良くなった大津の映画事情
2017/02/21
最近は京都へ映画を見に行く回数が減った、理由は浜大津アレックスシネマで上質な映画が上映されることが多くなり京都シネマらへ向かう回数が減った。今日も午後、新聞の映画批評で話題のアイ・インザ・スカイ(監督ギャビン・フッド)イギリス映画(2015)を浜大津アレックスシネマへ見に出かけた。切符を買うときに係員に最近、良い映画が上映され喜んでいる事を伝え、映画は誰が選ばれるのですかと尋ねると、全部支配人が映画を選んでいると答えが返ってきた。館内に入り席に着くと先ほどの係員の女性が来られて支配人に伝えておきましたと丁寧に挨拶されて恐縮した。映画は今の戦争は実際の戦場で攻撃するのではなく遠く離れたアメリカの基地から無線操縦でドローン等でミサイル攻撃をする近代戦を描いた作品だ、誰もがテレビや新聞で知っている事と思うが、映画はその様子を克明に描いて行く、会議室で戦略がたてられ、アメリカに在る基地で無線操縦される無人機ドローンによる近代戦の模様はSF映画ではなく現実の事と実感すると、僕は恐ろしい戦争の世界の中に生きている恐怖を感じながら映画を見終えた。映画は良く出来たシナリオとフイルムで撮影された事により現実感を感じた。戦場(会議室)にはテレビモニターがコンピューターに接続、そして無人機ドローンからリアルタイムで流れて来る映像により状況を判断して攻撃を進めて行くゲーム感覚の戦争には恐怖と嫌悪だけを感じた。映画に登場する少女の命を救う事は出来なかった、映画の中で叫ばれる命を救う戦争とは何か・・・命を救う戦争など現実に存在することは無い、命を奪うのが戦争だと、改めて日本国憲法の前文と九条の大切さを考えた。そして良い映画を見られた事に感謝しながら浜大津アレックスシネマを後にした。
ユリカモメが整列・・・・
2017/02/20
お天気はイマイチ、レインギアに身を包み湖岸サイクリングへ出かけた。デジカメはK01を久ぶりに首に架けクロスバイクのペダルを漕いだ、サドルの高さを低くした事もあり安全運転で浜大津港に、平日、そしてミシガン号は定期検査で船影は無い、でもビアンカと学習船うみのこ、が停泊していて港はそれなりの風情を保っていた。港の観光堤防を見るとユリカモメが手すりに整列しているのが目に留まり、自転車を降り静かに近付いた。久ぶりにユリカモメの大群?数は多くないが最近整列した姿を見た事がなく心が躍った。構図を決めながら何回もシャッターを切った。ユリカモメの飛翔する姿は僕の好きなグライダーを想像させてくれる、でも僕の一番好きな鳥はアルバトロス、所謂アホウドリの事、其の中でもワタリアホウドリは翼長3・5メートルもあり滑空する姿の美しさは一度見たら忘れる事がなく今も僕の脳裏に記憶されたままだ。眼前のユリカモメを見ているともう一度グライダーに乗りたいと思った。
ジュネーブ構想?
2017/02/19
今朝の散歩では三井寺、蓮池のアオサギ君には出会えなかった。写真の被写体も無く帰宅した。そして自転車を出し湖岸へと向かった。浜大津港ではミシガン号に変わりビアンカ号が湖上を滑るように進んで行った。今日は休日、浜大津、打出浜、におの浜の湖岸では多くの釣り人が見かけられた。僕も湖岸に立ち琵琶湖の遠望を楽しんでいると、先日テレビのローカルニュースで大津市長がジュネーブ構想なるものを発表したと、実しやかに内容を記者が解説していた。スイスの国際的観光都市ジュネーブと大津が似ており、大津もジュネーブの様に観光化して・・・・云々と伝えていたが僕には理解できなかった、と言うのはジュネーブにも行った事はないし何処が似ているのかも判らない、テレビから流れた言葉を思い出しながら琵琶湖とレマン湖、となるほどと湖が在ることは同じだが、その他では何処が似ているのかを少し考えた。そして計画では大津駅前通りを整備して賑わい等、29年度予算案に関連事業費として3750万円を計上したと伝えていた。僕は毎日、自転車で走る湖岸から見る琵琶湖の風景は素晴らしく一日として同じに見える風景など無く刻々と変化する自然のドラマを感じる事にはお金など不要で誰でも湖岸に来て佇めば美しい琵琶湖を眺め暫し世俗から心を解き放てるのではと思った。僕はジュネーブ構想など要らないのではと、そして行政の旗上げかと思いながら、以前、滋賀県が発表したネックレス構想を思いだして来た、それは琵琶湖周辺の観光地をネックレスの様に繋げて観光客を呼び金儲けをする計画だったが、何代も知事が変わり、計画は何処かに消えてしまった事を思い出し、少し可笑しさを堪えながら自転車を走らせた。
トマソン芸術
2017/02/18
トマソン芸術と言えば、かの有名な赤瀬川源平氏らの発見による芸術上の概念、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物・・・非実用においてもっとも芸術らしい物を超芸術と呼ぶ・・・とパソコンで調べると、その様に記してあったが、僕は二三十年前にトマソン芸術の事を知り記憶にあり、日常で見る光景の中にトマソン芸術を連想させる物に出会う事もあるが、いざ写真にと考えると面倒になり、撮るまでも無いと最近は諦めていた。でも毎日の散歩で訪れる三井寺の境内で以前から気になるトマソン芸術が、今日やっと写真に撮ることが出来た、それは大きな作品では無いが、椎の幹に食い込んで今も存在感を示している碍子だ、碍子と言っても知らない人のほうが多い現実、以前なら何処の家でも見られた電気配線の絶縁体として陶製の碍子が家の天井や柱に見られ今では姿を消した、それが白い陶製絶縁体の碍子(がいし)だ、今も我が家の玄関の天井には現役として存在していて昭和の名残を留めている、其の同じ碍子が椎の幹に取り込まれ椎の木の一部となって元気に暮らしている姿には超芸術を感じ、デジカメのシャッターを押した。そして傍らの椎の幹には、さるのこしかけ、が存在感を示して此方も芸術だと言っている様な気がした。
コンビには現代砂漠のオアシス?
2017/02/17
先日、読み終えた、小説、コンビ二人間(村田沙耶香)で描かれる人間模様とコンビ二が活躍する現代社会に興味を持った。夕食後、近くの小さなコンビ二に向かったと言っても家から数分で行け、ビールを買うのはコンビ二で買っているが、でも小説を読む前は然程、コンビ二には興味は無かった。小説の主人公がコンビ二と一体化して行く様子を読んでいるうちに今を生きると言う現実を突きつけれ少し切なさも感じた事を思い出しながら、夜のコンビ二が見たくなりカメラを持って出かけた。踏切に差し掛かると遮断機が下りて石山寺行きの電車が映画のワンシーンを見ている様に通過して行くと、自然に小説コンビ二人間の世界に入り込んだ、これから向かうガラスの城には主人公,古倉さんが、いらっしゃいませと声を弾ませ迎えてくれると想像しながらコンビ二に入った。近くのコンビは小説に出てくる大都会のコンビ二とは別物だと直ぐに理解できた、コンビ二の音と言っても静かで小説の中で感じたコンビ二とは随分と様子が違った、そして古倉さんに会うことも無くチョコレートを買って店を出た。振り返ると夕闇迫る中でガラスの城、コンビには現代砂漠のオアシスかと想像しながら家に帰った。
少し気になることが・・・疏水の桜が今年は元気なく感じ、特に鹿関橋の近くの桜は病んでいる様に見え、今年の開花が心配だ。

















