日常と非日常
2021/09/14
コロナ禍での暮しが一年半が過ぎた、以前の日常を思い出す事も少なくなり今の現状が日常ではと今日もカメラを持って湖岸ポタリングに出かけた。浜大津港の寂れ様も見慣れて日常になった。湖岸の駐車場もコロナの非情事態宣言で閉鎖されているが、普段営業している時もガラ空きが日常だ。におの浜に在った西部百貨店の姿は完全に消えた。最初は建物もあり存在感を示していたが解体工事が始まると一年も経たずに更地になってしまった。広々とした空間には一二年すれば、大きな函が出来て、その眺めが日常になる日も近いのではと工事現場を写真に撮った。コロナ禍ではあるが日常の時間は流れていると自転車のペダルを漕ぐと少し先へと進む日常を待つしかないと思いながら帰路についた。
「私の動物図鑑」
2021/09/13
「私の動物図鑑」の著者深尾道典さんは友人でもあり映画関係の大先輩である、最近は深尾さんも高齢で体調を崩され、お話をする機会も無くなった。深尾さんは脚本家でもありラジオドラマ(NHK)の放送で聞いたこともあった。そして東映の映画監督でもあったこともあり映画の裏話も今では楽しい思い出となった。「私の動物図鑑」は頂いてから随分と時間が過ぎてしまった。一月ほど前に深尾さんから電話があり、目も悪くなり体調も悪く出かける機会も無く家で暮している現況を知らされた。僕は映画を作ると言っても自主制作の16ミリ映画でシナリオもなく勝手に自己表現するのが落ちだが、深尾さんは脚本家で筋道をたてながら何時も話をされるので勉強になった。友人や知人から頂いた本だけを並べた中に「私の動物図鑑」が目につき手に取った。本を開くと何時も読む小説とは違いシナリオ形式で最初は読みづらいと思ったが、場所や状況がト書きで説明されているので映像が浮かびやすく深尾さんが描く地方、東近江(八日市や五個荘)の戦前と戦後の佇まいが本の中で立ち上がってきて物語を楽しく読ませてくれた。深尾さんの少年時代を元にしたフィクションだが、半分くらいは私小説ではとおもった。八日市には飛行場があった戦時中の話は僕も戦前生まれ1940年なので木炭車や当時の生活、そして方言に出てくる言葉の末尾にほん、を付ける会話は彦根と同じで親しみを感じた。本に出てくる動物は馬や鶏そして蛔虫を下すために飲む海人草の話しなどには微かな思い出として浮かんできた。其々は短編で綴られた戦前から戦後へと変化する東近江の未だ時間が長閑に流れた時代の物語は気ぜわしい現代では体験することの出来ない過去の時間となってしまった。深尾さんが元気になられたら、此の本を話題にして会話したいなと本を閉じた。
微かな秋の気配
2021/09/12
台風が近海で日本への上陸を伺っている気圧配置が天気予報で示されていた。太平洋高気圧が強くなれば日本への影響は少なくなるのだがと台風の進路が気になった。今日は曇り空で湖岸ポタリングで訪れる琵琶湖の眺めもイマイチだ。今日は休日、コロナ禍で非常事態宣言下でも密にならない湖岸は多くの人が散歩を楽しんでいた。県営の湖岸駐車場は閉鎖されて他府県からの来訪者も車を止める場所には困っているのではと思った。湖畔通信用の写真の被写体を探すも彩りを感じるモノもなく、におの浜で引き返した。午後は久しぶりにデジカメのサイズをスクエア(6x6)にして近場で花を探した。ノスタルジックな写真が撮れ今日の写真はクリアして長閑な休日を過ごした。
あれから20年の時間が・・・
2021/09/11
2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件から20年が経った。丁度テレビを見ていた時、番組が中断されアメリカ、ニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が激突炎上しているニュース映像に変わった、そして暫く見ていると二機目がビルに激突する様子がリアルタイムで映し出され言葉を失った。まるで映画を見ているような錯覚した気分になった事も生々しく記憶に残っている、その後、アメリカ軍のイラク攻撃の様子もテレビでリアルタイムで放送された、テレビはまだブラウン管だったと記憶している、まるでテレビゲームを見ているようで戦争の実感が無かったことも思い出してきた。負の連鎖で起きたアフガン戦争も20年の幕を閉じた。誰が勝者か敗者も分からぬまま終わった空しい戦いだったのではとおもった。テレビの時代も最頂点にあったのは多発テロの起きた頃を境にソーシャルメディアへと変化して行き、今ではスマホが主役の時代になった。小さな画面で見る、紛争、戦争、災害、貧困らを伝えるニュースからリアリティーな現場の悲惨さは伝わってくるのだろうか、ゲームの中のバーチャル空間の出来事の様に伝わる時代は良い社会ではないと思った。
雨上がりの琵琶湖の風景を眺めていると心が自然に癒やされてきた。
ポタリング
2021/09/10
サイクリングなら最低30キロメートルは走らなければ、サイクリングとは言えないのでは・・ポタリングは自転車の散歩だから距離はなくても遠慮なしにポタリングは使える、毎日、自転車で走る湖岸は距離も短く湖岸ポタリングの言葉がピッタリだ。今日は青空が広がり陽射しは強いが真夏ほどでもなく快適にペダルを漕いだ。今日もシラサギが湖岸で見られた、三羽の内の一羽は首の特徴から狩りの名手のシラサギではと思った。今日はカメラのトラブルもなく飛行中の姿を普通に撮れた。久しぶりの連写で一枚だけ美しい飛翔の姿が撮れた。特に琵琶湖では大型の鳥類のシラサギの飛翔姿は美しくホモ・サピエンスの作った飛行機械など足元にも及ばないとモニターに映るシラサギを見た。昼食後、晴天に誘われて、自転車を北へ向けた。滋賀里方面には暫く行っていないと倭神社の大ケヤキを目指した。途中では柳川の堆積土砂の撤去作業が始まっていた。田畑では稲穂が黄金色に輝いていた。もう秋は身近な処にきていると感じた。大ケヤキの健在を確認して志賀八幡宮から近江神宮前を通過した。久しぶりに市役所前の喫茶サライで珈琲を飲んだ。マスターが僕の自転車を見て36年乗り続けているミヤタのクロスバイクの丈夫さに驚いていた。最近の製品はライフサイクルが短く、エコ的にはだめだとおもった。今日は自転車が大活躍したがポタリングの域を超えていないが少し疲れた。

















