みえない雲
2021/02/27
午後4時を過ぎた頃、琵琶湖へ向った。浜大津港のターミナルはコロナ禍で休業している所為で寂しい佇まいだ。メイン桟橋にはミシガン号が復帰して存在感を見せているが営業再開は何時からかと少し気になった。打出浜湖岸から琵琶湖を眺めても上空には雲もなく青空が広がる光景には何故か物足らなさを感じた。湖上は北西風で波もあり時々、飛沫が湖岸に上がっていた。彼方には若狭原発群があり風の強い日は老朽原発が気になると青空を見ていると、14年前に見た映画「みえない雲」(グレゴール・シュニッツラー監督・ドイツ映画)をおもいだしてきた。14歳の少女が学校で授業中にABC警報のサイレンがなり、直ちに避難するところから映画は始まる・・ドイツ国内で原発が事故を起こした事で混乱状態に陥った社会を描いた映画はフィクションだが1986年のチェルノブイリの原発事故後に制作されたこともあり、もし日本で原発事故が起きればと心配しながら映画を見終えた。そして2011年3月11日にフクイチの原発が地震と津波で破壊されて事故が起きた時に映画のシーンをおもいだし恐ろしくなった。でも映画のようにはならずに良かったと思っているが、今もフクイチの事故は終息してない事を改めて重く受け止め、福井高浜と美浜の老朽原発の再稼働だけは許してはならないとおもった。映画は僕が見た時の題名は「黒い雲」だったが後に「みえない雲」になった。みえない雲の方が恐怖を感じる、そして原子力工学者の小出裕章さんは放射能が怖いのは姿、形が見えないからだと言われたことをおもいだすと今日の琵琶湖の雲のない風景に恐怖を感じてくるのは雲が見えないからだ。只々事故が起きないことを祈りながら湖岸を後にした。
黄昏時の湖岸ポタリング
2021/02/26
黄昏の陽光を期待したのだが厚い雲に覆われ風も少しあり快適な湖岸ポタリングではなかった。におの浜から伊吹山を見ていると湖上にミシガン号の姿を見つけた。浜大津港のメイン桟橋に二月以上も姿を見なかったミシガン号に少し懐かしさを感じた。そして湖上を航行する琵琶湖観光の主役を写真に撮った。由美浜湖岸の河津桜も満開になった樹もあり青空なら、映えたのにと思った。湖上を見ると厚い雲が明日はお天気だと告げながら東へゆっくり移動しているのが分かった。自転車を大津方向に向け帰路についた。少し向かい風でペダルをこぐのに少し息が上がり、もうすぐ81歳、老いてゆく身を感じながら自転車を走らせた。打出浜湖岸からミシガン号が浜大津港に向かう姿を見つけ、自転車ならミシガン号より早く着いて着岸する姿を撮影できるのではと急いだ。残念ながら老齢エンジンではパワー不足、ミシガン号が先に着岸してしまった。息を弾ませながら浜大津港に停泊する大型船三隻を写真に収め、黄昏の湖岸ポタリングは終わった。
飛行機雲・・・
2021/02/25
三井寺の展望台から琵琶湖を眺めているとブーンと上空で飛行機の音がして僕の視野に入った。飛行機は小型の双発機で高度5000フィートぐらいで飛行してる、飛行機が急に左旋回を始め,360度回ると、切り替えして右旋回で360度旋回を見事に决めて北東方向に飛び去った。こんな飛び方をするのは、CABチェック(実技試験)かエアーワーク(訓練飛行)ではと飛行機を見送った。仁王門の志納所には春のライトアップのポスターが貼られていた。桜シーズンの頃にはコロナも一段落してほしいものだ。湖岸ポタリングで空を見上げると崩れた飛行機雲が何本も見えた。今日は高度の高い巻雲、巻層雲が多く見え、高い雲から低い雲へと変化するのは、お天気が下り坂、そして飛行機雲まで見れば明日は雨と想像ができ、久しぶりの観天望気を楽しめた。午後は皇子が丘公園へ白梅を見に行った。先日よりも多く花を咲かせていた。満開の白梅にはシジュウガラやメジロを見かけるが動きが早くコンデジでは撮れなかった。夕方近く湖岸へ行くと西から重そうな雲が見えるが琵琶湖上空には青空が、そして飛行機雲が一本見えた。帰路、小川酒店へ、先日、お店のワイン係のHさんに薦められ買った、ブルガリアの赤ワインが美味しく、値段も手頃で、一本買うため、立ち寄ると店先の雛が迎えてくれた。気取った雛飾りでないのが今風で良いとデジカメで写真を撮った。
文具
2021/02/24
今日、小説「ツバキ文具店」(小川糸著)を読み終えた。物語の暖かさに癒やされた。代書屋を訪れるお客との交流、そして代筆される手紙に使用される紙の種類の多さと筆記具のガラスペン、羽ペン、万年筆、毛筆らを手紙の用途に合わせて使用され、主人公が、依頼主の人生を感じながら手紙を書き上げる様子には仕事への情熱を感じると、今、僕が毎日、パソコンのキーボードを叩き漢字の意味も知らずに変換キーを使って湖畔通信の文章を書いている?と言えるのだろうかと考えた。そして机の上にはパソコンが二台、傍らに無造作にボールペンが三本ほど転がっている、ボールペンは友人にハガキを書くために使用するからだ。僕もパソコンよりは手書きでの手紙の方が好きだ。以前、脚本家のF氏と頻繁に手紙のやり取りをした事を、此の小説を読んでおもいだした。僕は写真ハガキに下手くそな字で少し文を付け足す程度だが、F氏から送られてくる手紙は何時も便箋三枚以上あり、物書きらしく近況が報告されている手紙は内容もあり、今も保管している、F氏が病気で入退院を繰り返す中で交流は、いつしか途絶えてしまった。それが、つい先ごろF氏から電話をいただいた。電話の向こうで、元気な声が聞こえ、安心するも、今は寝たきりになって目も悪くなったと明るい声で話された。僕は少しトーンを落とし会話して電話を切った。その後に写真ハガキを出したが返事は来なかった。今日、本を読み終え・・手紙の大切さを知った・・目が不自由な人にでも届けられるメリハリの在る写真と大きな字で書いた手紙を出して見ようとおもった。そして時間を掛けてF氏の手紙を再読しようとおもった。
大津丸屋町の旧家のウインドウには慶長雛?が飾られていた。
遊心庵のジュウガツザクラ
2021/02/23
朝の三井寺散歩の帰り道は大門坂を下り、遊心庵の門前を通るのが日常だ。門前のジュウガツザクラが小さな花を咲かせている、でも立ち止まってよく見ないと咲いている花を確認できないが、花に近づくと、凛として清楚な花に魅了される、此の花は9月のお彼岸から4月頃迄の間、花を咲かせていて、ソメイヨシノの様に満開になることもなくマイペースで小さな花を咲かせ楽しませてくれる、でも少い時は二輪か三輪の花が枝先に見えるくらいだから足を止め愛でる人も少なく静かな佇まいだ。そして門前には詩人坂村真民さんの石碑が茂った松の傍らで、石に彫られた、念ずれば花ひらく、の字がジュウガツザクラに呼びかけているようにも見えた。坂村真民さんは遊心庵の庵主さんに招かれて、何度か来られた時にお出会いした事を思い出してきた。優しい眼差しで誰にでも気さくに話をされていた。坂村真民さんの詩集は庵主さんに頂き今も大切に持っている、そして詩集を開くと自筆で念ずれば花ひらく、と書かれている字は石碑と同じ書体だ。坂村真民さんの花の詩を一つ、何が一番いいか 花が一番いい 花のどこがいいか 信じて咲くのがいい 読み終えると真民さんの顔が浮かんできた。遊心庵では真民さんが笑顔で早起きだけは誰にも負けないとおもうと語られた事を思い出してきた。

















