似せて見せる手法は健在だ。映写機でフイルムを可動して見せてくれる映画館も全国ではごく限られた数しかないと聞いた。僕の16ミリ映写機は廃棄したので8ミリ映写機はまだ健在だ。一度、フイルムで映像が見たくなったと今夜は8ミリ映写機の点検をしようと思った。
穏やかな琵琶湖
2021/09/23
今日はお彼岸のお中日で、三井寺の観音堂では法要が行われた。祖母は信仰があつく、墓参りにもよく連れて行かれた。幼い時からお盆と春と秋のお彼岸の墓参りは欠かしたことがない、今日も小関にあるご先祖様の墓参りをすました。そして墓石の後ろを見ると、大正14年に祖父が墓を建てたと刻んであった。祖母との約束でお墓参りはしているが自分はお墓には拘りたくないとおもっているから、自分は散骨で済ませてもらえたら良いと考えているからと周囲の墓群を見た。湖岸ポタリングで訪れた琵琶湖は静だ。大陸の高気圧が張り出しお天気は安定している、湖岸には家族連れが休日を楽しんでいた。コロナの感染者も少なめで安定している、間もなく非常事態宣言も解除されるのではと快適に湖岸を走った。
持続可能な開発目標
2021/09/22
最近、よく出てくるSDGsは持続可能な開発目標として17項目が掲げられた、言葉だ。僕の嫌いな言葉は地球のために、から始まる環境運動は素直に好きになれない、最初から人間が住めなくなっては困るから始めた運動と素直に言えば僕も納得するのだが、今回のSDGsも人間の為、だけの事を考えた運動だと僕は理解しているからだ。人類が滅びても地球は絶対に滅ばないのは皆、知っていることだ。そして17項目の13番目で気候変動で具体的な対策・・14番目海の豊かさを守ろう15番目陸の豊かさを守ろうである、何で人間が上から目線で今更、地球の資源を食い尽くしながら言える言葉ではないと思った。恥を知らない生物の代表が人間であることは確かだ。今日の湖岸ポタリングで打出浜に来てみると新しく出来た小さな施設、湖岸の給水スポットはSDGs絡みの企画だ、近くへ寄ると市の企業局の人がペットポトルの減量を目指してマイボトルに給水出来る施設だと説明してくれた。琵琶湖のプラスチック問題の原因はペットポトルが多くを占めているらしいが、僕は湖岸近くに在る自動販売機を無くすのが良いのではと、給水施設を写真に撮った。マイボトルをセットしてボタンを押すと水が出る仕組みも電気機器では耐用年数も限られているのでは、十年後には大きな粗大ごみにならなければと少し心配しながら、其の場を離れた。
楽しく読めない本?
2021/09/21
今読んでいる「インスタグラム」サラ・フライヤー著は楽しくない本だ。新聞の書評を読んで買ったが今回は自分の好きな分野ではなかった。ソーシャルネットワークの世界で繰り広げられる開発競争はお金が第一主義で興味が半減するもネット社会の負の部分も知りたくて諦めずに読んでいるのが実情だ。フェースブックやインスタグラムで日常的行わる誘導操作や「いいね」マークを得るための作業を請け負う会社?の存在等をしると、急にSNSの世界には嫌気がしてきた。スマホの画面に広がるSNSの世界はもう誰も止める事は出来ないとおもうと空恐ろしくなるばかりだ。でも僕は幸いスマホを見る時間も少ない、今日も湖岸ポタリングや散歩と戸外ですごすことが多いが・・・でもスマホで写真を撮ってSNSへ投稿している自分がいることに矛盾を感じた。
今日もAmazonnプライムで映画を見た。
2021/09/20
便利なものを批判する気持ちは持ち続けたままだが、今日も午後、パソコンでAmazonnプライムビデオで映画を見た。この映画も友人MOROさんがメールで知らせてくれた、題名「永遠の門ゴッホの見た未来」2018年イギリス・フランス・アメリカ制作111分監督ジュリアン・シュナーベルをパソコンで見た。ゴッホの絵画にスポットを当てた作品かと思っていたらゴッホその人に焦点を当てた映画は初めて見た。手持ち撮影で適当にブレる映像がゴッホの息遣いを伝えてくれた、最近のカメラワークなら防震装置のスタディーカム等を使用してブレない画面で見せるのだがと思いながら映像も楽しめた。本来なら映画館で見る作品だったと少し反省した。日頃からGAFAらが牛耳る資本主義経済を快く思っていないのに、最近はアマゾンで買い物を、おまけにプライム会員にまで誘導され、プライムビデオで映画観賞とは如何に、自分の矛盾したライフスタイルが忌々しい限りの現状に苦笑いで済ますしかないのかと考えた。でもグウグルを使って検索したり、FBに毎日写真を投稿しているのが日常では、正しく愚か者のだと思いながらも、ソーシャルネットワークに取り込まれて身動き出来なくなるのは目に見えていると、未来を考えると霧の中で、何も見えてこないのが現実で、完全にアンネイブルコントロール状態だ。ソーシャルネットワークを遮断して助けを求めても救助者は現れないのが現代の怖さだとおもうと今夜の夢も怖そうだ。

















