言葉がない・・・
2020/07/05
九州熊本の球磨川氾濫による水害のニュースを見て被害の大きさに驚くばかりで言葉を失った。何もできない自分はただ黙するしかないと、そして被害に合われた方の無事を祈るしか無いとおもった。午後、湖岸ポタリングへ向かうと、梅雨の晴れ間が広がった琵琶湖を見ていると九州での大雨が想像できないほど穏やか姿の琵琶湖を眺めた。帰り道、久しぶりに大津絵の道に寄るとムクゲの花が青空に向かて咲いていた。ムクゲ、ハイビスカスそして芙蓉の花は皆、仲間だ。ムクゲは韓国の国花と聞く、ハイビスカスはハワイの州花そして芙蓉は日本?中国で咲いている、ニンゲンも花のように国境など作らずに何処でも好きな時に咲く自由さがあればと思いながらムクゲの花をデジカメで撮った。そして青空に向かって早く梅雨が開けてほしいと願った。
梅雨前線
2020/07/04
九州地方に停滞した梅雨前線の影響で九州は大変な被害が起きた。これ以上災害が大きくならないことを願いながら夕刊を読んだ。滋賀県も琵琶湖が在るからと言って安心はできない過去には琵琶湖が溢れ大変な被害が起きた歴史があり油断大敵だ。朝の散歩で向かう三井寺の山も危険区域になっている事をハザードマップで知った。身近な所に危険な箇所が在ることを認識した。境内を歩いているとアオサギが頭上の樹に留まっているのが見えた。雨に濡れたのか毛づくろいをしていた。何時ものアオサギくんではと見上げた。一度アオサギ君に話しかけ自然の厳しさなどを聞いてみたいとおもった。午後、雨が小止みになったと湖岸ポタリングに出かけて直ぐに雨が降り出した。レインギアで装備しているから雨は大丈夫と走っていると長靴なのに中が濡れるのに気づき、留まって長靴を見ると経年変化で劣化していた。足下の注意を怠っているようでは心もとないと、自転車を大津京モンベルへ向けた。毎日、履く靴は良く歩くので一年と持たないが長靴は雨と雪の日だけと6年近く使えば劣化もすると納得して同じ形の長靴を買った。夕食後、空の雲に誘われて湖岸へ向かうと素晴らしい夕景に出会えた。沈みがちの気分が明るくなった。ニンゲンは単純なものだと・・・それでいいのだ人生は・・・
コロナ第二波・・・
2020/07/03
最近、コロナ感染者が増え第二波がと少し心配になってきた。幸い滋賀県での発生数は少いが都市圏に近接しているから注意しなければと思った。暑さと湿度の高い夏ではウイルスも活動できないのではと思っていたが一向に衰える気配を感じない新型コロナウイルスの脅威と夏の猛暑のダブルパンチを乗り切る自信はないが、あまり無理をせず体力の消耗を抑えるぐらいが僕の自衛策だ、そしてマスク、手洗い、混雑する場所を避けることは守ろうと思った。今日は雨、湖岸ポタリングはお休みにして、体力温存とパソコンの中の写真を整理した。そして夕方にパソコンの師匠茂呂さんにスマホメッセンジャーでリナックスになったパソコンでの写真加工の手ほどきを受けた。パソコンとスマホを使ったオンラインで授業を受けているように思った。IT機器を触っていると気分が少し若返ったのではと手を見ると血管の浮き上がった80歳の爺がぎこちなくキーボードを操作すると21世紀に生きている実感が小さな音として耳にはいると背後に風を感じた、その風には20世紀の懐かしさを感じた。
21世紀は明るいか・・・
2020/07/02
21世紀になって20年が過ぎた。何か新しいことが起きるのかと期待したが悲しいかな悪いことの方が多いのではおもった。コロナウイルスは衰えを見せずに地球上で猛威を奮ったままだ。今日は東京では感染者が百人を超えたとニュースが伝えていた。伝統的なお祭りや行事が中止になってゆく状況は社会にとって本当に良いことなのかと考えた。今日、全東洋街道(藤原新也)下、を読み終えた。20世紀末の東洋のカオス的でダイナミズムを感じるニンゲンが生きた社会の見えない部分、闇が見え隠れした時代には息苦しさを感じないのは何故だとおもいながらフイルムで撮られた闇の写った本の写真を見た。新型コロナウイルスによって世界は大きく変化させられて、ニンゲンが一段上へ進歩すれば良いのだがと思うが、まだニンゲン世界は経済優先で人命軽視を続けモノの豊かさを求める方へ進む事を諦めないようだ。地球の資源も限り在ることは分かりきった事だ。プラスチックゴミの海洋問題などは人間側で解決出来る事を未だに拱いているのが現状では人類の未来はないとおもった。今日の湖岸ポタリングでは日常に戻った浜大津港の風景を写真に撮った。
匂いの思い出・・・
2020/07/01
湖岸ポタリングで浜大津港に来ると賑わっていた。今日からコロナ休業で運休していた観光船ミシガン号が再開された事を受け多くの報道機関も訪れて辺りは賑わっていた。湖岸を走っていると白い花を付けた樹が目に入り近付くと金木犀の香を感じた。もちろん金木犀ではない、スマホを出しグウグルレンズで検索するとトウネズミモチとでた。暫らく写真を撮っているとトイレの芳香剤の匂いに変わった。そして手を見ると写真を撮る時に触れたのか黄色い花粉が手についていた。花を近づけると強く臭った、そしてクシャミが出た。軽いアレルギー反応と思い樹からはなれた。帰宅後、手を洗うも匂いは消えなかった。午後は中井書店へ注文しておいた本「全東洋街道」上を取りに出かけた。そして気だるい梅雨の午後にはピッタリの本と読み始めた。そいて第一章イースタンブールを読み終えたときに、この本から感じ取れる匂いと言うより臭いが漂ってくるのは何故とおもった。パソコンやスマホから匂いや臭いを感じ取れないのはバーチャル世界だからではと・・少年時代の臭いや香りを思い出してきた。蒸気機関車や蒸気船が黒煙を上げて走る姿を思い浮べると鼻元に油煙の匂いが漂ってきた。ホタルの匂いはクワガタやカブトムシとは違った匂いだった、勿論、近くの田畑からは人糞のにおいが漂ってくる時代は町中でも藤原新也が語る全東洋街道の様に匂いや臭いが漂っていた。そんな時代には戻る事は出来ないが香や臭いのしないバーチャル空間の様な社会は本当にニンゲンが豊かに暮してゆけるのだろうかと湖岸で咲いているトウネズミモチの花の匂いを思い出してきた。

















