湖岸と町中では・・・
2019/09/07
台風の影響で空は忙しく雲が走り廻っている様に感じた。琵琶湖は少し風があり思ったより暑さを感じずに自転車で湖岸を走れた。九月に入ると湖岸はイベントで賑わう、今日も舞台が作られたイベント広場では音楽会?の準備が進んでいた。打出浜からにおの浜湖岸では清掃ウォーキングで大勢のボランティアがゴミ袋を持って歩いている姿を見ながら湖上の水草の除去作業は何時から始まるのかと藻や水草が繁殖する湖面を眺めた。帰路、町中へ入ると百円商店街のイベントで大津の町は昔の賑わいを感じさせてくれた。でも一日限りではと・・琵琶湖観光の拠点として賑わった時代は何処へと大津の現状はイベントでは人は集まるが、其の中の夏の花火大会は異常な賑わいだが普段はシャッターの閉まった店が目立つ地方都市だ。町おこしの話題も余り聞かないと思いながら今、読んでいる「オロロ畑でつかまえて(荻原浩)」の小説は地方の寒村での村おこしの物語だ。小さな湖に恐竜を出現までさせて村おこしでの騒動を広告代理店を中心に描いたユーモア小説を楽しく読み終えた。小説の最後の方で村人,慎一が「自分家の庭で見つからぬものは、どこ行ったって見つからねって。そう言われてふと裏庭を見たら、オロロ豆の畑があってな」・・・うん町おこしなど遠くばかりを見ていても本当の町おこしは出来ないと大津の町の未来はどうなるのかと思った。
百日紅の花の下で・・・
2019/09/06
今、浜大津港の一本木コロッセオの公園では百日紅が満開を迎えた。今日も湖岸サイクリングで立ち寄ると百日紅の花が青空の雲と美しさを競っていた。青空と白い積雲そして百日紅の花と三拍子揃えば花見しかないと自転車を留め花を愛でた。何故人は桜ばかりに目が行くのかと考えながら赤やピンク、白の花を写真に撮った。此の公園には石柱が両サイドに並び中央に絵になる樹が一本植えられている事から一本木と呼ばれるのかと思いながら辺りを見渡すも人影も無く寂しい限りだ。花を見上げると積雲が気忙しく動いている空の世界は自然の摂理と羨ましく思いながら人間世界の不誠実や不条理を空しく思った。そして最近のテレビ報道の内容の無さを考えた。お隣の国、韓国の政冶の不祥事を鬼の首でも捕った様に連日報道されている状況に嫌気がさした、安倍政権下での政治の不祥事、加計問題や森友問題も追求せずに深い霧の中へ押しやり、本来なら霧の中を探りながら真実を報道するのがジャーナリズムでは無いのかとメディアの現状を嘆いても解決はしないが腹が立つばかりだ、新聞はまだテレビの様に国の犬にはなっていない新聞もあると少しは希望を感じるが・・でも各新聞のニュースを見ても金太郎飴の様にどの誌面も記者クラブでの仲良しクラブだ、今日も京都新聞の滋賀版を見ても琵琶湖の記事は載っていなかった、水位低下で汚れた湖面、そしてアオコまで発生している琵琶湖の現状を知らせても良いのではと・・・観光で賑わう琵琶湖の話題ばかりでは琵琶湖の姿が見えてこないのではと思いながら暫し百日紅の花の下に佇み時を楽しんだ。
湖面を覆う藻
2019/09/05
琵琶湖は水位低下で水草が繁殖力を増したのか今日も打出浜から琵琶湖を見ると藻が湖面を覆い湖岸ではアオミドロ化した水草が不気味にみえた。まだ除去作業が始まらず異臭も少し感じるようになった。アオコも処所に見かけ琵琶湖は大丈夫かと心配になってきた。この先、大量の雨が降らねば1994年に起きた、琵琶湖大渇水にならない事を祈りながら湖岸を走った。
新編「銀河鉄道の夜」
2019/09/04
宮沢賢治の代表作の小説「銀河鉄道の夜」は何度か読んだ?つもりだがラスト近くの場面しか思い出せなかった。僕が気になる小説ナンバーワンだ。先日、ジャスコ未来堂で本を探している時に新編「銀河鉄道の夜」が目に入り買った。其の本には宮沢賢治の短編14編が載っている文庫本だ。1920年代に書かれたものが殆どで文体も僕には少し読むのに手間どるも何編か読む内になれてきた。銀河鉄道の夜を読んでいる時に色彩と音の豊かさを此れほど感じた小説は無いと不思議な感覚を憶えた。そして銀河鉄道の夜を読み終えると少年時代に経験した事が走馬灯の様に現われてきた。小学2年生の時に近くの疎水に架かる鹿関橋で天文学者に天体望遠鏡で土星の輪や月の表面を見せてもらい、果てしない宇宙の広さを子供なりに感じたことや、灯りが少なかった所為で夜空が美しく天の川まで見られた時代を懐かしく思い出した。裸電球のタングステン光の世界は今のLEDや蛍光灯の冷たい光ではなく仄かな温か味を感じる光が夜を照らした時代だった。商店街のショウウインドウに飾られた玩具には夢を持った。そして雨の日や湿度の多い夜は遠く離れた大津駅から夜汽車の汽笛が寂しく聞こえ旅立ちの寂しさと希望が聞こえ、秋になると虫達の大合唱が聞こえた、自然が多く残っていた時代は何処へと・・・映画も全て今はデジタル上映だ。フイルム上映では巻が変わる前にフイルム交換を知らせるパンチマークが画面の隅に現われると映写技師の腕の見せ所だ、何時、画面が変わったか分からないほどの早業でフイルムチェンジをした。映写室を見るとカーボンアークライトの炎が明るく見えた機械的な映写機は消えた、そして現代ではプロジェクターからデジタルカメラで撮られた映画がフイルムの歴史など無かったように映画が上映される時代だ。映写機がフイルムを送る機械的な音はもう歴史の時間に吸収された。LEDやデジタル音が氾濫する明るく輝く現代は本当に幸せなのかと考えた。
写真はハマヒルガオ(外来種)ミシシッピーアカミミガメ(外来種)
ハリウッド映画
2019/09/03
昨日、久ぶりに娯楽映画?ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(監督クエンティン・タランティーノ)を浜大津アレックスシネマで見た。超人気俳優のレオナルド・デカプリオとブラッド・ピットが競演するハリウッド映画はそれなりに楽しめたがタランティーノ監督の作品に共通する生々しい殺戮シーンには僕は違和感を何時も感じるのは僕らの育った映画環境が影響しているのだ。小学生の頃から見続けている時代劇、僕の好きな嵐寛寿朗が主演する鞍馬天狗らでの切り合いシーンでも血しぶきはもちろん切られた人も傷跡も無いのが普通だった。芝居や映画は現実とは違う事は子供ながら分かっていた。ハリウッド映画の西部劇も同じ様に血しぶきを上げて倒れるシーンなど無かった事を懐かしく思い浮べた。そして納得して楽しんだ時代は遠くなったとリアリーティーな演出が現実空間へと誘う映画は僕は余り好きになれないと思いながら見終えた。でも監督クエンティン・タランティーノ監督のフイルムへの執着は凄いとフイルムで撮影された映画を楽しめた満足感は充分にあった。
今日の空は積乱雲や積雲がまだ秋に季節は渡せないと迫力ある空模様を描いてくれた。写真は京阪石坂線の車窓と湖岸の風景だ。

















