中島省三の湖畔通信

夜明け前・・・・

2021/07/06

「夜明け前」は有名な島崎藤村の小説、と言わなくても多くの人が知っているが意外と読んだ人は少ないと聞いている、そして僕も読んでいない一人だ。子供時代から落ち着きがなく、机に向かい宿題、そして読書などした記憶がないくらい勉強嫌いだった。高校生では夏休みの課題図書も読んだ記憶もないくらい本を読まなかったと無駄に過ごした少年時代を思い出し、最近の読書熱?に自分が驚くくらいだ。そして「夜明け前」島崎藤村」を読む、きっかけを作ってくれたのは、友人MOROさんだ。シグナル(SMS)で会話している時にMOROさんと本の話になり、僕が長編小説の話をした折に、MOROさんが、長編なら「夜明け前」をパソコンで読んだと、そして小説は大変に長く時間が掛かったと、聞いて興味を感じたからだ。最近は新刊本をよく買うので、たまにはブックオフや古本屋で探そうと、出かけるも見つからず、やむなく中井書店で注文した。第一部の上下を今日、受取、読み始めた次第だ。時代は江戸から明治へと進む日本の地方、木曽での物語は、外国の翻訳本よりも、出てくる人の名前が日本人なので違和感なく初めから物語の中へ入って行けた。何よりも時代は消費経済文明の洗礼を受けていない時代の、ほっとする長閑な時の流れが本から溢れ出て来そうで嬉しくなった。やはりホモ・サピエンスの時間感覚は歩くスピードが基本と納得した。人間の普通に歩く時速4・5キロでの行動範囲は時間を掛ければ意外と広いのだ。小説の舞台木曽路は身近な場所だと親しみを感じながらゆっくりと小説を楽しもうと思った。

浜大津の毒キノコ、オオシロカラカサタケの様相は毒キノコへと変化した、キノコの襞を良く見ると虫がいる、毒はと大丈夫なのかと写真を撮った。西部百貨店も階段の一部が残り過去の繁栄の影すら消えていた。

マジョリティ・・・マイノリティ・・・

2021/07/05

最近、読んだ小説、「正欲」は朝井リョウ氏の作家生活10周年記念の長編小説だ。軽い気持ちで読み始めたが、マイノリティとマジョリティの問題が小説の主題で深く考えさせられた。社会的多数派の正義が少数派を圧倒していまっている社会の不条理は今に始まったことではないが、何時も自分を殺しながら多数派社会の中で肩身を狭くして生きるマイノリティは表面的には幾分改善されたようにも見える社会だが・・・時折、メディアが問題を報道しているが本質的な部分は伝えられていないのではと思った。マジョリティ側が社会正義を振りかざしマイノリティを排除してゆく社会は今も続いているのではと本を読み終えた。そして、小説の最後の方で、マイノリティが発する言葉、どうせ説明したところであなたにはわからないよ。の言葉がマジョリティに理解できる時がくるのだろうかと思った。

今日の新聞、東京都議選では多数派が多くを占めていた。湖岸では除草作業でヒメジオンは刈り取られた。植物の世界でも少数派は・・・・

オオシロカラカサタケ

2021/07/04

今日も湿度が高く、湖岸ポタリングには不向きだと、少し躊躇したがデジカメを自転車の前籠に入れて湖岸へ向った。此の時期、写真に撮るモノを探すのも大変だと思っていると道路近くの草むらに大きなキノコを見つけ自転車を止めた。グウグルレンズを当てると毒キノコのオオシロカラカサタケと出た、そして中毒症状は激しい下痢とあった。大きな白いキノコはシロツメグサを従えた植物界の独裁者の様に見えた。近づいて良く見ると美味そうに見え、大きな白パンの様だとデジカメで撮った。昨日、通った時には影も形も無かったのに、数時間の内に之だけ大きなキノコに成長するキノコ菌糸のパワーは何かに役立てば良いのにと・・・例へばコロナウイルスを殺っけてくれたらキノコ界のスーパーキノコになれるのにとキノコを見た。そして夕方近く、キノコの側を通るとオオシロカラカサタケはシロツメグサを従え、堂々と其処に鎮座していた。流石、毒キノコ、と存在感を認めながら通過した。

梅雨本番

2021/07/03

大雨の影響で各地で大きな被害を伝えるニュースを見た。熱海で起こった土石流の映像を見て被害の大きさに驚いた。土石流は何処でも起きると言われている、僕の住む町も長等山の麓でハザードマップでは危険地域に入っているから心配だ。以前にも土砂が流れ家の前は大変な状態になったことを思い出した。地球温暖化の影響で台風も超大型になり、それに加えて雨量の増加らにより予想を超えた災害が起きると覚悟だけはしておかねばと思った。打出浜湖岸から見る琵琶湖の水位は低く大雨が降っても余裕をもって受け止めてくれるのではと雲の垂れ込める琵琶湖を見た。浜大津港ではビアンカ号が修学旅行生を乗せ、久しぶりの運航だ。コロナ禍の影響で明るい気分にはなれないが、湖畔のアオサギを見ていると、何も持たぬ者の気高さを見て羨ましくなった。

急からしい時代

2021/07/02

最近のニュースで知った、ファスト映画を楽しむ人達は急からしく生きているから映画を見るにも時間を掛けられないのかと今の時代を振り返った。ファスト映画とは二時間の映画をダイジェスト版の10分で鑑賞できる様にしたモノをファスト映画と言うらしいが、記事では制作会社に無断で勝手に編集加工したファスト映画を販売して巨額の利益を得たと記していた。もちろん検挙された事も記事に在った。書籍の世界でもダイジェスト版が出現している事も知った。僕は急からしい時代だから、敢えて小説も長編を読んで急からしい暮しから開放されたいとおもっている、そして僕は毎日写真を撮るが、直ぐに画像が確認できるデジタルカメラよりもフイルムカメラの悠長な撮影スタイルが今でも好きだ。60年も昔なら、カラースライドフイルムで撮影するとコダックならアメリカまで現像に出さなければならなかった時代で、撮影結果は一月後にしか分からなかった。被写体を記憶した脳が出来上がってきたスライド写真と見比べ、写真の記録の素晴らしさに感嘆した事を懐かしく思い出してきた。そして先日、三井寺観音堂で行われた護摩焚きを撮影させてもらった時、フイルムとデジカメで撮った。デジカメは其の場で確認して自分の脳内のイメージよりも明るく写っていた。フイルムは数日後に現像に出し、画像を確認するとイメージに近い写真が撮れていた。写真を見ながらマニュアルで距離と露出を决めて撮るフイルムカメラはシャッター以前の思考時間があるが、デジカカメの方は全てカメラ任せで、構図を決めるだけで、次々と指が勝手にシャッターを押して写真が撮れてしまう時代は急からしいとおもった。

護摩の撮影ではご協力いただいた僧K氏に此の場を借りてお礼を申し上げます。

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