中島省三の湖畔通信

旧東海道札の辻

2018/08/21

近年大津に移り住んだ人には札の辻、東海道そして大津八丁通り、と言っても場所すら分からない人が多いのではと思った。今日、湖岸サイクリングからの帰路、久ぶりに大津の町中へ入った。県庁前から京町通りへ、この町並みは旧東海道だ。甍の町家が1940年代までは軒を連ねて其れなりの町並みが往時の賑わいを感じさせてくれた。今では新しい建物が増え大津宿をイメージするのも難しいと僕は思った。寺町通りから札の辻へ向かう旧東海道は最近石畳風に舗装され町家ホテルも開業しているが人通りも少なく閑散としていた。歴史もあり昔栄えた宿場町としての雰囲気もあると言われているが僕は納得はしていない、昭和40年代は古いお店や喫茶店や元遊郭の柴屋町も賑わっていた。現代では昭和を感じる料亭も少なくなり町を歩いても寂しい限りだ。これから先、町の発展は望めないが、住み易く暮らしやすい町を目指すのが良いのではと静かな町を自転車で走ると旧東海道の西方を見ると三井寺観音堂が見えると何故かホッとした。

人新生?

2018/08/20

コメダでコーヒーを飲みながら朝日新聞を読んだ。文化欄で人新生なる言葉が目に、気になり読むも概要が頭に残ったぐらいだった。帰宅後、パソコンのお世話になった。人新生でグウグルと沢山出てきた。人新生(アントロポセン)は地球の地質年代で今から1万1700年からの新生代第四紀完新生の時代が終わり人新生の時代に入ったと唱える学者がつけたと言われている人新生に興味ある方はパソコンで・・・最近の考えでは人新生が始まったのは1950年頃と言われている、科学技術の発達で産業は異常に発達、消費資本主義は地球上を制覇?今では環境汚染の原因は枚挙にいとわないがプラスチックの海洋汚染、原子力発電や核実験による地表汚染らが地球の地質に記録?蓄積され何万年の時間が流れ・・・其の時代に人類がもし生きていて、其の時、地球の地質を調べると汚染された地質層が人新生と名前が付けられる・・・・と僕の頭で理解できるのは其処までと思った。
人新生(アントロポセン)を提唱した学者の本意は地球温暖化・人間による地球環境の悪化に警鐘の意味を込めたのではとパソコンの記事の中でそう締めくくっていた。世界の国々では自然再生エネルギーを主軸にした発電が主になりつつある中で、日本とイタリアだけが未来に向けての計画が発表されていないと聞く、そして日本では化石燃料と原発による発電がベースロードと世界に逆行した考えでは地球温暖化に加担するばかりと思った。

琵琶湖ペーロン大会

2018/08/19

今日も湿度が低く暑さも凌ぎ易く湖岸サイクリングを楽しめた。膳所由美浜サンシャインビーチでは琵琶湖ペーロン大会が行われていた。今年で28回目と聞く、歴史ある大会と改めて知った。サンシャインビーチは参加者で埋め尽くされていた。ペーロンにも種類がある事に気がついた。20人の漕ぎ手のペーロンは太鼓に合わせ、二十人が一斉にパドルを漕ぐと想像を超えるスピードで湖上を滑る様に進んだ。競技は10人の漕ぎ手と20人の漕ぎ手のペーロンと二種類だが見る限りでは20人の漕ぎ手のペーロンの競争は見ていると迫力を感じた。数レースを観戦しながらデジカメで写真を撮った。風が少し強くレースをする漕ぎ手は大変と思いながら由美浜を後にした。帰宅後、ペーロンをパソコンでグウグルと1655年に長崎で行われたとあり、歴史の古さに驚いた。起源は唐船が暴風が原因で難破して多くの犠牲者が出たことで、海神の怒りを鎮めるため母国の遊技のペーロンの祭りを始めたのが最初と・・・琵琶湖のペーロンは何時まで続くのかと考えながらパソコンを閉じた。

自然の涼しさ

2018/08/18

やはり自然の涼しさは違うと感じながら湖岸をサイクリングした。クーラーでは限定的に部屋、もしくは限られた空間だけが冷やされるだけだ。自然のクーラーは日本全体を涼しい空気で包んだ。地球温暖化の原因は特定する事は出来ないと言われているが人類が便利さや快適さを求めた結果ではと、そして人間ファーストが地球の自然環境を狂わしているのも事実ではと思った。台風も大量生産され次々と日本列島をターゲットにして押し寄せてくる、どうか被害が大きくならないよう祈るだけだ。打出浜から見る琵琶湖の湖面は緑色に変化、琵琶湖に何か異常が起きているのではと心配になってくるが自然の回復力を信じるしかないと思いながら湖岸を後にした。

昨夕、湖岸へ出て、空を見上げるとオレンジ色の飛行機雲が輝いていた。暫らく飛行機雲を見ていると映画,風立ちぬ、の挿入歌、飛行機雲が何処からと無く聞こえてくる様に感じた。そして同じ空に月が浮かんでいた。僕の見ている空の不思議さに少し戸惑いながら月と飛行機雲が存在する空と言う空間の広さの感触を試したくなった。

死神に魅せられて・・・・

2018/08/17

本当の死神に見せられた訳ではない、死神が題名についた本を続けて読んだ事が原因だ。最初に読んだ、死神裁判(ヨハネス・デ・テプラ訳石川光庸・青木三陽、共訳)を読んだ。仏教の死生観と無常を感じながら読み終えた。中世古典の名作を読めたのは訳者の上手さが在ったからだ。そして死神の精度(伊坂幸太郎)は死神、続きで本屋で衝動買いして読んだ。短編集で死神が色んな条件で人間に接して行く過程の面白さにはまった。死神は人間と同じ姿で名前も千葉と名乗る男性だ。その千葉なる死神の超能力はさりげなく使用され見た目は驚くほどの事はないが、読んでいると痛快さとユーモアを感じる人間との会話が死神の暗さを消しているのだと思った。そして最近、読み終えた。死神の浮力、は少し長編、でも読み始めると死神の千葉に魅せられて、読み進んだ。久ぶりにスペクタクルを感じた,終末の自転車の追走シーンは死神がスーパーマンにも見え手に汗しながら読むと頭のスクリーンに映像が浮かんだ。年齢的にも死に近い距離にあるのは確かだ。死を深く考える事もない、そして暗くなる事もないと本を読み終えた。人は誰でも死ぬと・・・当たり前の事を考える事も大切と思った。

今日の湖岸サイクリングは快晴の爽やかと涼しさを感じ、死神は何処にも見えなかった?

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