中島省三の湖畔通信

新聞が スポーツ紙に?

2019/10/21

今朝の新聞各紙はスポーツ新聞になった様だ。京都新聞もラグビーの記事で飾られていた。ベスト8まで行けたのは選手が頑張ったからだ。そして優勝候補南アフリカに健闘するも日本チームは圧倒され負けたのだ、勝負には勝ち負けは尽いて回ると・・・子供の頃から勝ち負けは余り好きになれなかった。野球は小学生の頃、近江球場(近江神宮近く)で阪神の試合を見たぐらいで、その後。一度もプロ野球の試合を球場で見た事は無かった。運動会も好きになれないのは足が遅く何時もビリでは楽しくないからだ。柔道も高校生の時に道場へ通ったが練習は結構好きで楽しんだが相手のある試合は苦手で殆ど参加しなかった。相手と競わない登山やスキーそして自転車、スカイスポーツもパラグライダー等も自然相手で競うことが無い、挑む相手は自然条件だけと気楽に楽しんでやってきた。来年の東京オリンピックも余り興味が湧いてこない、国対抗でメダル獲得レースにはナショナリズムを感じるから好きになれない、オリンピックも個人参加で世界一を競えば良いのではと以前から思っている、今回の台風被害の事を考えるとオリンピックを止めて災害復興へ資金を回せばと・・・でもスポーツ好きの人たちも多いからとスポーツ新聞化した紙面を見た。それから地球温暖化の影響で来年のオリンピックは台風らの影響を受けないのかと巨大台風の方が心配になってきた。

休日の湖畔

2019/10/20

休日の湖畔は賑わっていた。浜大津港のイベント広場では恒例となった大津ジャズフェスティバルで大勢の人が楽しんでいた。多くの参加者を見ていると昨日の老朽原発の危険性を訴える講演会は参加者も少なく内容も楽しくは無かった、別に楽しさを求める集いではないが、事故後の抗議行動や講演には多くの人が詰め掛けた、ゲストの工学者小出裕章さんの話は誰にでも分かり易く原発事故の恐ろしさが伝わってきた。此れから先、原発事故の恐ろしさを伝えて行く為にはマンネリ化した反対運動では一般市民を巻き込むのは難しいと思った。運動家の顔も変わらず自分達が一番正しいと言わんばかりの集いには正直、もう勘弁してほしいと思うときが多くなってきた。この国では一番憲法を守らなければいけない権力者(政治家)が憲法を守らず、何事が起こっても責任を取らない、そして嘘はつき放題での現状では、誰も空しくなってしまうが、でも諦めずに政治が正常になるまで希望をもって出来る事をしなければとおもった。そしてゴダールの映画イメージの本の最後のメッセージを思い出した。希望はことごとく踏みにじられ消えて行くが希望を持ち続けなければいけないと・・僕も希望だけは持ち続けようと思った。

秋雨の琵琶湖

2019/10/19

午後、老朽原発の危険を訴えた講演会を聞きに出かけた。内容は検査基準の曖昧さと国が責任を回避して電力会社に事故の責任を負わし、国は原発事故の責任を取らなくなる仕組みが来年四月から施行されるらしい我が国の政府の無責任さは今更驚く事はないと講演を聞いた。参加者は少なく若者の姿は見かけなかった。体調イマイチでデモへの参加を止めて湖岸へ向かった。におの浜から見る雨に煙る琵琶湖の風景は格別と暫し佇んだ。先日、見た長編映画サタンタンゴの映像を思い浮かんできた。雨と泥そして廃墟・・・残念ながら湖上には廃墟の蜃気楼も出ないが重く垂れ込めた雨雲が僕の想像の映画の中で映像として立ちあがってきた。長回しで秋雨の琵琶湖のシーンを撮りたいとおもった。ビデオキャメラなら費用も掛らないと思いながら琵琶湖を眺めた。そして小さな茂原の上にはアオサギと白サギがお互いを意識しあいながら餌を探していた。昨日と同じ光景ではとデジカメを出し撮った。

収穫の秋?

2019/10/18

琵琶湖の秋の風物詩?となった湖面の水草刈り取りと陸地では雑草の刈り取り作業が進められる風景は収穫の秋を思わせてくれた。南湖は大津湖岸から守山、野洲湖岸は人工湖岸で雑草の刈り取り費用も相当な額になるのではと思った。琵琶湖総合開発で人工湖岸が出きるまでは葦群落で雑草など生えていなかったから除草作業も必要でなかった。大津は浜大津から膳所、石山への湖岸には道路など無く、もちろん公園もなかったから除草する場所も無かったと思いながら収穫?された雑草や水草を写真に撮った。におの浜ではスーパーかいつぶり号の2号と3号が揃って水草の除去作業をしていた。開発すればするほど経費がかかる事は最初から分かっている事なのに、此れから先、進む少子化で人口減の未来には琵琶湖の人工湖岸も損傷したり破壊した時の対応はできるのだろうかと琵琶湖の未来が心配になった。

伝説の7時間18分?

2019/10/17

伝説の7時間18分はタル・ベーラ監督が1994年に製作したモノクロ映画で35ミリフイルムで撮影した映画、サタンタンゴが監督の許可を得て4Kデジタル・レストア版が完成した。僕は倫敦から来た男(タル・ベーラ監督)を見てからファンになった。モノクロフイルムで撮られた作品の映像の素晴らしさの虜になった。作品は長回しのシーンでは能舞台を感じる緩やかで重みのあるキャメラワークの素晴らしさに感心するばかりだ。今日はサタンタンゴが上映されている京都みなみ会館へ出かけた。混雑を予想して出かけたが入館者は少なく20人程で僕の好きな後席の右側に座れた。映画はハンガリーのある村と言っても経済的に破綻して廃墟的な村に暮らす人たちの物語だ。冒頭シーンからモノクロフイルム独特の陰鬱な状況から始まった。7時間18分の長編映画を見るには少し覚悟が行った。映像の殆どが雨と泥だらけの道が主役ではと思うほどシーンが多かった。長回しで登場人物が画面の中の道を奥へ歩き進む道は明るい希望を感じないが暗く泥だらけの道を前方へ進まなければならない運命を背負った哀しい人の歩みは悲しくも感じるが映像の素晴らしさに圧され人間の逞しさを感じた。奥行きを感じるカメラワークの上手さを堪能した。奥行きのある道を映したカットも多く、特に三人の男の後姿を長回しで追ったシーンでは雨と強風で紙屑やダンボール箱が荒れ狂う風に舞う中を奥へ奥へと歩き進むシーンには魅入った。村人が家財道具を小さな車で運ぶシーンには人間の悲しい定めを感じた。画面は何時も雨と泥道、そして廃墟的な町の風景が終末観を表し暗い気分になるが雨と泥と道そして廃墟が過っては栄えた村の名残を感じさせながら歴史の時間へと吸収されて行くのかと思いながら映画を見終えた。上映中には何度もトイレに行ったが長回しの御蔭でトイレから帰っても同じシーンだった。十二時三十分から夜八時二十分まで映画館の椅子で過ごしたのかと自分に驚きながら帰路についた。

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