コロナ問題よりも重い政治問題が・・・
2020/05/02
夕食後、朝日新聞(朝刊)を広げる、憲法を考える その国の7年半の見出しに誘われた。寄稿記事、憲法学者の蟻川恒正さんを読んだ。できたら読みたくなかった、コロナで暗い日常をこれ以上に憂鬱になりたくないからだ。その国とは我が国のことにきまっているからだ。大きな字で脱法厭わぬ権力中枢従う「配下」も共犯 法秩序はほとんど破壊、を見れば、常識的な人であれば現在の安倍政権の事だと分かるとおもいながら文字を追った。さる国のお伽噺である・・・から始まる話は安倍首相主人公に決まっているのだが、裸の王様なら、まだ笑って済ませるがと重い内容のある話は考えながら読むから時間がかかった。集団的自衛権の行使も憲法を変えること無く出来るようになった。つい先程の検察官の定年延長問題も政府解釈で決めてしまった。記事の中では憲法のできないとしていることを一内閣でできるとしたことにより、憲法改正規定(憲法96条)を裏から侵犯したことである。を読むと虚しさを感じたが最後まで読んだ。最後の方で、脱法行為さえ厭わない政略家の集団に近い。と記してあるのは安倍政権のことだ。コロナ騒動で疲弊している時に政治の暗い影を考えたくないがと、でも此のままでは憲法を改正しなくても憲法第九条は風前の灯火の様に感じてしまった。僕の得る情報は新聞が頼りで信じていたいおもいながら新聞を閉じ、そして暗い社会でも生きるのが人間だと呟いた。
庭の八手の葉っぱがいくらでも手を貸すよと言っているように見えた。
疫病退散カンマンボウロ
2020/05/01
今日、三井寺では恒例の採灯護摩供が行われる日だ。今年は特に疫病(コロナウイルス新型肺炎)の早期退散を願った護摩焚きだ。僕も参加するために昼食後、三井寺の境内にある神変行者堂へ向かった。行者堂に着き辺りを見渡すと参加者の姿は何時もより少なく思った、やはりコロナの影響での自粛かとおもいながら受付で護摩木を買った。境内の何処から法螺貝の音が聞こえた。暫くすると行者を先頭に行列が到着した。行者堂前で一行が般若心経を唱え終わると護摩供の行事が始まった。行者問答、点火前の所作などが執り行われた後、護摩壇に点火されると何時もなら静かに煙が辺りに漂い神秘的な雰囲気が漂うのだが今日は晴天で空気も乾燥しているのか白い煙が直ぐに護摩壇を覆ってしまった。そして火の勢いが迫力を感じさせながら作る白煙が巨大な形となり疫病退散は俺に任せと言わんばかりに護摩壇一園を包んだ。導師、先達、行者らが唱えるお経にはコロナウイルス新型肺炎の退散を願う気迫が感じられた。その中で繰り返される疫病退散カンマンボウロの言葉が風に乗り空へ広がると辺りが護摩の煙の匂いに包まれ、何故か僕には安心感が宿った。一日も早いコロナの終息を願いながら行者堂を後にした。
タンポポと言えば
2020/04/30
僕はタンポポと言えば詩人の坂村真民さんの詩「タンポポ魂」踏みにじられても 食いちぎられても 死にもしない 枯れもしない その根強さ そしてつねに 太陽に向かって咲く・・・・・ を思い出す。今日も湖岸ポタリングで訪れた浜大津港で足下のタンポポを見て元気づけられた。坂村真民さんには二度ほどお出会いできた。近くの遊心庵へ来られた折に庵主様に紹介されお話を聞くことができた。真民さんは自分が自慢できる事は毎日、小鳥の囀りよりも早起きをして近くの川へ禊に出かけることだけですと話された事を思い出した。そして久しぶりに詩集「信に生きる」を開いて、タンポポ魂、を読むと心が鎮まった。
今朝の散歩で三井寺の山を見ると山が笑っていた、季節は進むコロナも時間が経てば終息するまで静かに待とうとおもった。
カメラを変えても・・・
2020/04/29
毎日、写真を撮っている自分は何者と・・フイルムカメラなら考えられなかった日常の撮影習慣はブログを書き始めてからだ。国語が大の苦手で漢字も書けない自分がパソコンに頼って書く文章など誰が読んでくれるのかとおもいながらも続けられたのはホームページを制作してくれた友人Mさんの言葉がきっかけで毎日、書くようになった。写真はデジカメに任せ気楽に日常を活写すればことは足りると思っていたが、つい欲が出て良い写真をとおもってしまうと被写体に困るとカメラを変えればと今日も重いデジイチ(一眼レフ)を持って湖岸へ向かった。良い写真が撮れる時は決まって写されるモノが自然に目に留まる時だと最近思うようになった。今日はカメラを変えるもマンネリ写真に終わった。そしてコロナウイルスでの影響で社会のシステムが変わろうとしている時にこそフイルムカメラで時代を捉える目を持たねばと、構えすぎるとモノは遠ざかるばかりだとカメラにフイルムを入れる前にロケハンをしなければと空振りに終わった撮影にデジイチが重く肩にかかった。
植物35億年の・・・
2020/04/28
湖岸ポタリングで浜大津港を走っていると、おいホモ・サピエンス(人間)と呼ばれた様な気がして自転車を止めた。傍らを見ると街灯脇のコンクリートタイルの隙間でシロツメクサが存在感を示していた。まさか土面のないコンクリートの平面でシロツメグサがと目を疑った。凛としたシロツメグサの花が其処にあった。植物の歴史35億年と言われている、万物の霊長と言われている人間はたかだか200万年だ。なにが万物の霊長とシロツメグサを見て恥ずかしくなった。ウイルスも40億年の歴史がある、少し畏敬を感じながら今回の大変な事態を受けて人類は大きく変わるチャンスではと思った。地球上のあらゆる資源を無断で使い人類の文明を謳歌してきたが、これが本当に地球上全ての生き物に取って良いことだったのかと反省する事ができれば万物の霊長として人間が誇れるのではと思った。長い人間社会のお休みは悪いことではないとおもいながら自転車のペダルを漕いだ。
今夕のテレビではアルコール不足で障害者が困っていると伝えていた。ウイルスは石鹸と水洗いで流れ落とせると聞く、僕はできるだけ石鹸と水で手洗いをしようと思った。

















