中島省三の湖畔通信

三井寺如意輪観音像

2020/06/30

今日は三井寺の如意輪観音像ご開帳の最終日だ。生憎の雨だが僕が散歩で観音堂に着くと多くの人が訪れ賑わっていた。最終日とあって僕も参拝させてもらった。次のご開帳は多分、現世にはいないと思いながらお堂を出た。そしてポスターの如意輪観音さまをソール・ライター風の写真にとビニール傘ごしに写真に撮らせてもらった。雨脚が強くなった境内を歩き蓮池に向かった。池では鯉が元気よく泳ぎまわっていた。午後は「全東洋街道」藤原新也著の続きをよんだ。今から37年前のアジアの様子が写真と文章で伝わって来る、そして現代のアジアはどの様に変化したのかと思うも新聞やテレビの情報では心もとないが人の精神や感情は著者が旅した頃とは変わっていないのではと思いながら読み進めた。本の写真からは匂いやニンゲンの暮らしが感じ取れ1980年代の中国や韓国での庶民の暮らしぶりが伺えた。最後は日本の高野山で全東洋街道の旅は終わった。著者が37年も前に記した本が今の時代に読んでも古く感じないのではと本を閉じた。本の中にあった、人間の自己制御装置は修理されないままだとおもった。そして本の最後の方で今の時代はきっと鬼を必要としているのかもしれない。いや観音かも知れない。私たちは今、笑っているが何かが寂しい。孤立している。共同幻想を求め合っているようにも見える。・・・バーチャルが時代を征している現代は著者が語った、時代よりも遥かに悪くなってしまった。嘘が蔓延るこの時代は観音さまより閻魔大王にお出まし願いたいと思った。

円が見える風景?

2020/06/29

今日は写真に行き詰まった。三井寺の散歩でも何も被写体が・・やっと駐車場で時計の名残を残す円形の時計跡?を撮った。湖岸ポタリングでも湖岸トイレの円形窓を撮っているとハトが上手く入ってくれた。僕は円よりも球体が好きだ、でも球技はからきしだめだ。ボールと言えば飛行機に付いている旋回計のボールが唯一親しみがあると懐かしく飛行機に熱中した時代を思い出した。そして曲がりくねった道や険しい道を歩かずに直線で目的地へ向かったことを少し反省する機会が出来た。それは藤原新也著「全東洋街道」下を読んでいるとき思った。球体の地球は歩き続ければ目的地つけることは人類の歴史が証明しているが、何よりも藤原新也氏が全東洋街道を走破したことにも驚くが、訪れた場所の多さと歩いた距離、そして道の険しさ、人との出会いが語る言葉のリアリティーの凄さは歩いた人にしか書けないとただただ感心するしかなかった。旅をしていない僕が語ることなどたかが知れていることは分かっているから・・・せめて残された時間、近くを歩いて身近な場所を尋ねて小さな旅を楽しみたいと小さな円形の中を廻るのも良いと思った。そして飛行機ならサンテグジュペリの時代なら冒険飛行ができたのにと50年以上も前の飛行少年時代を思い出した。

グウグルレンズ?

2020/06/28

最近、散歩や湖岸ポタリングで花や生きものを見つけて名前が分からないとグウグルレンズで検索するのが常だ。今日も浜大津港近くの湖岸で小さな花を見つけグウグルレンズで検索するとヤブガラシと分かった。最初、見た時はナガエツルノゲイトウの傍らで咲いているので外来種ではとおもっていたが在来種と安心するも,ヤマガラシの別名ビンボウカツラは繁殖率が強く当たり一面を覆ってしまう困った植物だと分かり、外来特定生物のオオバナミズキンバイやナガエツルノゲイトウと同じ様なものかとおもうと写真を撮るのも興味が半減した。でも植物には罪がないと小さな花に目を向けた。午後は三井寺の茶房へ、今日はモリアオガエルの姿は見えないと池面を探すと鈍色の少し大きなカエルが二匹確認できた。写真を撮ってからケイタイのグウグルレンズで検索しようと近付くと逃げられた。敵も然る者、なかなか水面には顔を出さなかったので諦めた。モニターで確認すると不気味な鈍色のカエルが写っていた。モリアオガエルは無時なのかと辺りを探すも姿は見えなかった。

メメント・モリ

2020/06/27

今日の朝日新聞(朝刊)異論のススメは佐伯啓思氏の死生観への郷愁を読んだ。「無常」が昔は根本に今では国家に丸投げ私権制限さえ構わず、の大きな見出しに誘われた。コロナ問題から昔の日本の疫病にもふれながら日本人が今、死生観を昔の人の様に持たなくなった背景らを語っている中で西洋ではペストに襲われた中世人は、常に「メメント・モリ(死を想え)」を戒めにしたという・・・其処を読んだときに僕は藤原新也のメメント・モリを思い出した。新聞を閉じた後、直ぐにメメント・モリ(1983年発売)を本棚から取り出した。本を開くと写真がに言葉が添えられた読みやすい本だが、僕は又、大切な本を見ただけで終わっていたのかと反省しながら読んだ。そして有名な言葉、ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。と犬がニンゲンの死体に食いつく写真が目に入ると読んだ記憶が・・・でも見ただけで僕の脳をスルーしただけと分かり恥ずかしくなった。そして死を想え、メメント・モリはニンゲンが生きるうえで大切な事とおもった。そして先日、読んだ伊坂幸太郎のサスペンス小説「AXアックス」の主人公は殺し屋(必殺仕置き人みたいな?)兜は仕事名で本名三宅は文具販売会社員で、凄腕の殺し屋が自分から命を絶ったのは自殺ではなく死を想ったのではと考えると殺し屋の兜の死が理解できた。今日は言葉の繋がりから広がる日常の不思議さを感じた良き日となった。

雨の姿を楽しむ・・・

2020/06/26

今日はドコモへ料金設定を見直しに出かけた。コロナ対策でマスク姿の店員との応対は初めてだ。顔の様子が見えないが親切な対応だったが切り替え時期までそのまま使用するのが得策と言われ帰宅した。IT時代の通信費用を真剣に考えた事は無かったが毎月、映画10本ほど見られる費用を払っているのかとおもうと意外に高いと思った。そしてITに管理されている現状から解放されるにはケイタイを手放すことだと考えた。ドコモではキャッシュレス時代の便利さを説明され,スマホにアプリを入れてもらったが、買い物と言っても近くのドラッグストアとスーパーそして小川酒店ぐらいでは使用することもないと思った。午後は湖岸ポタリングへ出かけた。浜大津港から琵琶湖を見ると雨の姿?と言っても雨雲が垂れ込めた光景だ。其の付近で降っている雨の美しさを楽しんだ。そして垂直に雨の部分が区切られている様に感じる空間に立って見たいと思った。雨の境は子供の頃から体験したいと思っているが体の半分だけが雨に濡れることができるのではと湖上彼方の垂直に別れた雨の姿に見入った。雨の姿を楽しんだ所為で本当の雨に出会った。雨具は上半身のみでズボンは濡れるも雨の感触も楽しいと自転車を走らせた。

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