連休明けの湖岸
2017/05/08
今日も黄砂の影響で湖岸から見る琵琶湖の眺めは遠景はモヤットしているが視程は然程悪くない、列島改造論の景気で産業が盛んだった頃は八尾空港からテイクオフする時はスペシャルVFRで視界も悪く黄砂の比ではなかったと感じながら湖岸をサイクリングした。稚アユは今が最盛期で釣り人の殆どはアユを釣るのが目的だ。におの浜で湖面を見ると心なしか赤見をおびているが淡水赤潮ではないと思った、滋賀県は1977年に琵琶湖で赤潮が観測されてから石鹸運動が始めらたと記憶しているが、湖水に流れる家庭排水特に中性洗剤の窒素や燐が湖の富栄養化に影響しているとして中性洗剤から石鹸を使おうと県民ぐるみで運動が始まったのが其の頃と思っている、琵琶湖に流れ込む栄養塩類が少なくなり淡水赤潮の発生も近年発表されていないが、先日のニュースでは新種の大型のプランクトンの発生したりけっして安心した状態ではないと、そして僕は総合開発で琵琶湖の生態系が大きく変化したことも影響しているのでは考えた。琵琶湖文化館ではミシシッピーアカミミガメがオオバンと仲良く甲羅干しをしていた。琵琶湖は水中も湖岸も外来種が勢いを増して大きく生態系を変えようとしている事実を見ていると正直、人間がどうすることも出来なくなっているのではと思った。
黄砂が・・・
2017/05/07
黄砂は天気予報が伝えたように琵琶湖にもやってきた。湖岸から見ると琵琶湖大橋は黄砂の影響でモヤットした空気の中で辛うじて確認できた。五月になると僕は1978年に大発生した淡水赤潮を思い出してくる、昨夜も琵琶湖ではなく海に発生した赤潮の映像がテレビのニュースで流れているのを見て僕は不思議な感じになった、以前なら赤潮と言えば環境問題として海の汚染や漁業に及ぼす影響を取り上げた報道でどちらかと言えば負のイメージだったはずだが最近は海が綺麗になって海苔が不作で、下水道が完備されたり船や工場の排水が規制され、また山は広葉樹が少なくなり海への栄養分が補給されないのが影響しているのではと伝えているのを聞いて環境問題も時が流れれば変化するのだと、琵琶湖でも新型の植物プランクトンが増えたと耳にした、貧栄養湖では魚が住みにくいが富栄養湖では魚は増えるが汚染が心配だ、そう簡単に自然を人間の有利にコントロールする事など不可能な事だと僕は思った。
今日は写真にも変化をと思い立ち午後、近くの皇子山陸上競技場近くまで出かけると茂みのハルジオンの花にアオスジアゲハが蜜を求めて舞っていたいる様子をデジカメで撮った、何時もコンパクトデジカメではといらいらしながら蝶を追った。
雨の降る前の・・・
2017/05/06
雨の降る前の琵琶湖の眺めは格別と湖岸サイクリングに出かけた。今日は釣り客も少なく静かな佇まいだ。打出浜の湖岸から鈍色の琵琶湖を見ていると思考回路が低気圧のせいか悲観的な方向に動いた。先日、の憲法集会でも日本の防衛について講師が語っていた事や昨日のテレビ報道ステーションでも北朝鮮のミサイル攻撃があれば狙われるのは原発だと、そしてこの様な事態の折に何故、原発を再稼働するのかと問題視していた。憲法集会では講師がミサイルのスピードは秒速2千メートル以上のマッハ10を越えると話されていた、僕の知っている戦争では空襲警報のサイレンが鳴りB29が上空に見えるころ防空壕に向かった、思い出はあるが、ミサイルではそんな余裕は無い北朝鮮からミサイルが発射されれば5分後には日本に到達すると言われている、防ぎようが無いのが現実ではないのかと思った。先日もJアラートが作動して東京では地下鉄を止めた事実もあるがミサイル発射後10分ではJアラートやサイレンが鳴っても遅いのでは、其の頃は火の海と化した中でJアラートで知らせてもらっても意味が無いと、そして避難訓練を呼びかける政府は今の戦争を理解しているのだろうか、避難シェルターないのが現状ではどうすることも出来ない、もし理解しているとしたら最初に原発を止めて使用済み核燃料を安全な場所に保管するべきといっても現実にはそんな場所はない、国内にある50以上もある原発は動かない核兵器と考える現状では武力等に頼らず話し合い外交でしか平和は守れないのではと考えながら鈍色の琵琶湖を見た。
こどもの日
2017/05/05
5月5日こどもの日は晴れる事が多い、今日も好天で湖岸は釣り客で賑わっていた。バス釣りよりも稚アユ釣りを楽しむ人の方が多いと感じながら自転車のペダルを漕いだ。大津は観光地と言っても大型の遊覧施設がなく、湖岸に立てば地球の大きさを感じられる空間が眼前に広がりのんびりと地球46億年の歴史を考えるのも良いのかと思った。恐竜が滅んだのは6千万年前、昨日、京都で見たショーヴェ洞窟の絵画、3万6千年前と考えると人類の歴史などたかが知れた新参者と自覚して暮らすのが相応しいと思った湖岸サイクリングでした。
午後は氏神さんの祭礼で御神輿が大門通りを降りてきた、僕は写真を撮った、ただそれだけの事・・・・
3万6千年の時を経て
2017/05/04
清清しい新緑の三井寺の散歩を終えて、一息つく間もなく湖岸サイクリングに出かけた。遠くへ行かずとも素晴らしい自然と文化財がある環境に改めて感謝した。午後は家に居るのも退屈と友人のFさんより頂いた招待券で京都写真祭を見に行く事にした。混雑を避けて地下烏丸駅から近い室町、誉田屋源兵衛で開かれている、メイプルソープ展、そしてイザベル・ムニヨス展を見た。メイプルソープの写真は何度も見ているので軽く流して、黒蔵のムニヨスの作品を見ていると係員から写真を撮っても良いですよと言われ類人猿の写真のコーナーを数枚撮った。黒蔵の内部の重厚さの中でも見劣りする事のない作品を見ることが出来た。それから文化博物館へラファエル・ダラボルタのショーヴェ洞窟の写真展を見た、大きな半円形のスクリーンに映し出される4K映像に固唾を呑んだ、3万6千年前に描かれた絵画と洞窟の全容を見せられると現代に生きることの空しさが込上げてきた、壮大な時間の流れに圧倒され自分の存在を失った。描いた人類はネアンデルタール人かクロマニヨン人かと・・・そんな想像などどうでも良い事と思いながら会場を出た。そして原発から出る放射能のゴミは十万年間、人類が安全を保って管理する事など不可能と思った。3万6千年前の人が描いた絵画からどれ程人類は進歩したのだろうかと考えた、そしてモノの溢れる現実社会から引き算をしてみると然程、重要なモノ等は無いのかと思った。

















