今日は宵宮
2017/10/07
今日は大津祭りの宵宮、心配されたお天気も夜には上がった。京都の祇園祭の宵宮ほどの賑わいは無いが地方都市のお祭りとしては立派なものだ、国指定重要無形民俗文化財になったこともあり今年は一段とお祭りは盛り上がると思った。夕食後、散歩がてら宵宮に出かけた。赤い提燈で装飾され灯りに浮かぶ曳山から祭囃子が鳴り響き何時も静かな町が生気を取り戻し昔の繁栄した頃の大津の町が再現される光景を見ると京都では感じられない鄙びた風情は格別と思いながら町を歩いた。
高齢者講習
2017/10/06
車の免許はもう車も無いし止め様かと思っていたが認知症の検査もあるので行く事にして今日、近江神宮の近くの自動車教習所に出かけた。検査は試験用紙に記憶力や認知力の問題が殆どで記憶力には自身があるので問題なく高得点でパスした。後は実技講習があるだけと知らされて講習は終った。マイナンバーはイマイチ納得しがたい、車の免許証は身分証明に使えばと実技講習も受ける事にした。今日は写真に困る一日となった、無理やり考えた末の写真はこんなもんと開き尚って載せる事にした。近江神宮前まで乗った京阪石坂線のニューカラー電車は外装よりも内装がオシャレだと思いながら写真に撮った。朝の散歩では虫達のアートに心を引かれた。
湖上も湖岸も・・・・
2017/10/05
三井寺の展望台から烏丸半島方面を見ると漁船らしきものが多く集積しいる様子を写真に撮り、すぐにカメラの画面で倍率を上げて見ると水草の除去作業をしていると分かった。赤野井湾,志那港付近は水草も多く繁茂している様子は以前によく見た事を思い出した、車を止めてからは出かけることも少なくなり琵琶湖の現状が見られ無いのは残念と悔やんだ。湖岸サイクリングで湖岸から湖上を見ると昨日は波があり藻群は見えなかったが今日見ると藻群の多さに驚いた。スーパーかいつぶりU号でも一週間位は作業しなければ湖面の藻群は除去できないと考えた。由美浜湖岸の土手の雑草も綺麗に刈り取られ、エノコログサ、萩の花も消え少し寂しい風景が広がっていた。湖岸を埋立て人工化すると経費が掛るばかりだ、葦やマコモが繫る自然湖岸なら除草作業などしなくてもよいのではと思いながら写真に撮った。打出浜湖岸ではシラサギが目に、急いでデジカメを出し撮っていても余り飛び立つ様子も無い、カメラの画面で確認すると狩りの名手のシラサギと判った、何故なら此のシラサギの特長は首の辺りが少し変形しているのが目印だ。学習能力の高さからか写真を撮っていても安全と認識しているのではと思った。藻群を利用する事を学習した賢いシラサギに敬意を表して其の場を後にした。
琵琶湖の海難事故
2017/10/04
琵琶湖では最近海難事故が増加していると新聞記事で知った。ジェットスキーやプレジャーボートの性能が上がり操船が難しくなった事も原因の一つとしていた。カヌーによる無謀計画での遭難事故も多くなっているそうだ浜大津港から湖上を見ていると滋賀県警の警備艇が帰港してくる姿が見えた。今日も事故があったのかと心配しながら写真を撮った。何時も見る狩りの名手、シラサギは湖上で狩りをしている、このシラサギだけが技を会得したのか他のシラサギが沖合いで水面に飛び込む狩りをしているのを見かけたことが無い、よく見ていると強い風を利用してスローフライトで魚を確認して水面に突っ込む様子を今日も見た、やはり藻群がなければ水鳥でないシラサギは無理と考えながらシラサギの湖上の狩りを眺めた。
スーパーかいつぶりU出動
2017/10/03
浜大津、打出浜沖の藻群の除去作業が今日から始まった。打出浜の文化会館周辺の藻に少し異臭を感じていたやさきにスーパーかいつぶりU号が出動して水草を刈り取っていた。藻と言えばオオカナダモが大繁殖していた三十年前を思い出しながら今繁殖している藻の種類はと考えながらデジカメで数枚、除去作業をするスーパーかいつぶりUを撮った。今日の琵琶湖は穏やかな表情を見せている、琵琶湖大橋から此方を南湖と呼ばれていることは滋賀県に住む人は知っているが琵琶湖総合開発で南湖の様相が大変貌した事を知る人は少ないと思った。そして今読んでいる本、未来の年表で得た知識で考えると大津湖岸に立ち並ぶ高層マンションの未来を考えた少子化が進む未来、住む人がいなくなったマンションは廃墟へと進み、取り壊すにも予算が無く湖岸の廃墟群は日本が繁栄していた頃の負の文化遺産として海外から多くメディアが押し寄せて取材している風景が静かな湖面に浮かび上がってきた。そして総合開発でコンクリート化された湖岸も無残に破壊され処所に外来種の植物が生茂る湖岸へと変化、其れを整備する財源もなく自然の成り行きにまかせの地方行政ではどうする事も出来ずに放置された琵琶湖の南湖がそこにあるだけ・・・でも琵琶湖は滅びない、自然の変化の中で何万年とかけて琵琶湖は再生を繰り返しながら生き続けてゆくと想像しながら自然の流れの大きさに畏敬を抱かずにはいられないと思った。

















