中島省三の湖畔通信

青空

2021/04/07

湖岸に佇んで青空を見上げると雲一つなく晴れ渡っている空を眺めていると無性に空が飛びたくなった。というのは航空写真で写真を撮るには、またとない日だからだ。琵琶湖全景を撮るには好条件だと、再び青空を見上げた。そしてもう飛ぶことはないのかとおもうと少し寂しくなった。高度一万フィート(三千メートル)まで上がれば琵琶湖全景が写真に撮れる、過去に琵琶湖全景を撮ったのは1979年10月と1989年5月と二回だけだ。僕の好きな琵琶湖の写真は1979年に撮った写真で琵琶湖総合開発が進む前の美しい琵琶湖だからだ。自分が操縦して撮った写真ではない、ちゃんとした写真を撮るには操縦しながらでは無理だ。此の写真は飛行機事故で亡くなった友人Hさんの操縦で、Hさんの依頼を受けて撮影したことが懐かしく思い出した。Hさんは同じ飛行クラブで僕の方が先輩だったが事業用操縦士までの技能を取った努力の人で温和だった。打出浜湖岸から琵琶湖大橋を見ると蜃気楼が出ていた。午後は波が少し高く湖岸に波しぶきを上げていた。におの浜のシバザクラも満開の時は過ぎ少し鮮やかさを失っていた。

トニオ・クレーゲル

2021/04/06

トマス・マンの短編小説トニオ・クレーゲルを読み終えた。最初、少しとっつき難い小説だと思った。読み進むに連れ芸術家(詩人・小説家)の複雑な内面が描かれた、物語に少し切なさも感じ、主人公のトニオ・クレーゲルの気持ちが何となく分かってきた、そして捻くれて、斜めにモノを感じながら生きる難しさと素直に生きることも究極、同じ処に辿りつくのではと思いながら本を閉じた。今日も青空が広がる好天となった。湖岸ポタリングで、におの浜に来ると、もう芝桜が咲いていた、辺りには甘い香りが漂っている、匂いを嗅いでいるとミツバチの気持ちが少しわかった。そして僕は、美味しい香りを胸に吸い込み、糖分を補給した気分になった。何時もなら芝桜は4月中旬以降に咲く筈ではと芝桜の花を見た。急激に地球温暖化が進んでいるのではと危惧した。今年の台風シーズンはとんでもないモンスター台風が来るのではと今から心配になってきた。

花散りて・・・

2021/04/05

今朝の三井寺への散歩では、江戸時代の俳人上島鬼貫の花散りて又静かなり園城寺の句を思い出した。桜の花の咲いている時は大勢の人が詰めかけるが花が散ってしまうと元の静かな佇まいに戻った。ご近所の桜の名所にも人影はなく散った花びらが足下に広がり春の終わりを告げていた。こんな時は、静かな映画を見たいと午後、浜大津アレックスシネマへ出かけた。先日、予告編を見た、「ミナリ」(監督リー・アイサック・チョン・アメリカ映画115分)は韓国からアメリカで新しい暮らしを始めるためにやって来た、四人家族がアーカンソン州で農業を始めるためにトレーラーハウスで暮らしながら農業を始めるところから映画は始まった。韓国人家族が見知らぬ土地での生活は大変な状況で、長男ディビッドは病気を持っている子供、そして長女アンとの四人の暮らしを、ドキュメントタッチで描く映画は決して明るくはなく、絶え間ない夫婦喧嘩、そして妻の母も一緒に暮らすようになった、そのトレーラーハウスでの家族生活の様子を丁寧に描きながら進む物語は派手な音楽もなく淡々と普通の日常の時間の重さを伝えてくれた。終わり方はハリウッド映画の様なハッピーエンドではないが、これで世の中は良いのだと想わせるエンディングだった。ミナリは韓国語ではセリ(植物)を表すそうだ。祖母が川辺に韓国から持ってきたセリの種を蒔いた場所にセリが育っている処で映画は終わった。

浜大津アレックスシネマより見る琵琶湖の眺めは格別だ。

雨の日も楽し

2021/04/04

雨を待っていた、と言うのは僕の好きなアメリカの写真家ソール・ライターの写真を真似て撮りたかったからだ。ソール・ライターの写真の中でガラスに付いた水滴越しに人物や風景が映った写真を見た人も多いのでは、そしてカラーフイルムで街角をスナップした写真はとてもオシャレな写真ばかりだ。ソール・ライターをドキュメントした映画も楽しく見られた。残念ながら京都で、ソール・ライター写真展を見ることが出来なかったのはコロナの所為だと少し悔やんだ。午後、待っていた雨が降り出した。デジカメを持って三井寺へ出かけた。三井寺には雨の水滴がかかる場所は茶房ながら亭だけだ。でも茶房のガラス窓には水滴はなかった。僕は以前から透明のビニール傘を利用して写真を撮った事もあり、茶房を出て村雲橋の傍らの枝垂れ桜をビニール傘の水滴を入れ傘越しに数枚撮るとバッテーリーの警告ランプが付いた。もう一枚くらいとシャッターを押すと警告音がなり、そこでタイムアウトとなった。雨と桜を撮るチャンスは無いと、家にカメラを取り替えに向った。そして再度挑戦した。そしてパソコンに写真をアップした。写真を見るとソール・ライターの真似をしただけ、それなりに撮れていると、ソール・ライターの写真集の中の写真を見ると、さすが本家の写真には空気感と赤色が美しく映えていた。でも雨の中、ソール・ライターごっこをしただけ、楽しい時間が持てたとソール・ライターに感謝した。

行く春を近江の人と惜しみける

2021/04/03

行く春を近江の人と惜しみける、は芭蕉が1690年3月に琵琶湖を訪れた時に読んだ有名な句だ。今日では大勢の人が行く春を惜しんでいると言うより楽しんでいるように見えた。パソコンで此の句をグウぐると詳しく説明されていた。春の朧気な琵琶湖の風景の中に桜が浮かんで見える波静かな湖上を友人たちと舟遊びを楽しく過ごした時に詠まれた句ではと解説文を読んで納得した。現代の観光シーズンの様な、多くの人が押し寄せるオーバーツーリズムなど無かった時代は想像力豊かな人達が優雅な気分で行く春を楽しんだのでは人出で賑わう鹿関橋の状況を眺めた。ゆっくりと花を愛でるよりもスマホでインスタ映えする写真を撮るのが流行りだ。朧気な風景よりスッキリとした美しい色合いで誰でもが美しいと単純に理解できる写真でないと誰も見向きもしない時代になった。そして良く見ないと見えないモノは見過ごされて世間から忘れされてしまう社会では大切なモノを失うばかりでは未来が心配になるばかりだ。明日は雨、足早に春は駆け足で通り過ぎて行く、地球温暖化の影響で惜しんでいる間も与えてくれない季節の移ろいにホモ・サピエンスは耐えられるのだろうか・・・・

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