小説の中でジャズが・・・
2019/04/25
僕のウイークポイントは音楽だ。歌は音痴でカラオケも好きになれない、そして楽器は何一つできない、コンサートにも出かけることも無い、唯一映画の中での音楽に興味を持ってCDを買うぐらいだ。ジャズに関してはトラウマ?ではないが50数年前、東京で友人に連れられジャズ喫茶に入った折、もうもうとタバコの煙が漂う中で,インテリ風?の人達が顰めずらしてジャズに聞き入っている中では会話も出来ず僕は直ぐに外へ出た、事を思い出した。僕はそれ以来ジャズには興味を抱かなくなった。でも最近、読んでいる途中の小説、サブマリン(伊坂幸太郎)の中で主人公の陣内さんが褒めるジャズ奏者のローランド・カークとチャールズ・ミンガスが気になり、本を読むのを中断してタブレットでYouTubeでローランド・カークを数曲聴くと幼い頃、聞いたようなメローディー?リズムを感じた。幼稚園時代はアメリカ軍の進駐軍のキャンプが、ジャズを演奏していたのではと記憶を辿ると軍楽隊のパレードは出てくるがジャズ演奏の場面はなかった。そしてアメリカ映画も随分見ていてジャズは自然に聴いていたのではとジャズを毛嫌いしていた自分が恥ずかしくなった。そしてタブレットから聞こえるローランド・カークのジャズの素晴らしさが少しだけ分かったかなと聞き入った。そしてツタヤでCDやライブ映像を借りたいとおもった。
重い荷物
2019/04/24
新緑に雨は良く似合うと朝の散歩に出かけた。三井寺の境内に人影は無く静けさの中を鳥と蛙の鳴き声を聞きながら歩いた。蛙と言えばモリアオガエルの産卵の時期も近付いているのかと季節の移ろいを感じた。強く降るとおもっていた雨も止み、自転車で湖岸へ向かった。晴天よりもドラマを感じると、デジカメを出し琵琶湖を撮った。浜大津港では保母さんに連れられた園児の背中のリュックの大きさに目が行きデジカメでスナップした。顔が写らないようにと少し離れた場所から未来に生きる人達に尊敬の念を込めながらシャッターを押した。そして風にはためく国旗をみていると我が国の将来が過ぎった。小さな子供が身に余る大きなリュックを担ぐ様には可愛さも感じるが、未来を生きる人達の前途多難な時代を想像してしまった。現代社会を生きてきた、我らが作った負の遺産、特に原発事故が気になった、放射能に汚染されたゴミや溜まる一方の汚染水の処理、そして廃炉問題、福島原発の事故処理らは、此れから先、何十年、いや何百年もかかると言われている、少子化の進む我が国の現況が重く圧し掛かってくる未来を生きる人達に負の遺産を託しては、彼らの未来は大変な時代になるのではと、申し訳なく思いながら園児たちを見送った。そして政治や社会は誠意をもって現状を打開して次の時代へ送らなければならないとおもった。
京都国際写真祭
2019/04/23
新緑のシーズンと言えば空気も新鮮な筈が花粉やPM2・5の影響で深呼吸もできず、マスクを着けての散歩も息苦しいばかりで快適さも半減だ。午後は京都で開催されている京都国際写真祭を見に行った。去年は全会場を二日かけて廻ったが今年は僕のイメージとは少し違うと判断してパスチケットを購入しなかった。文化博物館別館のアルバート・ワトソンの写真展を見た。去年は展示はショー的要素もあり楽しめたが今年は本来の写真展示で其れなりに楽しめたが少し物足りなさを感じた。そして烏丸通りを歩き京都新聞本社の地下の印刷工場跡での展示、金氏撤平の作品展を見た。この会場の空間は今も見えない輪転機が稼動しているのではと思うくらい存在感があり展示作品も染み付いたインクの臭いや壁や床に残る喧騒の跡が放つパワーに圧倒されながら現代美術を過去の時空へ運び楽しくは見せてくれているが時間の重さの方を感じてしまった。去年も京都冷凍工場跡での写真展示でも時間を記憶した建造物で見る写真作品の面白さと難しさを感じた記憶が蘇ってきた。そして今年は他の会場を見るのは止めにしようと何故か思った。
初夏に
2019/04/22
急な気温変化で今日は初夏を通り越して夏になったのでは一瞬おもった。今年のお花見期間中は薄ら寒く感じる日が多く、ゆっくりと春を楽しめ無かった。地球温暖化の影響で日本は温帯から熱帯へと変化するのではと心配になってきた。琵琶湖も今年は深呼吸が出来ずに夏を向かえる、今まで琵琶湖で起こらなかった異常事態が起こらない事を祈るのみだと、におの浜から穏やかな初夏の琵琶湖を眺めながら、1978年の淡水赤潮の大発生した状況を思い出した。最近は淡水赤潮は発生していないが湖中ではプランクトンの活動が活発と研究者が伝えているが、大丈夫なのかと今年の琵琶湖の状態を心配した。
今日も写真はライカで撮った,何でもない写真を二枚載せました。
スマホは・・・
2019/04/21
スマホを持つようになったのは山中で怪我をしたのが切っ掛けだ。最近では一日に何回もスマホの画面を確認している自分に驚いている、あれほどスマホを持つ事を拒否していたのにとスマホを見ながら少し考えた。一年ほど前からFBフェースブックを始めてから写真を友人限定でアップする日も多くあり、FBの友人の写真に、反応して、いいね、をクリックしたり、自分の写真にも、いいね、をされる事も多くなったと言っても友人限定で数は少ないが満足している現状に少し疑問を感じた。今までならデジカメでパソコンのホームページの湖畔通信用の写真を撮るのが日課だったがFBの投稿用にスマホでも撮るようになり、最近、気忙しく写真を撮っているのではと感じた。ライカで撮るフイルム写真の出来上がりを見て、デジカメで撮る写真の軽さに少し嫌気がさしてきたこの頃・・・今日はスマホで写真を撮る事を止め、デジカメの写真も湖岸で少し撮って止めた。僕がデジカメで撮っている写真はフイルムカメラの時代ならチョロスナップといわれる物事の上辺だけを撮る軽い写真ばかりだと気がついたからだ。写真は別に気負って撮るものでもないが、一応、記録としての意味合いぐらいは写して、おきたいのがカメラマンの心情ではとおもった。此れから先はライカで時々、記録重視で一月一回フイルムで記録写真を撮ろうと決めた。そして自分的にはスマホは何時でもオサラバできるとポケットからスマホを出した。
商店街風景はライカで撮影した写真

















