中島省三の湖畔通信

蜃気楼と不思議な波紋

2018/12/08

三井寺への散歩そして湖岸サイクリングを始めてから随分と年月が経った。寒い日も暑い日、雨風の時も三井寺への散歩は欠かした事は無く、何故、こんなに続いているのかと自分でも不思議に感じている、別に健康目的でもなく、もちろん義務でもないと、すると習慣になったから?食事や歯磨きらの日常、行う作業と一緒になったのかと思うが、でも少し違うと考えた。一番には写真を撮るのが好きだからではと考えた。朝の散歩や湖岸サイクリングでもカメラを携えて、気になるモノや風景に出会うと写真が撮れるチャンスがあるからだと思った。今日の湖岸サイクリングでは琵琶湖の冬の風物詩、下方蜃気楼が出ていた。肉眼でも琵琶湖大橋が下方にも見える不思議な光景だ。デジカメのズームで寄って撮った写真をパソコン画面で見るとヨットだと思っていたらウインドサーフィンと分かり寒い冬でもと感心したり、また一方では、水の止まった疎水を覗き込むと小さな流れの中に波紋を発見、湧き水がとデジカメで撮り、これもモニター画面で確認すると逆さに見えた、肉眼では違和感を感じない波紋の湧き水と、でも写真は上下が逆に見え不思議と良く見ると小さな流れが地中に吸い込まれている様だ、まるでブラックホールが何もかも吸い込んでいるように想像でき楽しくなった。そして僕は散歩やサイクリングを続けるのは写真を撮って楽しむ為と改めて思った。

通信障害

2018/12/07

昨日、大規模通信障害のニュースをテレビで見て、最初に太陽フレアと思ったが今日の新聞を見ても原因は詳しく載っていなかった。何時もニュース映像を見ていると一方的に組み立てられて行くストーリを感じてしまう、町中でケイタイが繋がらずに困っている人の様子を伝えているのだが、緊迫した事柄は無いように感じた。そしてケイタイが無ければ生活出来ない事を強調している映像だけではニュースとしての内容に不満を感じた。僕もケイタイやパソコンを使用しているが年金暮らしの今は仕事社会からの離脱組で、ケイタイやパソコンが無くても生活できる自信はあるが、でも暮らす社会はAIやITでコントロールされている現代で通信障害が起きると社会全体に支障を来たし大変な事態になる状況を見ると個人で生きられる社会では無いと実感した。

写真は浜大津港を出航する学習船うみのこ、から元気な小学生の歓声が聞こえてきた。新型船になってから衝立の様な高層マンションの眼前で急旋回する姿に迫力感じた。琵琶湖は水位が下がり狭くなった様に見える湖岸では餌場が増えたのかコサギを良く目にするようになった。水の止まった疎水では重機が下ろされ清掃作業が始まった。

世界の何処かで

2018/12/06

今日撮った写真をパソコンにアップした。琵琶湖の雨景は心を沈ませてくれた。浜大津港のヨットハーバーの光景は豊かな暮らしを象徴している様に比叡山を背景に高層マンション群が控える眺めは豊かさの中に暮らしていると思わざるを得ないが、幸せかどうかは別にしての事だとおもった。午後、読みかけのフォトジャーナリズム誌DAYS・JAPANを読んだ。世界各地の難民の状況が写真と記事で紹されていた。新聞やテレビでは知らされていない事が多いのに驚いた。ギリシャ・レスボス島では劣悪な難民キャンプで暮らす人達の過酷な状況には心が痛んだ。2015年以降、中東での戦火を免れてきた人達の多くが未だ行く当てのない難民キャンプで過ごしている様子を撮った写真に見入った。そして南米ベネズエラでの深刻な食糧難、国家崩壊その後、はモノクロ写真で国家の暗部が生々しく伝わってきた。何時の時代も弱い貧しい人達へのしわ寄せが何故と、国際社会は豊かで強い国のことばかりの話題のニュースで成り立っているが、地球上に存在する弱い立場の人達への眼差しが足りないのではと思いながらページを捲ると、貧国に潜む肥満危機の記事が目に飛び込んだ。何故、貧しい国で肥満がと思った。記事を読むと、今、人類史上で標準体重を上回っている人の方が下回っている人より多い時代を向かえた。とあり驚いた。食糧飢餓に苦しむ国が多くある中で肥満で困る国が在るのは何故と、記事を読むと貧しい人は主要穀物よりも脂質,糖分、精製穀物を含む超加工食品と糖分を多く含んだ炭酸飲料らを多く食すためとあったが、これも貧しい人達が生きる為には豊かな国が生産する加工食品を食べなければならない現状を知らされた。豊かな大国が戦争や武器生産を止めたら解決できる問題ばかりではと考えるが、個人では解決できる事ではないがと・・・ただ知るだけでは貧困や難民問題は解決できないと思うと気分は沈むばかりだ。

日常の叙景

2018/12/05

今朝の散歩で鹿関橋から水の止まった疎水を除くと側面の汚れが気になった、良く見るとドロがこびり付き少し異臭がした。疎水を流れているのは琵琶湖の水、其の水が一年流れると、これほど汚れるのかと驚いた。子供の頃から疏水は見ているが、此の様な疎水の側面の汚れは見るようになったのは此処数年前からではと思いながら疎水を見た。そして琵琶湖は大丈夫なのかと少し心配になってきた。三井寺の総門を潜り石段を上がった。観音堂へ向かう石段は紅葉の落ち葉で絨緞の様になった。其の中を巡礼の人達が綺麗やと歓声を上げながら石段を上っていった。僕はその様子をデジカメで撮りながら、新聞の写真で見た湖北の名所を想像した。三井寺も隠れたモミジの名所ではと思った。そしてスマホで撮ろうと構図を決めると巡礼の姿は無かった。最近はスマホでのフェイスブックの友達も増え写真を載せる為に良くスマホで撮るようになった。便利なモノを批判してきた自分が頻繁に利用している現況に矛盾を感じたが、これが現代を生きる術と自分に言い聞かせた。湖岸サイクリングでは、少し気になることが何時もならユリカモメ、そしてオオバンの大群が羽を休めている湖面にはオオバンの群れが少し見られるくらいだ、なにか渡り鳥に異変があったのではと心配した。膳所由美浜湖岸では久ぶりに狩りの名手のシラサギを見かけ写真に撮った。湖岸の木々も葉を落とし寒々とした冬景色へと変化、でも気温が高く風も弱く自転車にとっては最高の日となり快適に湖岸を走った。

簡単な修理

2018/12/04

朝の散歩、湖岸サイクリングを済ませると野外活動は終了だ。午後の暇な時間を持て余し退屈していると、水道の蛇口の水が完全に止まらないから見て欲しいといわれ裏庭の洗面台へ行くと蛇口から僅かであるが水滴が絶え間なく落ちていた。早速、修理を依頼しようと町内の業者の処へ出かけると生憎、修理人は夕方まで帰ってこないと告げられた。そして以前、水道の蛇口のパッキンは誰でも簡単に取り替えることが出来ると聞いた事を思い出し、におの浜のアヤハへ水道栓用のパッキンを自転車で買いに行った。店内を探すと水道関係の部品のコーナーにパッキンは見つかったがゴムパッキンだけでは心もとなく感じ、ついつい余分なモノまで買ってしまった。帰宅後、庭の止水栓で水道を止めてから蛇口をスパナでナットを回すと簡単に蛇口を外す事が出来た。後はゴムパッキンを取替え元に戻し作業終了、いとも簡単に修理が出来、少し驚いた。こんな簡単な水道修理を業者に依頼していたのかと反省した。世間では水道漏れらで工事を頼み高い修理費用を請求された人がテレビで話していた事を思い出した。世の中、簡単なことが出来ない人達から高額料金を請求する業者は許せないと思った。そして簡単な作業で修理できるモノは自分で済まそうと自分に言い聞かせた。そして修理が終わった蛇口を確認すると水漏れはなく、確りと水は止まっていた。 

写真は京都琵琶湖疏水の流れは止められメンテナンスに・・・

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