中島省三の湖畔通信

夕景の素晴らしさ

2018/10/09

今日も晴天に恵まれた。湖岸を自転車で走るには最適のシーズンだ。青空に雲は無く琵琶湖は平凡な風景になり、湖面はさざ波も無く静かだ。昨日の夕景は格別に美しかった。羊の大群が大平原に散らばっているような羊雲が波状的に広がるダイナミックな光景を楽しみながら夕焼けを待った。期待した通りの夕焼になった、まるで綿菓子の様に見える雲の下部が炎で焼かれた様に見え、大空の夕景ショーはクライマックスを迎えると空から綿菓子が焦げた、甘い臭いが地上まで達するのではと思いながら写真を直向に撮った事を思い出しながら琵琶湖を見ていると普通の好天の琵琶湖の眺めもほっとして良いのでと日常が感動することばかりだったら疲れるのではと考えた。

午後は浜大津アーカスへ映画を見に行った。久ぶりにフイルムで撮られた映画、散り椿(撮影・監督木村大作)は落ち着いた色調で改めて時代劇はフイルムで撮る方が時代を感じるのではと思いながら映画を楽しんだ。

快晴と晴れ・・・

2018/10/08

今日も青空が広がり爽やかなお天気の中、何時もの散歩へ出かけた。空を見上げると雲一つない快晴と疎水に架かる鹿関橋から三井寺を見ると上空に積雲が見えた、気象的には雲が少しあれば唯の晴れかと少し残念な気がした。三井寺の展望台から琵琶湖を眺めると空を飛びたくなった。でも今日は晴れ、積雲が処所にあり高度三千メートルから下方を見ると雲の陰が出来て撮影には不向きではと考えた、そして飛行予定も無いのにと苦笑した。帰り道、観音堂書院で開催されている、つくろひ、藤原敦写真展を見た。作品はフイルムで撮影さたモノクロ写真がテーマー別に展示されていた。僕は島の詩人のコーナーでの作品が語りかけて来る様で暫し魅入った。久ぶりに見るモノクロ写真に本物の重みを感じた。最近はケイタイやデジカメで簡単に誰でもが写真を撮れる時代で写真は軽く存在感もないデジタル画像となった、写真を紙にプリントする人も少ない現状では貴重な記録を未来に残すことが出来るのか心配になった。僕の手元に残っている写真の中でも写真館で撮られた母の写真は今も記録の重さを伝えていて、僕の撮った写真には重さを感じる事はないと自分の実力の無さを認めるしかないと思った。そして時にはフイルムカメラで撮影しなければと考えた。

湖岸サイクリングで見る琵琶湖は秋全開だ、今年も秋は短いのではと思いながら走った。

曳山巡行

2018/10/07

今日は大津祭り本番の曳山巡行が執り行われた。幸いお天気に恵まれ多くの見物客が押しかけ盛況となり大津の町は昔の繁栄を感じさす日となった。お祭りが日常に迎合するのは好きではないが観光事業化しなければお祭りが成立しない現状では仕方が無いと思った。でも神様が確りと監視されているのか京都の祇園祭らは昔の日取りで行われている、そして、全国では昔どおりに行われている、お祭りも多いのではと思いながら曳山巡行を見た。大津祭りの良さは曳山に近付き祭りの熱気を誰でもが味わえる庶民的な要素の残った貴重なお祭りだ。十三基の曳山が要所で、からくり人形が演じる題目は面白く、観客を熱狂させている風景は僕の子供の頃と変わっていない光景を見て、伝統芸能の持つ不思議な力に感心した一日だった。

台風は逸れた、祭りだ

2018/10/06

今日のお天気には振り回された。雨具は着用するも激しい雨に長年愛用のゴア合羽では対応しきれなかった。湖岸サイクリングでも急に雨が降り出し登山用の雨具を上下着用、此方は新しい所為か雨を通す事はなかった。お天気の急変するのは自転車で走る湖岸だけで湖上は静かで雲が神秘的な琵琶湖を演出してくれた、お陰で久ぶりにドラマを感じる写真が撮れた。
そして今日は大津祭りの宵宮、心配された雨は止み、空には星も輝き絶好の宵宮となった。僕の住んでいる処は大津祭りには関係ないが、此の時期になると少しは気になるお祭りだ。子供の頃は大津祭りとは呼ばずに四之宮祭りと言っていた、そして祭りは10月10日で宵宮は9日と決まっていた。全国各地でお祭りが日常に迎合してから土曜日や日曜日になった。神様が資本主義経済に負けたから、そうなったのかと思った。夕食後、山町へ出かけると既に多くの人が祭囃子の流れる曳山見物に訪れていた。提燈が美しく飾られた曳山が夜の空間に浮かび上がる光景は大津が歴史ある町である事を証明している様に見えた。そして十三基が点在する曳山を巡る多くの人達でこの日ばかりは昔の賑わいをとりもどし町が活気づいた。

便利で効率が・・・・

2018/10/05

昨夜、テレビで報道ステーションを見て、便利で効率の良い未来の社会は素晴らしいのかと少し疑問を感じた。今朝の新聞第一面でもトヨタ・ソフトバンク提携、自動運転車で新事業の記事があった。テレビではキャスターがCG合成?画像で映し出される未来の自動運転車を得意げに話している姿を見て僕は白けてしまった。出かけなくても家の前までレストランが来て料理を提供らの便利な一面を紹介しているが、サービスを受けるにはお金が必要で生活困窮者や年金生活者では無理ではと考えているとウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカさんの言葉を思い出した。車や便利な製品を買う事により、其の支払いに貴重な人生の時間を働かねばならず自分の時間が消えてしまい自由で豊かな暮らし出来なくなると、そして本当の貧乏はモノを欲しがる事だとも言われた。僕は便利になる事を否定するつもりは無い、パソコンやスマホまでも使用してい現状だが、それでも自分なりに考えて車やバイクらは13年前に止めた。理由は働かねば維持できないと分かり、ムヒカさんが言われる様に人生終盤の貴重な時間をモノを得る為に働く事はないと思ったから、でも僕が歳が若ければ働いて車を維持しし続けた事と、今は幸い高齢者でそれほど物欲も感じず人生を歩ける自信もできた。最近はAIの言葉が氾濫している現代、何もかもAIに変化するには少し時間が早いと考えるが、いまだ明治時代の考えを持つ政治家が多い此の国では政治に賢いAIロボットが活躍した方が上手く行くのではとおもった。そして未来では人が消えた地球上でAIロボットが地球の自然を取り戻し青い地球が復活するのではとSF小説の世界を創造した。

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