爽やかな五月の風が・・
2020/05/07
爽やかな五月の風が吹いている、それだけで充分と思えた。大気の循環する地球上で大騒ぎしているのは人間社会だけだ。今朝の散歩で歩く三井寺の境内では鶯が上達した鳴き声でホーホケキョーを聞かせてくれた。新緑は眩しいほどに輝いている見ているだけで幸せになった気分だ。ギンリュウソウとキノコは林の中で初夏を謳歌している人間もコロナばかりを考えずに五月の風を受けて少し元気になろうと思った。テレビや新聞の情報も少しは明るいニュースを流してほしいと思った。新聞を読んで時代が逆行しているのではと考える事が多い、僕が歴史で学んだ戦時中の様な大本営発表ばかりのニュースを多く目にするようになって少し警戒しなければと思った。嘘で固めた安倍政権が主導するコロナ非常事態には危うさが感じられて不安が募るばかりだ。五月5日の朝日新聞の第一面には「新しい生活様式」が政府の専門家会議が発表したことを伝えていた。まことしやかに一般常識が書かれているだけで内容があるわけではなし、此の程度の事なら別に専門家などに聞く必要もないと白けながら記事を読んだ。僕はメディアなどの情報を鵜呑みにせずに自分で此の状況をいかにして乗り切るかを自分で考えるしかないと思った。
白の不思議さ
2020/05/06
今日は友人Iさん、Kさん親子、僕と四人で三井寺のギンリュウソウを見に行った。僕が投稿したFBで見たギンリュウソウの場所へ案内を頼まれてのこと、もちろんマスク着用して現場に向かった。ギンリュウソウは昨日よりも多く咲いていた。境内の林の中で高校生のIさんが木の根の間で咲いているギンリュウソウを見つけた。その花は白く今まで見たギンリュウソウの中で一番神秘的に思えた。今朝の湖岸ポタリングで見かけたシラサギの美しさを思い出した。人は何故、白いモノに魅力を感じるのかとギンリュウソウの花を見た。僕は白いスクリーンを想像する、そこに自分の想うことを映し出せるからと白い花をじっと見た。シラサギもギンリュウソウも何も持たない気高さが白さとして表れていると、そして自分の想いなど白いモノたちには映してはならないとおもいながら、静かにデジカメのシャッターを押し一枚撮らせてもらった。雨がポツリと落ちた。今日も人間界はコロナで覆われている、地球上に存在する核兵器、戦闘機、軍艦、ミサイルとあらゆるものを使ってもウイルスに勝てないと分かったいま人間社会はもっと謙虚に反省して武器のない新しい生き方を考えるチャンスではないのかと白いモノたちを見て思った。
端午の節句
2020/05/05
五月5日は、こどもの日、僕の少年時代は端午の節句、祖母らは男の子の節句と言っていた。そして父が五月人形を飾りつけていた懐かしい子どもの頃を思い出した。父が亡くなってからは僕が五月人形を飾って54年が経った。毎年、飾るのも面倒とおもいながら続けている、人形いや武者飾りも80年も経過すると随分と傷んできた、甲冑も所々に外れかけた場所や金糸がほつれた布の部分を目にして落ち武者かと今年80歳になった自分に呟きながら飾ったのは10日ほど前のことだ。写真に撮ると立派な五月人形に見えるから不思議だとおもいながら自分の体も同じ様なものかなと納得した。コロナ騒動がなければ今日は近郷近在では春祭りが行われた筈、大津市全市で祭りは中止され寂しい日となった。僕の住む長等学区だけでも長等社、三尾社,早尾社の三神社があるが行列も神輿を担ぐ声もなくサイレントデイになったと青空を見た。素晴らしい好天が気分を明るくしてくれた。少し華やかさを感じ湖岸ポタリングに出かけた。湖岸公園は家族連れが子どもの日を楽しんでいた。平和な日常が其処にはあるように思えて嬉しくなった。
会見放送のテレビを消して
2020/05/04
夕食後、テレビをつけると安倍首相の会見放送が映ると直ぐにテレビを消した、聞かない方がストレスが溜まらないからだ。そして二階へ上がりパソコンのスイッチオンした。今日は僕にとっては良き日だった。朝の散歩では久しぶりに蓮池でアオサギ君に出会った。デジカメで水面に映る優美なアオサギ君の姿を捉えようと石橋の上に移り構図を決めて一枚撮るとさらばじゃと飛び立たれてしまった。写真に撮られるのが好きでないのかとアオサギ君の行方を追った。境内のある場所では此の時期、ギンリュウソウが咲いていると向かった。その場所へ向かい注意深く木の根元を探すと見つかるも、まだ成長段階で写真に撮るのを諦めた。辺りを探すと見事に成長したギンリュウソウが咲いているのを見つけた。スマホとデジカメでギンリュウソウを撮った。デジカメよりもスマホカメラの方が綺麗に写っている、地面近くでデジカメのモニターが確認しづらく感で撮るからピンぼけが多くいらいらしながら撮った。良い写真が撮れる筈がないと深呼吸してシャッターを押した。モニターを確認するとタツノオトシゴの様にも見える白い花?が写っていた。ギンリュウソウとは一年ぶりの出会いにも関わらず挨拶もせずにズカズカと写真を撮った非礼を詫ながらギンリュウソウに別れを告げた。そして湖岸ポタリングでは雨上がりの琵琶湖の素晴らしさの光景を浮かべながら湖畔通信を打った。今日の良き日に感謝しながらパソコンをオフにした。
ゴールデンウイークは・・・
2020/05/03
何時ものゴールデンウイークならテレビや新聞が伝える観光地や全国各地の春のお祭りのニュースが紙面やテレビから流れる筈だった。今日の朝日新聞第一面は、封鎖150キロ歩き首都逃れた、の見出しが途上国の危機を知らせていた。テレビから流れる情報番組は我が国の患者数の増減に一喜一憂しながらコメンテーターたちが語る様子には緊張感もなく恵まれた立場の人が余裕をもって自分の考えを語る姿はには実在感がなく見ていると空しくなるだけだ。そんな空しさ気分はインドやアフリカの貧困層の人達の置かれている状況を読んで自分が恥ずかしくなった。空しさを感じる自由な時間があり、そして食事にも苦労することがない状況だからだ。インドやアフリカではコロナの影響で経済的な被害も大きく、暮らしそのものが成りゆかない貧困層での問題は十年前に戻ったと記事にあった。世界各国は今、自分の国の事で手一杯だが、こんな時こそ協力して途上国の支援に乗り出してほしいと願うしかないと思った。テレビを見るのを止めて湖岸ポタリングに出かけると湖岸の様子は長閑で平和な時間が流れていた。これが僕の暮らす町の日常は地球上を流れる時間と同じなのかと琵琶湖を見た。

















