中島省三の湖畔通信

大人のファンタジー映画?

2017/12/21

京都みなみ会館が閉館する事をニュースで知り、興味のある映画はとパソコンで調べると、好きな監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの作品が丁度上映されていた。以前に見た「リアリティーのダンス」の続編「エンドレス・ポエトリー」(フランス・チリ・日本の共同製作)を、みなみ会館へ今日の午後に出かけた。映画は2時間8分と少し長いと思ったがホドロフスキーの魔術的な色彩は退屈する事無く大人のファンタジーを楽しめ出演者も前作に引き続き出ている女優さんの迫力も健在だ、そして撮影はクリストファー・ドイルが担当していて見事な手持ち撮影は「恋する惑星」以来だが、冴えたカメラワークを楽しみながら、次々とでて来るセリフは、素晴らしい誌で字幕を見るのも忙しく感じながら極色彩の映像を楽しみ充実した2時間8分はあっと言う間に過ぎた。明るく楽しく考えられる映画も良いと思いながら館外へでると東寺の五重の塔が夕日に浮かんでいた。

読書の時間

2017/12/20

本を読む時間を決めている訳ではないが・・・一日、30分から2時間位で気が向いた時に読むのが僕の読書スタイルだ。最近、続けて読んでいるカズオ・イシグロの小説の特に長編は登山の様に感じる、出だしは平坦な道で山の全容も見えず、ただ淡々と辺りの景色を楽しみながら歩いている様で少し読むペースは遅いが、ページが残り半分くらいから話の内容がおもしろくなってくると急に読むピッチが上がると読書時間も2時間を越えて最後まで読みきってしまう様子は僕の登山とよく似ている、頂上が見えると俄然元気が出て一気に頂上を目指す、そして下山はゆとりで登りの苦労など忘れ風景を楽しみながら麓に着く頃には充実感で心が満たされてくる、カズオ・イシグロの其々の小説は登山の様に楽しめたが、今、八冊目の、充たされざる者、では少し苦労している、それは余りにもページ数が多く、おまけに字が小さく読み辛いせいか中々、物語のおもしろさが掴めないが・・・ヒマラヤ登山は経験した事も無いが話しに聞くと長い時間をかけてやっと麓にたどり着き、それから山へ登ると・・・本を読むことは体力的に辛くは無いが・・・・今回の小説は手ごわいと残りページの多さにためらいながら今日も読み進めた。

開放感

2017/12/19

何と言っても開放感を味わえる風景は京都では見ることは出来ないと、今日も湖岸サイクリングで眺める琵琶湖の素晴らしさに感謝した。そして今日は午前と午後、其々の琵琶湖が見せる表情の豊かさを楽しめた。その光景は一つの生命体として活動している証と感じ、畏敬の念を込め琵琶湖を見た。冬の湖岸は人も少なく静かに琵琶湖と接しられる貴重なシーズンで心を鎮めるパワースポットではと考えた。近江富士の上空の様子は富士山上空のレンズ雲をおもわせ、標高が低くとも、富士山を想像をしながら見ると楽しさも広がった。

スキーシーズン

2017/12/18

打出浜からの琵琶湖の眺めは比良山系に雪を見ると冬が本格的になったとそして何時もならスキーの準備を始めるのだが、今年、一月の骨折で人工骨頭(インプラント)になりスキーは出来ないが雪を冠った山を見ると胸が騒いできた。県内のスキー場もオープンした所もあるが比良山系のびわ湖バレイは準備中だとか、スキー人口も最盛時は1800万人も超える年もあったと今日の夕刊に載っていた。そして今年の発表では580万人と少なくなった現在、スキー人口を増やすための企画内容の記事を読んだ。僕がスキーを始め、熱心に出かけた1960年代の混雑振りが懐かしく思い出された。スキー列車、シュプール号、やスキーバスは満員、スキー場に着くと民宿も満杯、ゲレンデは大混雑、リフトを待つ人の多さに驚いた事などが記憶として浮かんできた。よく通った伊吹山スキー場も閉鎖され先日もテレビで錆びたリフトらの残骸が映し出されるのを見ると少し寂しさを感じた。湖西でも比良スキー場も消え、そしてマキノスキー場もリフトが無くなった今ではお子様専用の雪遊び場となった。マキノと言えば手軽に山スキーが楽しめ、赤坂山へのスキー登山は楽しい思い出と・・・今年は雪が多いと天気予報が伝えている、スキーは諦めたが雪景色を写真に撮ろうと雪が待ち遠しくなった。

記録と記憶

2017/12/17

湖岸サイクリングの帰路、浜大津近くでNさんに久ぶりに出会った、Nさんがカメラ店を経営されていた頃はフイルム現像やカメラで、お世話になった方で、僕は先代(Nさんの父)からのお付き会いで、今でも記憶としてお店の佇まいが浮かんで来る、僕が始めて8ミリカメラと映写機を買ったと言っても父が代金を払ってくれた事も憶えている、其の頃(1961年)は8ミリフイルムは16ミリフイルムを使用、撮影時は半分の8ミリ(片側)を使用、しかも25フィートと短く約1分30秒で、今のビデオの感覚で撮影すると直ぐに使い切る時間だが、8ミリカメラの駆動はゼンマイで一回の巻上げで長くて15秒位しか撮影する事が出来なかった。でもカット割を考えて撮影すると納得するものが撮れた。片側が終わると、フイルムの向きを変えて、残りの25フィート(約7・5メートル)を撮影した後、現像に・・・現像所で半分に切断して8ミリ幅に、そして合わせて50フィートのリールに巻かれ手元に帰ってくるシステムだ。今では考えられない程、悠長な時間がかかったが、映像は簡単に撮れる現在のビデオカメラよりも確りと時代を切り撮っていたと自負している、その頃のテレビニュースも16ミリフイルム(100フィート巻きで約3分)でカメラマンは限られた3分間と言うより、もっと短い時間でニュース映像を組み立て撮影していた。僕は最近のニュース映像には正直ウンザリしている、最近のニュース映像には臨場感も迫力も感じないと・・・・原因は何かと考えた・・・僕はカメラマンが撮影時にニュースを組み立てる力不足が原因の一つではと思った。フイルム撮影は時間が短く頭で映像構成しながら撮影するので、頭にも記憶されるから僕は今でもフイルムで撮影した8ミリや16ミリの昔、撮った映像を頭の中に記憶していて、何時でも其の映像を浮かべることが概ねできると思った。今日はNさんのお陰で懐かしいフイルム時代を思い出せた。

写真の撮影機は8ミリカメラとベイビーパテ(9・5ミリフイルム)
1922年製、今は動かないが両方ともNさんに提供いただいたものです。

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