オオバンは鶴の仲間
2018/02/28
湖岸サイクリングで見かける水鳥の数も少なくなった。浜大津港近くの湖岸から琵琶湖を眺めてもカモやオオバンの小さな群れが見えるだけだ。近くを見ると一羽のオオバンが道傍で餌を啄んでいる姿が・・・昨日、久ぶりに会ったOさん夫妻が人に懐いているオオバンがいると教えてくれた事を思い出し近付いた、自転車を止めると足下の近くまで寄ってきた。急いでデジカメを出し真上から撮った。久しぶりの航空写真の感覚を味わった。Oさんが言っていたオオバンに会えたと少し嬉しくなった。野生のオオバンが学習して人間が危害を加えない動物として理解したのかと思った。至近距離で見ると新しい発見が・・・それはオオバンの水かきがオシャレな形をしている事に気付いた。自然に進化した無駄のない美しいデザインは見事だと感心しながらオオバンの足を見た。そしてオオバンは鶴の仲間と知っているが鶴は大きく足も長く鳥の世界では美しさを誇る鳥類の代表が黒い水鳥オオバンと仲間とは信じられないと思ったが地球46億年の歴史から見れば植物、動物達、もちろん人間も皆仲間だったんだと改めてオオバンを見た。
スリー・ビルボード
2018/02/27
スリー・ビルボードは映画の題名で、ネットで調べ興味を持ち見たくなり京都の上映舘を探した。今まで映画と言えば京都シネマか京都みなみ会館で上映される映画は僕の好みと自己暗示に罹っていたのではと考えながら先日、デトロイトを見た京都ムービックスへと足を運んだ。自動券売機でチケット購入にも少し慣れたが館内の様子がイマイチ分からず指定席に着くも落ち着かず席を変えた、良い映画は空席だらけで好きな場所で見られると気分良く上映時間をまった。映画(スリー・ビルボード「監督マーティン・マクドナー」)は心地よい音楽に乗ってアメリカの南部の田舎町が映し出されると僕は素直に映画の中へと入って行けた。主人公の母親はレープされ殺害された娘の犯人が9月が経っても捕まらない事への怒りの矛先を警察署に向けて道路沿いに三枚の大きな看板を立てて抗議をすることからドラマが展開して行くが脚本の素晴らしさを見事に演じる俳優たちが2時間弱の物語を楽しませてくれた。人生の怒り、悲しみ、慈しみ、愛、不条理な社会を、ある時は可笑しく、そして哀しく進む時の流れをカメラワークの上手さでドラマの中に自分が存在している様に感じた、久しぶりの傑作映画を見終え、此の映画は人は全て性善説だと言っているのではと思いながら館外へと・・・
春は近くまで
2018/02/26
春の様な陽射しに誘われ今日は二度も湖岸へ向かった。久ぶりに写真心が湧きミラーレス一眼を携え浜大津港へ・・・カメラを変えると頭のレンズも応えてくれた。見慣れた景色にも新鮮さを感じ、写真を撮る楽しさを思い出した。何時もポケットに入れているコンパクトデジカメで撮る行為とさして違わないのではと、撮った写真をモニタースクリーンで確認すると春が写っていた。湖上を見ると渡り鳥の数も少なくなり春が近くまで来ていると実感した。
鶯はまだ鳴かない
2018/02/25
梅に鶯と言われているが、以前、梅林を訪れた折、写真を撮っていると小鳥が何羽も梅の花に戯れている光景を見た人が鶯がと、でも鶯でなくメジロだと直ぐに分かった。何時も散歩する三井寺では鶯のホーホケキョウの鳴き声を聞くのは桜のシーズンが過ぎ新緑の頃に完成度の低い鳴き声を境内で聞けた。今日も午後、読書に三井寺、ながら亭へ出かけた。本を広げながら庭を見ると鶯が立て札に留まっているのに気付き急いでデジカメを出すも逃げられた、でも直ぐに隣の立て札に留まった、ところを上手く撮れた、僕が鶯を写真に撮れたのは此れが初めてだ。モニターで確認すると鶯が写っていた。メジロと鶯を比べるとメジロの方が色も鮮やかで美しくメリハリのある顔が人に好かれると思うが、それなら何故、梅にメジロとは言わないのかと疑問を感じた。そして鶯は鳴き声を耳にすることは多いが姿を見かける事は余り無く見かけても動きが早く写真など撮れないと諦めていた。その鶯を写真に撮れた、嬉しさで何時ものコーヒーが美味しく感じた。
原子力緊急事態宣言
2018/02/24
今日は京都、知恩院和順会館へ小出裕章さんの講演を聴きに出かけた。小出さんとはチェルノブイリ原発事故後(1986年)に大津で原発事故の恐ろしさを題材にお話しをしていただいてからのお付き合いだ。講演は福島第一原発 現状と課題と題して一時間半、の話を聞いた。小出さんは何時も誰にでも分かり易い言葉で語られ、一緒に行ったNさんも原発事故の恐ろしさを勉強できたと頷いていた。話の中で原子力緊急事態宣言は未だ解除されていない事、そして廃炉作業は何十年・・・何百年とかかり作業の見通しさえ分からない現状を聞くと、これから先、此の国で生きて行く未来の人達へ大変な負の遺産を押し付けて去って行く我らは何も責任を取らず知らん顔では済まされないと思った。出来る事は原発の全廃を声高に叫び続けるしかないと思った。
帰路、京都の繁華街を歩くと大勢の人達が平和な時間を楽しんでいた。原発事故や世界の何処かでは戦争や紛争が起こって、何十万人の難民が路頭に迷っている現実を、知らせるメディアの少なさに嘆いていても解決しないと空しさだけが心に残った。

















