蜃気楼の時
2021/06/07
琵琶湖に出る蜃気楼には上位蜃気楼と下位蜃気楼があり、比較的に見ることが多いのは下位蜃気楼で浜大津湖岸から冬場等はよく見られ、目の良い人なら琵琶湖大橋が凸レンズ型に変化した姿を、見る事ができるポピュラな蜃気楼だ。僕は視力は今でも1・5あるから湖岸から琵琶湖大橋がはっきりと見える、今日も湖岸ポタリングで湖岸を走りながら琵琶湖大橋を見ると随分と橋桁が浮き上げって見えるので自転車を止め良く見ると上位蜃気楼の気配を感じた。近くの湖岸を見ると蜃気楼研究会のメンバー?らしき人が三脚にカメラを付けて琵琶湖を眺めていた。僕はワイドレンズで遠くの撮影は不向きと諦めて湖岸ポタリングを楽しんだ。昼食後、蜃気楼が気になり、望遠ズームを付けたデジイチを自転車に積んで出かけた。蜃気楼は気温差がないと出ない、水温と地上の温度の絶妙のバラスが必要だ。上位蜃気楼は5月頃が一番多く見られると蜃気楼研究者のBさんが教えてくれた。浜大津湖岸に自転車を止め、琵琶湖大橋を見ると高い部分と守山側の橋の部分が同じくらいの高さに見えた。デジカメのファインダーで眺めると橋がZ型に少し湾曲している、正しく上位蜃気楼だと何枚もシャッターを押した。蜃気楼の写真は下位蜃気楼は写真にしやすいので良く撮るが上位蜃気楼は出会うチャンスも少なく出ていてもモヤっとしている時が多く、そして望遠レンズを持ち出す煩わしさもあり一二度撮ったくらいで、写真もイマイチだった。今日は久しぶりに蜃気楼の時を楽しんだ。そして機材を提供してくれた福島の友人Hさんに感謝した。
写真一枚目と二枚目が蜃気楼です。
琵琶湖の時間
2021/06/06
僕の経験する時間は・・・・琵琶湖の湖畔に生まれ育ってから81年が過ぎた。琵琶湖は人が名付けた湖の名称だが人類の歴史よりも遥かな時間と歴史は例えようがない・・・湖畔に暮らす者にとって切り離すことの出来ない琵琶湖の存在は意識とは関係ないところで作用しているのだと思った。26歳の時に飛行機の操縦を習い始めたのも琵琶湖が関係しているのではと僕が飛行機を操縦するのは手段であって目的は琵琶湖を記録するために琵琶湖がそうさせたのではと思う時もある・・・総合開発が始まる前から空から琵琶湖の写真を撮ったのは、自分の意識からだろうかと考えた。青年会議所で琵琶湖の映画を制作した事も琵琶湖の時間に組み入れられていたのではと思った。毎日の湖岸ポタリングも朝の散歩では三井寺の展望台から眺める琵琶湖も、僕に組み込まれている琵琶湖の時間ではないのか・・・そして夕食後、今日も琵琶湖へ向かうと素晴らしい夕景を見せてくれた。僕は毎日、琵琶湖が作り出す時間で動いているのは確かなことだと頷いた。
映画「ファーザー」
2021/06/05
昨夜、今話題の映画「ファーザー」(監督フロリアン・ぜレール)を見た。イギリス映画で96分の映画の内容は認知症を患っている父親の話と聞いて、しかも主人公アンソニー(アンソニー・ホプキンス)は81歳で僕と同じ年齢と情報もあり、何だか自分に差し迫った映画を見にゆく気にはなれなかったが、評判も良い映画を見落とすわけにいかなと出かけた次第だ。流石名優が演じる父親アンソニーは上手すぎてドキュメンタリー映画の様に感じた。娘アン(オリヴィア・コールマン)も自然な演技で認知症父娘の葛藤の細やかさが描かれた映画は心に響いて、自分の行く末を暗示されているようで身につまされた。そして画面は認知症になった父親目線の映像は見ているものが認知症を体験している様な感覚になる映画に感心しながら見終えた。観客は若い人が8人と81歳の僕とで9人だった。
写真は昨日、アレックス浜大津へ向かう時に撮った夕景。二枚目は膳所公園の湖岸ではミシシッピーアカミミガメとペットポトルの数は同じ?と琵琶湖のプラゴミ問題を考えた。
魔の山
2021/06/04
「魔の山」は誰もが知るトーマス・マンの小説だ。其の小説を今日、やっと読み終えた。20世紀を代表する小説家の名前を知ったのは、さようなら、ギャング(橋源一郎)の中で、トーマス・マンの名前が出てくるが架空の人物と言われていたので?実在しないのではと勘違いしていた。中井書店で「トニオ・クレーゲル」と「ベニスに死す」を見つけ読んでから、魔の山を読んだ。1924年に発刊された名作は百年近くなり表現も今の時代とは随分、違い読んでいて難しさを感じる、長編小説を読み終えて、もし自分が二十代に読んで理解できたかと聞かれればノーと即座に応えねばならない小説だ。主人公ハンス・カストルプがスイスのダボスにある国際サナトリウム「ベルクホーフ」で青年時代を過ごす物語は、主人公が成長(精神的)の課程を描く長い物語をゆっくり楽しみながら読んだ。時々出てくる難しい言葉はタブレットを利用した。辞書を使わず、便利になった時代に少し感謝した?。唯一、小説の中で主人公ハンスに親しみを憶えたのは、ハンスがスキーで山中を彷徨いあわや遭難寸前まで行く場面には、山スキーが趣味の僕には心境が分かった。嬉しかったのはハンスがテレマークターンをする場面が書かれているページでは立ち止まって雪山の情景を思い出した。主人公ハンスの恋愛感情と学問への葛藤、そして友人らの繋がりを小説の中で一月間も楽しめた時間は短く感じたのは老人だからと自分に笑った。
雨の日の散歩写真、三尾神社のヤマボウシとうさぎの石像と三井寺の茶房のモリアオガエル。
散髪
2021/06/03
今朝、歯を磨き終わり、鏡に写った顔を見ると眉毛が長く伸びているのに気づいた。老人だから眉毛が長いのは当たり前だが、僕が床屋(理容院)に向かう基準が髪の毛で判断するのでなく眉毛の伸び具合で决めているからだ。70歳までは頭の毛が伸びてくると一月に一回は散髪に出かけていたが髪の毛も細くなり、白髪、そして数も少なくなった今では頭の毛で判断するより眉毛の方が判りやすいからだ。床屋も常連で行っていた店も7年前に高齢を理由に閉店した。その後は近所、家から150メートルあるかなしの理容院で二月に一回ぐらいだ。午後、散髪に出かけた。50分程掛けて丁寧にやってくれた。コロナ禍になってから散髪してもらうにも住所氏名、そして電話番号を記入して、アルコール消毒、検温をしなければならなくなった。こんな時代が来るとは想わなかった。人生のファイナルでウイルスの脅威を知らされたことで少しは謙虚になれたかと思いながら150メートルの道を歩いた。
二枚目三枚目写真はフイルムカメラで撮ったものです。床屋の数が減ってコンビニが増えた。

















