中島省三の湖畔通信

三井寺の猫?

2021/06/16

僕は犬派で滅多に猫の写真は撮ることがなかったが珍しく猫の写真を撮った。犬は飼ったこともあり思い出もそれなりにある、セパード犬は少年時代と26歳の時と二度あり、二度目に飼ったセパード犬は訓練学校に出したこともあり、安心して散歩が出来た。命令通りに動き言うことも聞いたが犬にとってはストレスがたまったのではと反省している、三度目の柴犬は散歩と食事以外は呼んでも来なかったから、犬権?を持っていたのではと、可愛げのない愛犬を思い出した。最近、近くでは野良猫を見ることがないが、三井寺で見かける猫は野生の逞しさを感じる歩き方で境内や林の中で見る時も在る、数は4〜5匹は見かける事もあった。犬と違い、百獣の王ライオン・虎・豹らを想像させる歩き方は町中で見る飼い猫とは随分違うように見えるから不思議だ。正しく猫権?を持っている様だ。先日、志納所で見かけた猫は決まった係員の人から餌をもらいに来ていたところを三メートルから撮ったが、すぐに逃げた。三井寺の猫は馴れた人からの手から直に餌を受け取らないと係員が言っていた。境内には数十年前は野良犬もいたが駆除されたと記憶しているが猫は境内で猫権?を得て大丈夫のようだ。そしてパソコンで犬と猫の何方が多いのかと調べると、まだ犬派の方が多いようだ。そして湖岸で見かける犬たちの中には服を着たり靴まで履いているものを見かけると、僕は三井寺の猫の方が猫生?を生きているとおもった。そして何時までも三井寺の境内で半野生を楽しんで欲しいと猫にエールを送った。

三井寺の菩提樹

2021/06/15

今日は友人のIさんを案内して三井寺の一切経蔵の傍らに在る菩提樹の花を見に行った。一切経蔵に近づくと、エキゾチックな香りを漂わせながら菩提樹はたわわに花を咲かせ凛とした佇まいで立っていた。花の香りまでは写真には映し込めないとIさんと菩提樹の花を撮った。三井寺の菩提樹は多分インド産クワノキ科ではと思うが自信はないと香りを嗅いだ。家に帰りパソコンで調べると、有名なドイツ民謡の菩提樹はセイヨウシナノキとあり、中国ではシナノキ科の菩提樹だとあった。三井寺の菩提樹は何科なのか明日、木に訪ねてみようと思った。朝の散歩では展望台近くで赤い小さな苺を見つけた。子供の頃、三井寺の林の中で見かけたヘビイチゴではと思いながら写真に撮った。そして食べた記憶もあるのではと思った時に口の中に酸っぱさと甘みを感じた。でも食したかは定かではないと、赤い苺の実を見た。美味しそうだ、でも口に入れることなく帰宅した。

遅ればせながら「森の生活(ウォルディン)」を・・・

2021/06/14

昨日、26年も前に買っておきながら読むことがなかった本を、手に取ったことは昨日の湖畔通信に経緯を書いたが・・・もし1996年、買った時に読んでいれば僕の映像作品も少しは変わっていたのではと思った。「森の生活」の作者ヘンリー・ディヴィッド・ソローはアメリカ合衆国マサチューセッツ州コンコードに1817年7月12日に生まれてから1862年に没するまで小さな旅行や探検以外にはコンコードを離れることがなかったと記してあった。1845年にハーバード大学を卒業するも大学に残り研究を続け、1845年に大学を離れ、輝かしい経歴を捨てて人里離れたコンコードで暮らし始めた。そして森の生活はウォールデン湖の森で暮らした二年と二ヶ月の暮らしをまとめた本が森の生活だ。170年も前に記された本を昨日から読み始めたばかりだが、一人で森の中で暮らす姿は、方丈記の鴨長明とオーバラップしてくるが、此方は百七十年前で、現代で方丈記の時代と違い生活も今と余り違わないから今の社会の暮らしと比べやすく、便利なモノの無用さを考えながら読んでいる、如何にモノを欲しがる事で自分の生き方が束縛され、モノ(家・お金・資産・車)を持つことにより借金を返済するために貴重な時間を一生捧げねばならない資本主義経済の問題点を簡単で明瞭な言葉で語っているから疲れずに読み進んで行けると今日も少し読んだ。僕の好きなホセ・ムヒカ元大統領も読んだではとおもうほど賢者は似ていると思った。

今日の琵琶湖周辺には積乱雲の姿が見られ、もう夏だと実感した。

久しぶりに天声人語を・・・

2021/06/13

天声人語は言わずと知れた朝日新聞の顔みたいなものだったが。最近は読むことも少なくなった。何故か今日は天声人語に目が行った。書き出しは、森の木々たちが考える以上に「利他」的なのかもしれない。ドイツの森林管理官を務めたペーター・ヴォールベンさんの著書「樹木たちの知られざる世界」に、古い切り株の話が出てくる・・・として本の中に出てくる話を紹介していた。樹木が見えない地下では根が繋がって弱った木には元気な木から養分が送られ古い切り株が朽ちること無く生き続ける、植物の世界でも利他的な活動がおこなわれていとして、今、コロナ禍での世界の繋がりの有り様も利他的にワクチン接種も恵まれた国だけが行うのでなく平等に世界の貧しい国へも配分される事を木に例えて結んでいた。今日は何故か新聞を読む前に、三井寺の散歩では境内には、大きな木の根っこが露出しいる場所があり、以前にも写真を撮ったことがあるのに、また今日も其の場所に向かい、写真を撮ったのは何故と思いながら湖畔通信を書いているのは木に誘われたからではと思った。そして「樹木たちの知られざる世界」を注文しよう决めた。本棚を見ると「森林の荒廃と文明の盛衰」そして「森の旅 森の人」と「森の生活」の背表紙が目に入った。環境問題には興味をもっていたので買っておいって読まなかった本に気がついた。まず「森の生活」(ヘンリー・D・ソロー著)を手に取った。25年も前に買っておきながら読もうともしなかった自分に恥ながらページを開くと本の世界へ誘われた。時間が掛かるが読もうと思った。

協力し合う樹木が力強く見えた、写真は三井寺にて今日撮影。

久しぶりに新聞を読んだ。

2021/06/12

最近、購読している新聞(朝日新聞)もめっきり読まなくなった。面白くないからだ。でも今日は違った。でもインタビュー欄の記事だ。五輪はどこへ 中途半端な国 日本 の見出しに引き込まれた。社会学者の佐藤 俊樹さんがインタビューに応えた本文を納得しながら読んだ。我が国の伝統である、中途半端さは戦前から今も続いていると実感した。太平洋戦争、原発事故、公文書偽造らと上げればキリがないと、誰もが責任を取らずに何事も中途半端で有耶無耶に終わらせてしまう此の国の政治と社会の有り様、そして僕ら市民も中途半端さも自覚しなければならないとおもった。オリンピック問題も論理的に説明されること無く、賛成、反対と感情だけを伝えるメディアも中途半端で独自に取材してオリンピックの開催か中止かの問題提議ぐらいはして欲しいとおもうが政府お抱えのメディアでは望むも空しいことだと思った。もう大国でない コロナも五輪も 二兎追えぬ現実 の大きめな文字が日本の現実を表していた。


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