マルティン・ニーメラー
2019/02/10
寒気の南下で寒さ厳しい中を湖岸サイクリグした。打出浜湖岸に佇んで琵琶湖を眺めると若狭の原発群が気になってくる特に冬場事故を起きれば琵琶湖の水がと心配になった。そして今年は参院選だ、何時も選挙に行く気は無く、感心を持つ政党も無く僕には関係ないと思う時、何時も思い出してくるナチス時代の牧師マルティン・ニーメラーの話が何時も心の奥底で叫んでくる、ニーメラーの話は有名で知っている人も多いので詳しくは書かないが僕なりの解釈で、ドイツのナチス時代、ニーメラーの周辺で次々と起こる弾圧は自分には関係ないと思いながら暮らしていると気がついたときには自分も弾圧され身動きできないナチズムの中にいる自分に気がついたときにもう遅く取り返しのつかない状況になっていた、そんな自分を振り返った言葉がニーメラーの詩としてパソコンで調べると詳しく載っている興味ある方はぜひ・・・現在の安倍政権の状況は正しくニーメラーの暮らした時代とオーバーラップしてくる、森友問題,加計問題、統計問題ら有耶無耶にして、あった事も無い事にしてしまう状況、そして記者の発言封じまで進んでいる様子を見ているとジャーナリズムは機能してゆけるのかと心配になったきた。原発再稼動も40年を超える老朽原発は事故が起こってからでは遅すぎる絶対止めるべきと・・・政治でしか変えられないと考えるが・・・残念ながら選べる人が・・・誰か正義の味方は居ないのかと琵琶湖の彼方を見た。
琵琶湖の写真そして映画
2019/02/09
今日の午後、大津教会の会議室で、さいなら原発・ネットワークの総会があった。そして講演が・・・世話人のTさんの提案で琵琶湖のはなしを聞くべきと僕に白羽の矢が、そんな訳で一時間余り写真を見せながらの講演となったが、三十人程の中でどれだけ琵琶湖に興味を持っているかと考えながら話を進めた。話していて感じるのは然程興味を持たない人も多くあると感じた。50年間の僕の記録写真を見せたところで運動家などには無理な事と感じた。そして久ぶりに俺の見たびわ湖も上映した。僕も映像を見ながら此の映画を編集してくれた関本氏のセンスのある編集に改めて感心した。今日の集いでは編集の良さなど感じる人は一割もいないのではと思いながら映画を見終えた。此の様な催しでの上映はしたくないと思ったが、でも嬉しかったのは三名ほどの方が僕の映画の上映をわざわざ見に来てくださったことで僕の作った映画も浮かばれたと思った。
寒波が
2019/02/08
テレビの天気予報が今年一番の猛烈な寒波が襲来と伝えていた。今日は其の所為か風も強く湖上は波立って久しぶりの荒れ模様だ。湖岸サイクリングも今日はショートカットして、におの浜で引き返した。波が強くオオバンも今日は陸に上がっている、さざ波に揺られるのは気持ちが良いが白波が立つ湖上では酔うのかもと湖岸に上がったオオバンをデジカメで撮りながら今年の水鳥の少なさは地球温暖化の影響があるのではと考えた。
伐採される桜木
2019/02/07
三井寺の桜の殆どはソメイヨシノで古いものは樹齢60年を迎え、衰えも目立ち良く見ると天狗の巣病に侵された木も見られる、今日の散歩で境内を歩くと金堂へ通じる参道でソメイヨシノの伐採が始まっていた。大きな枝が折れる危険もあり春の観光シーズンへ向けての安全対策かと切り株を見た。切り倒されたソメイヨシノには此の春に咲く予定をしている蕾も多く見かけ少し気の毒に思った。僕の住む界隈は桜の名所で春になると多くの人が訪れる事で有名な三井寺と京都疎水の桜は見事だ。でも桜の殆どがソメイヨシノで特に疎水の桜は樹齢が60年を越えたものが多く去年の台風で何本も根から倒された。数年前から古い病んだ樹から伐採された後にソメイヨシノが植樹されているが大きな樹に育つには時間が必要だ。個人的な希望だが新しく植えるなら山桜も入れて欲しいとおもった。ソメイヨシノは明治政府の肝いりで全国的に植えられ、富国強兵のシンボルとパソコンに記してあった。そんなイメージを持つソメイヨシノより山桜を植えて欲しいとおもった、そして僕の通った長等小学校の校歌の中に、春は校舎の窓近く輝き匂う山桜・・・を思い出した。
二枚目の写真はルビテル166で撮ったフイルム写真の疎水です。
The Catcher in the Rye
2019/02/06
好き好んで英語でタイトルを書いたのではなく、最近読んだ本の表紙は英文だが中身は日本語だ。其の本を読む切っ掛けは映画、ライ麦畑の反逆者 ひとりぼっちのサリンジャーを見て、主人公のサリンジャーが書いた小説、ライ麦畑でつかまえて、を読みたくなった。そして本屋で調べると村上春樹訳のものもあり、それを取り寄せ読んだ。内容はホールデン・コールフィールド(高校生)が主人公の思春期小説を79歳を迎える爺が楽しく読めるのも訳者の所為かと思った。小説はニューヨークが舞台で20世紀末のアメリカの大都会の様子が伺え行った事も無い町が想像できた。ホールデンの自由気ままな学生生活と屈折した青春の生き様に憧れを感じながら読み進んだ。この時代の素晴らしさは人間がデジタル機器らに左右されずに人間らしさを謳歌していた最後の美しい瞬間と思いながら読み終えた。小説に限らず映画の世界も人間の赤裸々な生き様を表現するのも難しい時代になったのではと考えた。21世紀の現状は・・町の喧騒や猥雑さが消え、美しく見える風景には喜びも悲しみも肉体で感じる事がない、無味乾燥なデジタル社会が広がっている、行き交う人は辺りの様子や人の顔も見ずにケイタイに集中するばかりだ。電車に乗っても車窓風景など楽しむ人は皆無だ、未来の電車には窓が無くなっているのでは想像してしまった。そしてデジタル時代に浸かっている自分はとケイタイの画面を見ながら考えた、棄てるべきか、持つべきか、そして本当に必要なのかと自分に問うてみた。

















