149,600,000Km
2019/06/29
149,600,000Kmは地球から太陽までの距離で光の速さで8分も必要とする途轍もない距離だ、そんな事を考えたのは第78回脱原発市民ウォーク・イン滋賀に参加して歩いている時だ。何時もながらの陳腐なシュプレヒコールが耳に入ると僕の脳は宇宙の原発を考えた。地球が恩恵を受ける太陽という原子力発電所までの距離が離れているのは生物(生命)を放射能から守る為には、これだけの距離が必要なのだと考えた時、地球上で太陽と同じ原理の原発で電力や熱量を起すのは誰が考えても恐ろしい事と分かる常識ではと思った、誰がこんな恐ろしい原発や核を人間が住む同じ場所、地球上に造ったのかと科学者や政治家、企業が悪魔の集団の様に思えてきた。便利さを追求して止まない文明の発達に歯止めの効かない恐ろしさを感じる、人間の文明が予想を超えて発達した社会で暮らす現代人が責務として、未来に生きる人の為にも原発と核兵器の問題を解決しなければならないとおもった。そして大阪で開かれているG20の世界会議の内容に空しさを感じながら湖岸まで歩いた。
梅雨入りはしたが・・・
2019/06/28
梅雨に入った今日、もっと雨が降るのではと期待したが何時もの散歩そして湖岸サイクリングも雨具を持って出かけたが使うことは無かった。午後、近くの書店へ出かけ、本棚を探していると「ぼくらの民主主義なんだぜ」高橋源一郎著が目に入り買った。本を自転車の前籠に放り込み湖岸へ向かった。打出浜湖岸に着き琵琶湖を眺めると青空と僕の好きな空の美術館が開館していた。デジカメで青空に浮かぶ雲の作品群を撮ってみると地上の美術館では感じられない空間を感じる写真が撮れた。そして琵琶湖を見ながら本当に梅雨入りしたのだろうかとまた空を見上げた。そして近くのベンチに座り買った本、僕らの民主主義なんだぜ、のページを開いた。本は期待したとおり難しくはなさそうだと読み始めた。爽やかな初夏?の風を受け僕の脳は文章に軽やかに反応した。始めの章、ことばも「復興」されなければならない、では原発事故が書かれた内容は分かり易く理解できた、其の中の文を少し、成長期を過ぎ、衰退の道を歩み始めた,この国がなしとげねばならない[復興」の困難な戦いのことだろうか。終わりの見えない[原発」収拾への道なのか。あるいは[原発推進派」と反原発派」の、憎悪の応酬にも似たやりとりのことだろうか。それらすべてを含めた、霧のように霞んで見えない未来を前にして、立ちすくむしかないことが、わたしたちに[戦争」を感じさせるのだろうか。の文を読みながら対立していては何も解決には向かわないと、そして未来の人への責任を考えると、この先どうすれば良い方向に進むことができるのかと少し考えながら短い章を読み終え本を閉じ空を見上げると美しい青空が気分を軽くしてくれた。本の続きは家でと自転車に乗った。
アオサギ君と狩りの名手の・・・・
2019/06/27
やっと梅雨入りした。でも気象の事で人間は何故、こうも気にするのかと思いながら小雨の中を湖岸へ自転車で向かった。たしか山男の歌では雨が降ったら濡れればいいさ・・とある様に自然現象に対する気持ちはそうあるべきと思いながら湖岸を走った。打出浜で久ぶりにアオサギ君に出会った。彼はカメラを向けても逃げたりはしないし衣装にもメリハリがあるから僕も認識している、何よりも他のアオサギよりもスマートだと思った。湖岸を良く見ると狩の名手のシラサギが餌を探していた。このシラサギの狩りは他のシラサギやアオサギでは見かけない狩りをする、飛行しながら湖中の獲物を狙ってダイブ?とまではいかないが首を水中にいれるから驚きだ。今日も巧みに風を読みながら狩りに励んでいた。そしてアオサギ君もシラサギも湖岸に佇む姿は人間を越えている様に僕は感じてしまう、最近、歎異抄や般若心経に関する本や、映像を見ていると、人間は煩悩が多く、そして悩みも多く、其処から逃れる為に空だの無だのとありったけの知恵を絞って考えるも簡単に悟りに辿り着ける事は難しいとアオサギ君やシラサギの佇む姿には既に悟りの域に達しているのではとおもった。そして究極のミニマリストだ。モノを持たずに自由に空間を移動して好きな処で悠々と時間を過ごし、そして命を終える、そんな生き方を人間はどうして出来ないかと・・・煩悩があるからと・・・人間の悩みはそう簡単に解決しそうも無いと、せめてお天気の移り変わりなど気にせずに晴れ、雨、曇り・・・これからは自然現象を楽しもうと思った。明日からは雨が降ったら濡れればいいさで行こうと決めた。
人間の大地・・・
2019/06/26
人間の大地は彼の有名なサン=テグジュペリの小説、其の小説を最近読み返して改めて凄いと感じた。星の王子様(小さな皇子)は一度は誰も読む物語だ、でも「人間の大地」や「夜間飛行」らの飛行小説を読んだ人は少ないのではと・・・僕は無類の飛行機好きで、子供の頃から飛行機に憧れ、やっと念願かなって26歳から飛行機操縦の練習を始めそして27歳で初歩的免許?自家用操縦士の免許を取った事もあり飛行士で小説家で有名なサン=テグジュペリは大好きな作家、でも飛行機を練習を始める前に読んだ本は星の王子様だけだった。飛行機で空を飛ぶようになってから読んだ、人間の大地や夜間飛行では小説の物語の中へ入り込み?テグジュペリと一緒に空を飛んでいるような錯覚?を感じながら読んだ事を懐かしく思い出した。最近、二度も読んだ「人間の大地」渋谷豊(訳)は翻訳が素晴らしい所為で楽しく読めた。本の中でテグジュペリが語る空から見る地球の姿は僕も自分が飛行機を操縦して琵琶湖周辺や日本国内を実際に飛行した経験があるので小説の世界とオバーラップした映像が浮かんできて空気感まで伝わって来るから不思議だ。テグジュペリが飛行機に乗り始めたのは1921年で飛行機がまだ発展途上で航路開拓も冒険飛行で大変危険を伴った時代で有名な飛行家メルモーズやギョメが活躍する同世代だ。そして飛行機が空飛ぶ機械として人間の感覚で操縦できた時代の物語にはロマンを感じるから目が離せない。本の中でテグジュペリは飛行機は手段であって最終目的ではないと語っている事に自分も少し思いあたると、僕も飛行機を操縦するのは楽しいことだが其れよりも琵琶湖を空から写真に撮る事が目的だったのではと最近思うようになった。僕が琵琶湖上を飛び始めた頃は美しい自然が残る貴重な風景見られた時代だ。琵琶湖総合開発が始まると美しい湖岸線は開発によって破壊され無残な姿に変わった・・・今から思うと琵琶湖が最後の美しい自然が残る姿を僕に記録さす為に、手段として飛行機に向かわせたのではと思うようになった。飛べない僕は今日も本「人間の大地」を開き飛行気分を味わった。
鮮魚店の水槽・・・
2019/06/25
梅雨入りは何時と空を見上げる、今日も爽やかな晴天で雨の気配を感じない、三井寺の森も雨待ち、そしてモリアオガエルは雨を諦めたのか鳴き声も無く静かだ。サイクリングで走る湖岸は梅雨明けの爽やかさだ。由美浜湖岸では徹底的な除去作業で消えた筈のオオバナミズキンバイが黄色の美しい花を咲かせ復活宣言をしている様に見えた、湖上ではバス釣りのボートが彼方此方で見られた。琵琶湖の静かな日常は平和そのものだ。でも今の社会状況に心配しながら湖岸を自転車で駆けた。帰路、商店街へ向かった。相変わらずイベントの無い日常は静かなものだと思いながら目的の肉屋で買い物をした。そして何時も顔をだす鮮魚店に寄ると店主がバラタナゴが居ますよと話してくれた。鮮魚店は海の魚を売る店に何故淡水魚?もちろん観賞用でお店の展示用だ。バラタナゴはボテ、ボテジャコ、クソボテと呼ばれていた雑魚で僕が子供の頃、糸を垂れれば必ず釣れた魚、ボテは琵琶湖では絶滅してしまった。僕は釣りが下手で釣りの成果はボテばかりだった事を思い出しながら水槽のバラタナゴを見るが日本バラタナゴでは無いとおもった。パソコンで見ると日本バラタナゴを捕ったり飼育するのは禁じられていて、罰則規定まで設けられているから日本パラタナゴではないと分かっていてもボテという名のバラタナゴに郷愁を感じながら眺めた。そして店主と琵琶湖から消えたボテの話をする内で大津の商店街から鮮魚店の多くが廃業して残るのは我が店と他に数店と少なくなった現況を語ってくれた。鮮魚店が町から消えてはスーパーで買う魚ばかりでは本当の美味しい魚が食べられないのではとおもった。そして鮮魚店頑張れとエールを送りながら店を後にした。そして先に肉を買った事を少し反省して今度は鮮魚店で魚を買おうと考えながらペダルを漕いだ。

















