中島省三の湖畔通信

湖岸には藻が

2016/09/22

台風一過で青空を期待したが秋雨前線の停滞でお天気はイマイチ、雨具をきて湖岸サイクリングに出発した。浜大津港に藻が滞留,昨日は見かけなかったのにと少し考えた。雨で沈んでいた藻が浮いてきたのか、風で吹き寄せられての結果と判断した。におの浜の湖岸では滞留した藻の上で白鷺が縄張り争いをしているのを見かけて写真を撮った。雨で異臭も消えてゆっくりと琵琶湖の湖岸風景を楽しみながら自転車で走った。

四角い写真は近くの小学校で見かけた運動会の練習風景をそしてブランコに郷愁を感じました。

皇子山陸上競技場の近くでは、萩の花が咲いていました、此れだけではと探すと近くに月?が・・・・標識も見立てれば月に・・・少し風流になったと思うのは自分だけと・・・・


雨の恵み

2016/09/21

台風16号は琵琶湖に雨をプレゼントしてくれたお陰で水位も少し回復した。今日の湖岸サイクリングではアオコが消え異臭も感じず、やっと日常の琵琶湖に帰ったと思った、でも根本的にアオコや水草の問題が解決したわけではないが一先ず安心と少しホッとしながら湖岸を走った。湖岸から見る琵琶湖も水が増えたせいで大きく見えた。湖面の藻群には仲良く?白鷺とアオサギが、そして三上山と絵になると慌ててデジカメを出し撮りながら近付くと白鷺は飛び立った、残念、一眼レフならと少し悔やんだ。琵琶湖は自然の力で少し元気を取り戻したが人間の消費経済活動が続く限り湖への負荷は増えるばかりで、何時まで自然の浄化作用が働くのかと心配しながら琵琶湖の未来を考えた。

美しかった琵琶湖

2016/09/20

美しかった琵琶湖と題名を過去形にしたには訳が・・・・今日は台風16号の影響で雨が強く湖岸サイクリングを諦めて、湖畔通信をとパソコンに向かい、画面に僕が撮影した琵琶湖の全景を写した。あれは1979年11月2日の事、友人H氏とセスナ機に乗り八尾空港を離陸して、琵琶湖上空へと飛行した。ぐんぐんと高度を上げ、セスナは高度12000フィト(3600メートル)になった、山科上空から琵琶湖の全景が見えた。雲一つ無い晴天で日本海まで確認できた。撮影のため窓を開けると眼下に遮るものがない琵琶湖が見えた,あまり美しいのでカメラのシャッターを押すのを忘れて見惚れてしまった事を想いだして来た。上空からは近江大橋から草津そして守山、野洲へと続く湖岸線は美しい葭原が自然の曲線を見せている光景を脳裏に焼き付けた。それから十年後、1989年5月30日僕はセスナ機をチャーターして琵琶湖を3000メートル上空より撮影した、もう其処には美しく輝いていた琵琶湖はなかった、南湖の湖岸は見事に破壊されて葦原は消え、湖周道路が走っていた、もう僕は琵琶湖の全景を写真に撮る事は無いと決めた。昨日、夜にメールを開けると妹からテレビで琵琶湖の水の異臭問題が放送されていたとそして、原因は北湖はオシラトリアと言う植物プランクトンで南湖はアオコと記してあり、オシラトリアが気になり、パソコンで滋賀県琵琶湖環境科学センターのページを開きPDFを読んだ。僕はアオコと言えばミクロキステイスとアナベナで構成されていると思っていたら最近はオシラトリア カワムラエと言う大型の植物プランクトンでのアオコが増えているとPDFにあった、僕も行政を毛嫌いせずに情報を見ないといけないと反省した。そして昨日の京都新聞には外来水草の記事が載っていた、例のオオバナミズキンバイの異常な繁殖が問題を起こしていることが・・・琵琶湖関係の記事を載せているだけ、前向きな新聞と・・・そして独自取材できる記者さんの出現を待ちたいと切に願った。

雨の情景

2016/09/19

台風と前線の影響で雨の日が続き湖岸サイクリングには行けず残念だ。湖畔通信の写真には最近苦労することは無い、デジカメをトイカメラ風のポジションにして撮り始めると見慣れた風景にも新鮮味を感じ写真を撮る事が楽しくなった。以前から僕は雨の日は苦にならなかった,写真を撮るのもデジカメになってからは傘をさしても片手で難なくカメラの操作が出来るのでシャッターを押す以外はカメラ任せでOKと随分と楽をしてデジタル文化の中で暮らしている自分が今の消費経済社会を批判できるのかと少し考えた。

三井寺の茶房ながら亭の池の睡蓮の葉にも雨の情緒を感じて暫しアオコの琵琶湖から気分が離れた。

湖岸ではフラダンスの発表会が・・・此方は晴れていた方が良かったのにと少し気の毒に思いながらシャッターを切った。


雨の小学校の運動場、ブランコそして水溜りが・・・写真を撮るには雨の日が一番と思った。

アオコの名所

2016/09/18

アオコの名所となった浜大津港一帯の湖面は緑色のペンキを流した様になっているが、以前なら琵琶湖で赤潮やアオコが発生すればマスコミやメディアは一斉に琵琶湖の水環境の悪化を訴えた紙面構成で近畿1300万人の飲み水の危機を読者に伝えた事が懐かしく思い出されてきた。1977年に琵琶湖で始めて淡水赤潮が発生した翌年に僕は空から琵琶湖の淡水赤潮を写真に撮り新聞に提供したこともあった。赤潮よりも湖に悪い影響を及ぼすアオコが常態化しているにも関わらず、あまり報道されなくなった原因はと考えた、現代は科学技術でたとえ琵琶湖の水が汚染されても綺麗な水道水を提供できると考えている人間の思い上がりではと思った。昨日も浜大津ではイベントが行われているがアオコの湖面を見て琵琶湖を心配する人は誰もいない、誰が見ても異常と思えるアオコの湖面の写真の写るパソコンの画面をみながら、此の国を覆っている無関心と言う空気が政治や原発、戦争そして沖縄の基地問題を討論せずに進める政治権力をますます増大させていると思うと怖くなった。そして僕に出来ることは身近な琵琶湖に関心を持ち続けることと又アオコの写真を見た。

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