21世紀は明るいか・・・
2020/07/02
21世紀になって20年が過ぎた。何か新しいことが起きるのかと期待したが悲しいかな悪いことの方が多いのではおもった。コロナウイルスは衰えを見せずに地球上で猛威を奮ったままだ。今日は東京では感染者が百人を超えたとニュースが伝えていた。伝統的なお祭りや行事が中止になってゆく状況は社会にとって本当に良いことなのかと考えた。今日、全東洋街道(藤原新也)下、を読み終えた。20世紀末の東洋のカオス的でダイナミズムを感じるニンゲンが生きた社会の見えない部分、闇が見え隠れした時代には息苦しさを感じないのは何故だとおもいながらフイルムで撮られた闇の写った本の写真を見た。新型コロナウイルスによって世界は大きく変化させられて、ニンゲンが一段上へ進歩すれば良いのだがと思うが、まだニンゲン世界は経済優先で人命軽視を続けモノの豊かさを求める方へ進む事を諦めないようだ。地球の資源も限り在ることは分かりきった事だ。プラスチックゴミの海洋問題などは人間側で解決出来る事を未だに拱いているのが現状では人類の未来はないとおもった。今日の湖岸ポタリングでは日常に戻った浜大津港の風景を写真に撮った。
匂いの思い出・・・
2020/07/01
湖岸ポタリングで浜大津港に来ると賑わっていた。今日からコロナ休業で運休していた観光船ミシガン号が再開された事を受け多くの報道機関も訪れて辺りは賑わっていた。湖岸を走っていると白い花を付けた樹が目に入り近付くと金木犀の香を感じた。もちろん金木犀ではない、スマホを出しグウグルレンズで検索するとトウネズミモチとでた。暫らく写真を撮っているとトイレの芳香剤の匂いに変わった。そして手を見ると写真を撮る時に触れたのか黄色い花粉が手についていた。花を近づけると強く臭った、そしてクシャミが出た。軽いアレルギー反応と思い樹からはなれた。帰宅後、手を洗うも匂いは消えなかった。午後は中井書店へ注文しておいた本「全東洋街道」上を取りに出かけた。そして気だるい梅雨の午後にはピッタリの本と読み始めた。そいて第一章イースタンブールを読み終えたときに、この本から感じ取れる匂いと言うより臭いが漂ってくるのは何故とおもった。パソコンやスマホから匂いや臭いを感じ取れないのはバーチャル世界だからではと・・少年時代の臭いや香りを思い出してきた。蒸気機関車や蒸気船が黒煙を上げて走る姿を思い浮べると鼻元に油煙の匂いが漂ってきた。ホタルの匂いはクワガタやカブトムシとは違った匂いだった、勿論、近くの田畑からは人糞のにおいが漂ってくる時代は町中でも藤原新也が語る全東洋街道の様に匂いや臭いが漂っていた。そんな時代には戻る事は出来ないが香や臭いのしないバーチャル空間の様な社会は本当にニンゲンが豊かに暮してゆけるのだろうかと湖岸で咲いているトウネズミモチの花の匂いを思い出してきた。
三井寺如意輪観音像
2020/06/30
今日は三井寺の如意輪観音像ご開帳の最終日だ。生憎の雨だが僕が散歩で観音堂に着くと多くの人が訪れ賑わっていた。最終日とあって僕も参拝させてもらった。次のご開帳は多分、現世にはいないと思いながらお堂を出た。そしてポスターの如意輪観音さまをソール・ライター風の写真にとビニール傘ごしに写真に撮らせてもらった。雨脚が強くなった境内を歩き蓮池に向かった。池では鯉が元気よく泳ぎまわっていた。午後は「全東洋街道」藤原新也著の続きをよんだ。今から37年前のアジアの様子が写真と文章で伝わって来る、そして現代のアジアはどの様に変化したのかと思うも新聞やテレビの情報では心もとないが人の精神や感情は著者が旅した頃とは変わっていないのではと思いながら読み進めた。本の写真からは匂いやニンゲンの暮らしが感じ取れ1980年代の中国や韓国での庶民の暮らしぶりが伺えた。最後は日本の高野山で全東洋街道の旅は終わった。著者が37年も前に記した本が今の時代に読んでも古く感じないのではと本を閉じた。本の中にあった、人間の自己制御装置は修理されないままだとおもった。そして本の最後の方で今の時代はきっと鬼を必要としているのかもしれない。いや観音かも知れない。私たちは今、笑っているが何かが寂しい。孤立している。共同幻想を求め合っているようにも見える。・・・バーチャルが時代を征している現代は著者が語った、時代よりも遥かに悪くなってしまった。嘘が蔓延るこの時代は観音さまより閻魔大王にお出まし願いたいと思った。
円が見える風景?
2020/06/29
今日は写真に行き詰まった。三井寺の散歩でも何も被写体が・・やっと駐車場で時計の名残を残す円形の時計跡?を撮った。湖岸ポタリングでも湖岸トイレの円形窓を撮っているとハトが上手く入ってくれた。僕は円よりも球体が好きだ、でも球技はからきしだめだ。ボールと言えば飛行機に付いている旋回計のボールが唯一親しみがあると懐かしく飛行機に熱中した時代を思い出した。そして曲がりくねった道や険しい道を歩かずに直線で目的地へ向かったことを少し反省する機会が出来た。それは藤原新也著「全東洋街道」下を読んでいるとき思った。球体の地球は歩き続ければ目的地つけることは人類の歴史が証明しているが、何よりも藤原新也氏が全東洋街道を走破したことにも驚くが、訪れた場所の多さと歩いた距離、そして道の険しさ、人との出会いが語る言葉のリアリティーの凄さは歩いた人にしか書けないとただただ感心するしかなかった。旅をしていない僕が語ることなどたかが知れていることは分かっているから・・・せめて残された時間、近くを歩いて身近な場所を尋ねて小さな旅を楽しみたいと小さな円形の中を廻るのも良いと思った。そして飛行機ならサンテグジュペリの時代なら冒険飛行ができたのにと50年以上も前の飛行少年時代を思い出した。
グウグルレンズ?
2020/06/28
最近、散歩や湖岸ポタリングで花や生きものを見つけて名前が分からないとグウグルレンズで検索するのが常だ。今日も浜大津港近くの湖岸で小さな花を見つけグウグルレンズで検索するとヤブガラシと分かった。最初、見た時はナガエツルノゲイトウの傍らで咲いているので外来種ではとおもっていたが在来種と安心するも,ヤマガラシの別名ビンボウカツラは繁殖率が強く当たり一面を覆ってしまう困った植物だと分かり、外来特定生物のオオバナミズキンバイやナガエツルノゲイトウと同じ様なものかとおもうと写真を撮るのも興味が半減した。でも植物には罪がないと小さな花に目を向けた。午後は三井寺の茶房へ、今日はモリアオガエルの姿は見えないと池面を探すと鈍色の少し大きなカエルが二匹確認できた。写真を撮ってからケイタイのグウグルレンズで検索しようと近付くと逃げられた。敵も然る者、なかなか水面には顔を出さなかったので諦めた。モニターで確認すると不気味な鈍色のカエルが写っていた。モリアオガエルは無時なのかと辺りを探すも姿は見えなかった。

















