中島省三の湖畔通信

琵琶湖の日?

2020/11/25

湖岸ポタリングで浜大津湖岸を走っているとゴミ袋とゴミバサミを持って湖岸清掃をしている人を見かけた。そして打出浜では琵琶湖の日、そして7月1日と書かれた横断幕や幟があり大勢の人を見かけた。今年はコロナ禍の影響で本来なら7月1日だが今日行われた事がわかった。1980年に滋賀県が定めた富栄養化防止条例を記念して7月1日が琵琶湖の日、と決められたてから、清掃活動が続いる、ゴミ袋にはプラゴミが多く見られた。プラスチックのゴミでの海洋汚染が問題になっているが琵琶湖でもマイクロプラスチックの問題も起きていると聞く、何時も通る湖岸の自動販売機のゴミ箱が溢れたペットポトルが転がっているのをよく見かける、河川から大量のプラゴミが琵琶湖に流れ込む量も多いのではと思った。湖岸近くには自動販売機の数も多くあり環境問題を考えるなら数を減らす事も考える時に来ているのではと思った。そして今日の夕刊(朝日)の第一面を見て驚いた、絶対に動かしてはならない高浜原発の40年超え老朽原発の再稼働を地元が同意した、記事を読み悲しくなった。原発から出る放射能のゴミは処理することもできずに蓄積されるばかりだ、原発はトイレのないマンションと言われ続けている人の命に関わる危険なゴミ問題を解決することもなく最も危険と言われている老朽原発を再稼働するなんて正気の沙汰とはおもえないと怒りが増すばかりだ。今日は琵琶湖の夕景を見ても心は鎮まらなかった。

琵琶湖に水上飛行機が

2020/11/24

1972年に浜大津京阪レークセンター湖岸にあった遊覧飛行をする関西航空が撤退してから水上飛行機(遊覧飛行)は見ることはなかったが、今日、大津市が国の助成金を利用して水上飛行機の試験遊覧が行われた。僕は詳しい情報は無かったが、今日の湖岸ポタリングをしている時に、におの浜の遊覧桟橋で久しぶりに湖面に浮かぶ水上飛行機を見て自転車を止めて近づいた。すでにマスコミや大勢の人が来ていて湖岸は賑わっていた。飛行機は水陸両用機のアメリカ製のコディアック100と分かった、エンジンはターボプロップいわゆるジェットだ、機種部分はスマートな顔をした飛行機だと眺めていると関西航空で水上機ビーバーを操縦していた魚谷さんの顔が浮かんできた。海軍でテストパイロットをされていて何回か操縦席の右に乗せてもらって時々、操縦桿を握らせてもらった事が懐かしく浮かんできた。桟橋を見ると客を乗せた水上機が軽やかなエンジン音を響かせ離水地点へと向った。カメラを出してズームを望遠にするも距離が遠すぎて水上機が小さく見えた。風はウインドカムで殆ど無く水上機は少し離水する距離がのびてテイクオフした。仮設桟橋からの乗り降りと準備が大変だなとおもいながら飛行機の行く手を追った。高度は900メートルぐらいで比叡山を超えて京都上空へと消えた。暫くして長等山上空に飛行機が見えた。水上機はダイレクトに湖面には向かわずトラフィックパタンを使って着水した。規則通りのフライトは安全の為必要だが見ている方は退屈だ、管制圏外だからもっと自由にやれば良いのにとおもった。ビーバー機を操縦していた魚谷さんなら自由なパターン着水するのではと、おもった。そして良く飛行機を見ると窓には撮影窓はなく単発のコミューター機で旅客専門の飛行機では写真撮影もできないのではと撮影窓の無い飛行機を見た。そしてテレビのニュースが水上機の観光事業を伝えているが、僕は採算の取れない観光事業になるのではとパンフレットの値段を見ると30分間の遊覧飛行料金が、お一人大人2万円とあった、お金持ちが多く来ればの話だとおもうが・・・過去の関西航空も利益を出すこと無く去っていった事をおもいだした。琵琶湖は観光事業ばかりで、成り立っているわけではないと冷ややかに飛び去る飛行機を見送った。

静かな大津の今・・・

2020/11/23

GOTOトラベル、イートそして割引きクーポンどれも吾輩には関係ないと無視するも、テレビが観光地の大混雑、そして割引きクーポンに並ぶ人達の大行列を映し出している映像は否が応でも目に入ってきた。コロナ対応で色んなコメンテーターが正論を語っていた。GOTOで旅する人、食す人、コメントする人、皆んな生きているんだなと、そしてウイルスも生きているのだと空を見上げると雲が東へと、僕は全部自然だと呟いた。誰かが以前の様な暮らしには戻れないと語っていた、コロナウイルスがホモ・サピエンスに与えた試練を乗り越えた先には新しい暮らし方が待っていてくれると信じる他ないと思った。今日の三井寺の散歩も広い境内はソーシャルディスタンスなど考える必要のない安全な観光地は大津の誇り?でも少し寂しく感じた、でも安全を考えてか、出会う観光客はマスクを着けて歩いている、湖岸もマスクなど必要のない安全な空間が広がっていた。商店街もひっそりとコロナ騒ぎとは無縁のようだ。時が留まった様な町は、ポストコロナの時代を想像させてくれているようだ。アーケードを抜けると青空が少し広がって町を明るく照らした。そして静かな我が町が少し好きになってきた。

写真は全てフイルムカメラで撮った大津叙景です。

人生の最後に食べたい”おやつ”は、なんですか

2020/11/22

人生の最後に食べたい”おやつ”はなんですか・・は本の帯に書かれている、キャプションだ。イオンにある本屋でプレゼントする本を探していると目に飛び込んできたのが、本の帯のキャプションに思わず手が伸びた。そして二冊買った、と言うのは自分も読みたいからだ。その後プレゼントした人から素晴らしい本でしたよと言われてから読んだ。僕はエッセイで人生の最後に食べる色んな、おやつ、のエッセイかと思っていたから、小説「ライオンのおやつ」(小川糸著)のページを開いて小説だと分かった。物語は30歳過ぎの女性が癌に侵され余命はあと僅かで終末医療を受けるため瀬戸内の島へ向かうところから物語が始まる、淡々としたケアハウスのでの生活の中で死を見つめながら暮らす主人公の葛藤、ケアハウスのスタッフの優しさ、そして食事の美味しさが紙から漂ってくる、おやつも患者からのリクエストで作られ死を間近に控える人達に提供される、最後の、おやつ、はどれも素晴らしいとおもいながら、自分なら何をリクエストするかなと・・多分、美味しい水、お酒でなく、本当に水だとおもった。次々と亡くなってゆく患者達は静かに安らかに旅立ってゆく終末ケアの様子は理想的な死の向かえ方にも思えるが、誰もが死は安らかに向かえたいと願うが、無理ではないかとおもいながら本を閉じた。そしてメメント・モリ(藤原新也)を思い出した。死をおもう・・人生の色々な死の場面の写真と文書で綴られたメメント・モリは死を客観的に見ながら一番死は何時も身近にあると感じる本には魅力感じる、そして「ライオンのおやつ」、の方は死は考えるものではなく何時か誰にもくるもので命ある限り生きようとおもう小説ではとおもった。でもメメント・モリも必要だとおもった。

コロナ第三波の中・・観光船は賑わっていた、湖岸の楓も紅く染まった。

和田神社の大銀杏

2020/11/21

湖岸ポタリングで膳所由美浜まで来ると町の家並みの上に顔を出して存在感を今も表している和田神社の大銀杏の木が色づいているのに気づいた。今は由美浜と言われているが以前は和田浜だった。総合開発で埋め立てられた人工の浜は、サンシャインビーチとも呼ばれている場所から和田神社まで自転車で五分とはかからずに行ける距離だ。1978年に大津市の天然記念物に指定された名木だ。門を入ると右側に天を圧する高さで参拝客を向かえてくれる銀杏の木の高さは24メートルもあり高い建物の少い膳所では目立っている、江戸時代は湖上交通のランドマークとして利用されたと言われている木は周囲4・3メートルで近づくと大きさに驚く、そして伝説では1600年(慶長五年)天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いで破れた西軍の将石田三成が伊吹山の麓で捕らえられて、京都へ護送される途中、休憩に立ち寄った際に此の銀杏の大木に繋がれたと名木の脇の説明版に記してあった。樹齢600年と言われる銀杏の傍に立ち敷き詰められた美しい銀杏の黄葉と大木を見ていると、僕の小さな悩みなど吹っ飛んでしまった。帰路、旧道を自転車で走っていると、義仲寺の紅葉が僕を誘ってくれているように感じて自転車を止めた。本当に久しぶりに境内に入り、静寂な佇まいは流石、芭蕉さんの墓所と感心しながら辺りをゆっくり観賞させてもらった。政府が推薦するGOTOトラベルで賑わう京都の混雑を思い浮かべコロナを心配せずに観光できる大津は健康観光都市ではとおもいながら自転車で静かな町を走った。 

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