市民ケーン
2018/09/14
雨が続き湖岸サイクリングも出来ず時間を玩んでいるだけではと、以前から気になっていた映画市民ケーンをツタヤで借りた、残念ながらフイルムで見ることは出来ない今はDVDで見るしかない、映画は1941年にアメリカで公開され話題になった作品だ。監督・主演はオーソン・ウェルズのアメリカ映画は僕が見逃した作品で一度見たいと思っていた映画をやっと見ることが出来た。モノクロフイルムの映像表現は古さを感じず楽しく見られた。市民ケーンが死亡したところから映画は始まり、回想シーンで物語られる、絶大な金力と権力にものを言わせて新聞業界を支配、そして政治までも手に入れようとするミイファーストの生活ぶりを見ていると権力者の構造は今も変わっていないのではと・・・アメリカのトランプ大統領のアメリカファーストらも市民ケーンと同じだ、そして我が国の安倍首相、ロシアのプーチン大統領、中国の習主席、北朝鮮の金委員長ら権力者
の姿が映像と重なって見えた。そして叶うならフイルム上映で見てみたいと思った。そしてラストシーン、死に際に残した言葉、バラの蕾は、市民ケーンが最後に感じた無常感ではと考えた。
1941年と言えば日本軍が真珠湾攻撃をした年にアメリカでは社会派映画が製作されていた事に驚いた。僕が好きな映画第三の男にもオーソン・ウェルズが主演していて、此方はフイルム上映で見た。素晴らしいカメラワークは今も僕の記憶に・・・・
秋の気配
2018/09/13
毎日の散歩では必ず鹿関橋から疏水を見るが、昨日から水が止められた所為で小川の様になっていた。流れの中には伏流水が涌いている箇所もあり、湧き出る水の波紋が美しく見えデジカメで其の様子を撮った。そして暫らく見とれた。この時期に疎水が止められる事は珍しいと掃除は年に一回行われ冬と記憶している、台風21号の風で大津側、疏水の桜も僕の見た限りでは5本も倒され、まだ大きな根っこは落ちないようにロープで固定されたままだ、トンネルの向こうは京都山科、其方を流れる疏水の堤防にも多くの桜木があり、今回の台風で倒れた桜の除去工事の為に流れを止めたのかと想像して三井寺へ向かった。観音堂から上の展望台への石段の倒木は除去され、久ぶりに展望台から琵琶湖の展望を楽しんだ。湖岸サイクリングで走る湖岸は秋の気配が、湖面も緑色から少し重さを感じる深い青色に変化した。今日は風と波があり釣り人も少なく静かな佇まいだ。由美浜の草むらは秋を演出してくれるが、残念ながら風の音で虫の声が聞こえてこなかった。今年も秋が短く、直ぐに冬が来るのではと思った。帰路は追い風、ペダルを踏む足も軽く快走した。
撮った写真をパソコンでチェックした。水の波紋が逆さまに見え、不思議に感じた。デジカメを逆にした訳でもないのにと・・・目が確かなのかデジカメの方が正しいのかと・・・自分の目で見る実像は其の様には見えなかった。自分の眼が正しいと・・・でも人間の目ほど不正確なものは無いと言われている事を思い出した。
森羅万象
2018/09/12
今日は雨、湖岸サイクリングは諦めパソコンを開き以前に撮った写真を見ながら湖畔通信の写真を選んだ。夕景は二日前の写真、東方の夕焼けは何時も不思議に感じるが別に珍しい現象では無いとパソコンにあった。昨日の写真は雲が美しいロール状に、多分、風の仕業と思いながら、小型機がこの様な状況に出くわせばアクロバット飛行の様にロールかループするのではと想像しながら画面写真を見た。自然現象を表現する言葉、森羅万象をパソコンで調べ、なるほどと、そして便利な言葉と感心した。今朝の三井寺の蓮池で見た蓮は美味しい洋菓子タルトを思い出させてくれた。急にタルトが食したくなるも近くには洋菓子屋など存在せず食欲だけが残る寂しい雨の日になった。
空の美術館
2018/09/11
久しぶりの空の美術館が出現した。打出浜から見る琵琶湖上空には巻積雲、巻層雲,高積雲、そして積雲、もちろん発達中の積乱雲等の雲の作品が青空に展示された。改めて水の持つ循環作用の素晴らしさに驚きながら何度もデジカメのシャッターを押した。今日の湖岸サイクリングは爽快でペダルを踏む足も疲れを感じなかった。帰路、におの浜から、琵琶湖を見ると、夏の空と秋の空が競っている様にも見えた。変化自在の水が描き出す空のアートを楽しんだ。そしてコーヒーブレイクに何時もの喫茶店タイムに寄った。コーヒーを飲みながら、撮った写真を見ていると、少し違和感が・・・先ほど見た実風景の雄大さは微塵も感じる事が無い、掌よりも小さな画面で見る雄大な景色は既に色褪せて見えた。リアルな空間で感じる人間の矮小さは無く自然空間が余りにも微小に見えた。デジタル映像が氾濫する現在、掌の様なモニターに映る自然空間を、リアルな空間と認識する脳に変化しつつある社会の危うさが心配になってきた。此の様な社会では自然災害に対しての備えが甘くなるのではと思った。テレビやパソコン、ケイタイ画面で見るリアルな世界はバーチャル空間と区別、出来なくなる近未来はどの様な世界にと少し怖くなってきた。
リアリティー
2018/09/10
午後、僕のケイタイに着信音が、ラインで妹が樟葉は青空が出ていると写真を付けて送ってくれた。間もなく大津も青空がと外を見ると小雨が降っているが、雨上がりの琵琶湖が見たくなり、雨具を着て湖岸サイクリングへ出かけた。雨の日は人影も少なく湖岸は静かな佇まいだ。湖岸の処所で釣りをする人が静かな湖面に糸を垂れていた。打出浜から琵琶湖を見ると比良山系が日本画の様に見え、デジカメで撮った。そしてデジカメの画面で確認しながら、実際の風景と見比べた。そして自分の肌で空気を感じて見るリアリティーな眺めを写真に写し撮る事など出来ないと思うが・・・でも現代はテレビやケイタイの映像の方にリアリティーを感じる人の方が多く、肌身離さず持つケイタイには人間の肌間隔が既に備わっているのではと思うようになった。雨に濡れながら雨情など感じなくてもバーチャル空間で感じれば濡れれずにすむ空間がリアリティーになってしまったのではと、雲が雨に変わり行く光景を見ながら変化した現代社会の在り様に戸惑いを感じながら琵琶湖雨情を楽しんだ。

















