中島省三の湖畔通信

湖畔叙景

2024/10/17

湖畔叙景は使いやすい言葉と感謝している?上手く言葉が出ない時は此れだ。今日は望遠ズームを付けたデジイチで渡り鳥を撮ろうと出かけた。浜大津湖岸から湖上を眺めても水鳥に姿は無く僕の目論見は外れた。望遠で撮るものはないかと探すも見当たらず湖岸をポタリングした。におの浜湖岸では釣りの常連さんに出会った。近くにはアオサギが止まって辺りの様子を伺っている、常連さんにがアオサギの近くに釣った小魚を置くも捕ろうとしなかった。誇り高きアオサギは違うなと思った。でも地面の小魚を常連さんが湖面に返すと直ぐに飛んで魚を獲って飛び去った。地面の小魚は砂が付いているから食べなかったのかと賢いアオサギだと思った。辺りの湖岸ではコサギがせっせと餌を探していた。湖面を見ると漣の湖面と鏡の様な湖面そして雲が映っていた。風の微細な動きが作る美を愛でた。ただ其れだけで十分と琵琶湖を眺めた。

美しい雲の風景

2024/10/16

雲が多く雨も予想されていたお天気は夕方には晴れた。天候の変わり目の気流が美しい雲の風景を見せてくれた。湖岸に佇んで琵琶湖の上空の雲など楽しんでいる人は見当たらなかった。衆議院の解散による選挙が始まったが滋賀県内の各党の候補者は今日の夕方、琵琶湖岸で空を見上げて素晴らしい雲の移ろいゆく姿を楽しむ事はなかったと思う、今地球上で起きている温暖化による気候変動などには触れず経済優先で生活の豊かさを追い求める政策では未来の幸せは来ないと思いながら琵琶湖の夕景を楽しんだ。

朽ちるモノ壊されるモノ

2024/10/15

打出浜琵琶湖文化館横の桟橋が朽ち果てる姿には郷愁や哀れを感じる一方で北国街道沿いの料亭の解体には時の流れ感じるだけなのはコンクリートと鉄では人が哀れや郷愁を感じる時間枠が違うからか?それとも破壊と朽ちてゆことの違いかと両者を見ていると命は破壊されるよりも静かに朽ちて行く方が相応しいと思った。京阪石坂線三井寺駅の踏切で機関車トーマスのラッピング電車を眺めていると郷愁も哀れも吹き飛んでしまった。

祭りは終わった・・

2024/10/14

祭りが終わり昨日の賑わいは時の流れの中へ消えた。僕はお祭り始まりよりも終わりの空しさの方が好きだ。賑やかな祭りも終われば何も残さない静かな佇まいの空気感が好きだ。大津の商店街も元の静かさに戻り何故かホッとした。湖岸も連休の最終日なのに静かだった。華やいだ町に暮らすよりも静かな町で静かに暮らせる幸せが良いと思うこの頃だ。湖岸に佇んで空を見上げると飛行機雲が多く見えお天気が下り坂と教えてくれた。

大津祭曳山巡行

2024/10/13

今日は大津祭の曳山巡行の日だ。秋晴れの下、天孫神社に13基曳山が勢ぞろいした姿は壮観だ。其の姿を写真に撮っていると35年前、大津歴博の依頼で大津の祭りの映像記録を撮っている頃を思い出した。僕は40代後半で思いべカム(業務用ビデオカメラ)を担いで若いスタッフたちと大津祭を撮影を熟していた。でも今持っているデジカメはズームレンズを外した単レンズの軽いデジイチでも重く感じるこの頃だ。曳山に携わる人達も随分と変わり顔見知りも少なくなった。知っている報道カメラマンもいなくなった。知った人に出会うのも少なくなったり浦島太郎の気分だ。でも撮影意欲はあり80枚ほどシャッターを切った。湖畔通信に使う写真を選んでいるが納得の写真は少なく自分のイメージと離れた写真が多いと思った。お祭り日和で大津の商店街も随分と賑わっていた。

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