千団子祭り
2020/05/16
例年なら五月の中頃の土日に行われる三井寺の守護神の鬼子母善神を祀る護法善神堂を中心に行われる千団子祭りはコロナ新型肺炎の影響で今年は中止となった。此のお祭りは千団子さんと親しまれ近郷近在から多くの人が此のお祭りに集まって来て賑わっていた。近年は露店、そして苗木や植木を売る店も少なくなったが近くのお祭りでは一番の人出があり人気のあるお祭りだ。遊びの少なかった僕の少年時代ではワンダーランドの様な存在だったとことを思い出した。今年はお祭りは中止となったが三井寺の僧侶によって護法善神堂で神事が執り行われた。でも開扉はされず鬼子母善神像のお姿を見ることは出来ないが扉の前には団子などが飾られた前で僧侶が並んで経を唱えた。何時もの賑わいはないが、鬼子母善神さまが扉の内側で子供達の安全を願っておられると思いながら写真を撮った。非常事態宣言は解除されたが日常の暮らしに戻るにはまだ時間がかかるのではと雨空を見上げた。
写真三枚目は以前のお祭りの様子です。
コロナの日常
2020/05/15
滋賀県も非常事態宣言が解除された、と言っても然程、日常が変わるわけでもないとおもった。新型コロナ肺炎による死者は、まだ一人だ。滋賀県では死亡率から見れば大騒ぎする感染症ではないのではと思った。ペストやコレラ、そしてスペイン風邪と言われたインフルエンザの大流行から比べると災禍の大きさで見てもパンデミックの中では小さい方ではとおもった。新型コロナ肺炎の騒ぎを利用して世界中の政治家が悪しきことから一般市民の目を遠ざけるための仕業かと疑いたくもなるのは、我が国の政治の現状を見ているからだ。検察官定年延長を内閣独自で決めてしまうなど民主主義国家では考えられないことが起こっている、悪事をコロナ騒動の間に上手く処理することを考えているのなら一大事だ。本来なら国民の命と暮らしを守るために奔走しなければならない時に自分の保身だけを考える政治家を信頼することはできないと怒りが増すばかりだ。コロナウイルス問題はこれからも長く人間社会に居座る、どうして、ウイルスと付き合って行くか世界中の国が力を合わせて取り組む問題で霊長類のトップに立つホモ・サピエンスの腕の見せ所ではとおもった。
花が消えた・・・
2020/05/14
今朝の散歩では疎水堰堤の咲き誇るアザミを楽しんだ。でも草刈り機の音が近くで聞こえた。多分、アザミも除草対象で刈り取られ消えてしまう運命かとデジカメで撮った。そして三井寺の境内で咲いているギンリュウソウの場所を目指した。昨日、写真を撮った場所に着くとギンリュウソウが二、三本しか見当たらない、ユウレイソウの別名があるから消えてしまったのかと辺りを探した。そして花の咲いていた処をよく見ると人為的な跡があり持ち去った人がいるのではと少し残念な気分になった。高校生のKさんが見つけた場所で小道の側なので花の存在が直ぐに分かったのではと思った。群生を想像できるほど咲いていたのに本当に残念だ。湖岸ポタリングで訪れた膳所由美浜湖岸の除草作業は終わり味気ない人工湖畔に帰っていた。人は何故、雑草として刈り取るのか意味が見いだせない僕は何時もロシアの映画作家タルコフスキーが語っていた事をおもいだした。タルコフスキーが母の為にと庭の草を刈り取って見ると其処には自然の美しさを感じられない殺風景な光景が広がり空しさが漂っていた。の言葉を思い浮かべながら湖岸を眺めた。そして人工の砂浜では市民権を得たリュウキュウツキミソウが空に向かって存在感を示していた。帰路、湖岸の傍らを見るとヒメスイバ?が刈り取られる命とも知らず咲き誇っていた。
花の命は・・・
2020/05/13
暑くなったといっても爽やかさが残る五月、新緑から深い緑に変わりつつある三井寺の境内を散歩した。今年は境内の彼方此方でギンリュウソウが咲いていて朝の散歩がより楽しくなった。何よりも人目につきにくい場所で花の命を全うできるギンリュウソウは幸せな花だと思った。一方、湖岸ポタリングで膳所由美浜へ向かうと湖岸のアカバナユウゲショウの花は寿命を全うすることなく除草作業で見事に消えていた。そして湖岸に目を移すと漁師さんがオオバナミズキンバイの除去作業をしていた。指定外来植物だが黄色い花は美しく湖岸を彩っている光景は人工化された琵琶湖岸には合っているのではと写真に撮ったこともあった。霊長類のトップに位置するホモ・サピエンスの特権とばかりに自然界のルールを決めるのは本当に良いことかと考えた今日の湖岸ポタリングだった。
不要不急
2020/05/12
僕の日常はコロナ問題が起きる前とさして変わらないと思った。毎日の三井寺への散歩、湖岸ポタリングと以前から続けていた事は変わりなしだ。映画館がコロナ自粛で休館しているから映画は暫く見ていない事ぐらいだと今日の僕の日常は無事過ぎた。新聞は久しぶりに楽しく読めた、というのは解剖医学者の養老孟司さんの寄稿記事の所為だ。見出しは、人生は本来不要不急と大きな文字で記されていた。毎日、伝えられる新型コロナウイルスの報道は金太郎飴の様にテレビや新聞も切り口は同じで、コロナに振り回されるばかりの毎日だ。記事の終わりの方でヒトとウイルスの、不要不急の関係が深いか、としてヒトゲノムの4割がウイルス由来と読んだことがある。その4割がどのような機能をもつか、ほとんどまったく不明である。むしろゲノムの中で明確な機能が知られている部分は、全体に2%足らずに過ぎない。つまりヒトゲノムをとってもそのほとんどが不要不急であると語っていた。久しぶりにコロナの束縛から少し離れられたと記事を読み終えた。最後の言葉が印象に残った、人生は本来不要不急ではないか。ついそう考えてしまう・・・・・と結んでいた。
写真は不要不急の生き物とホモ・サピエンス・・・どれほど変わりがあるのかと考えた・・・・

















