弱者の住みにくい社会
2016/07/29
先日の障害者の施設での事件は弱者の立場を改めて考える機会となった、僕が19歳の頃に会った糸賀一雄さんの事を思いだしてきた,障害者でも出来る仕事を探されて小さな町工場を訪ねられた時の事と記憶していて今も白髪の優しい顔が脳裏に浮かんだ、その後、近江学園を取材した記録映画、この子らを世の光に、を見たことも想いだして来た。政治は経済の発展ばかりを強調していてますます弱者は忘れ去られるばかりと不安が募るばかりだ。昨夜、テレビから糸賀一雄さんの、この子らを世の光に、が紹介されているのを見た。弱者を社会全体が受け止める暮らしが必要と思った。
湖岸サイクリングで見る琵琶湖は久ぶりに夏空の下で輝いていた。湖岸は草の除去作業が終わり、殺風景な光景が展開していた。
浜大津港の一本木コロッセオ公園の百日紅が満開の時を迎えていた。何時も何故と思うことが桜のお花見はあるのに百日紅の花を愛でて酒宴を開かないのかと考えた。僕は百日紅の樹に自転車を止めて写真を撮っていると急に此花の下でビールが飲みたくなった。
家の前の白いハイビスカスの花が暑さを少し和らげてくれた。白い花が涼しさを何処から運んでくれたのかと考えた。
湖上から見る比良と三上山
2016/07/28
蒸し暑さを感じながら湖岸サイクリングへ出かけた。湿気を帯びた空気のせいでモヤットした琵琶湖の風景を見ながら湖岸を走った。打出浜から見る三上山も少し霞んで見えた。三上山は大津から見ると富士山をイメージできる山頂部は正しく近江富士と呼んでも差し支えないと思った。
先日、沖島への湖上クルージングで見た三上山は少し感じ方が違った、烏丸半島の沖合いから眺めは、まだ近江富士と思える姿を留めていた。烏丸半島の風力発電の風車は止まったままだ。琵琶湖大橋を越えると野洲川から北の湖岸は松林も多く昔の風情を見せていて、後方に見える三上山は円錐形の美しい山容は信仰の山と想像できた。僕は三上山へは登山した事がないが上空から飛行機や熱気球で見た事を思いだしてきた。空から見る風景は見慣れていて琵琶湖の形は何時でも頭に描けるが、湖上から見る風景には新鮮さを感じ楽しめた。琵琶湖は琵琶湖大橋から北と南に分けて北湖、南湖と呼ばれている、南湖の11倍もある北湖から見る景色は昔から太湖と呼ばれていた、眺めは広大な海の様に感じた。琵琶湖大橋を過ぎると西側には比良山系が衝立の様に聳える・・・と言っても千メートルそこそこの山並みで少し迫力には欠けるが、山系上部が雲に隠れていると想像で2千メートルクラスの山に見えた。僕が登山を始めた1959年には登山リフトやロープウエー等は無く歩いて登るしかなかった。湖上から比良を眺めていると僕の青春時代の思い出が蘇ってきた。江若鉄道の比良駅か歩き金糞峠から八雲が原を越え武奈ケ岳へ登山した事がつい最近の様に感じ過ぎた時間の早さに驚いているが機会あらば比良にチャレンジしたいと思った。
昆虫と花
2016/07/27
僕の一日は三井寺への散歩から始まる、今日もセミ時雨の石段を登り観音堂、そして展望台へと、モヤットした琵琶湖の展望を眺めた。観音堂の前を通ると住職と尼僧が本堂の下で何か見ている様で、近付くとセミが幼虫から成虫に変化して飛行準備をしているところだった。デジカメで抜け殻とセミを撮影させてもらった。最近読んでいる本、昆虫の哲学、を、昆虫の事を殆ど知らない僕には難しいが読んでいると多くの学者が昆虫を研究してきた歴史に驚いた。知人の自然写真家のIさんの昆虫写真の凄さを思い出しながら自然界での昆虫のワンダーランドの素晴らしさを少し感じて見たいと思った。
家に帰ると玄関先の花、荒木さんから届けていただいた白い花,三友花が上品な姿で咲いていた。三友花をパソコンで調べると、原産地はインド、そして名前の由来は中国、唐の詩人、白居易の北窓三友、からと三友は琴、誌、酒と記してあった。優雅な八重の白い花を見ていると心が和んできた。
湖岸サイクリングから帰ってくると荒木さんが又、新しい花をバイクに積んで来られた、其の花の名前を聞くとバンマツリと言われた、去年に見た事を思いだした、香りが強く花よりも匂いで覚えていた。久ぶりに荒木さんと会話が出来、そして判らない花を質問すると即座に答えが返ってきた
流石は荒木さんと思った。
午後、玄関を開けるとバンマツリの花の匂いに誘われて黒いアゲハ蝶が訪れていた。急いでデジカメを持ち出し写真に撮ったが、蝶は短時間で去って行った。俄か昆虫写真家には難しいと思った、昆虫も植物も人間を遥かに越える時間を過ごし何億年もの歴史を持っている、人間がたかだか数百年研究したから判るほど単純な事ではないと思った。
映画の余韻・・・そして琵琶湖
2016/07/26
昨日の午後、京都シネマへ映画、山河ノスタルジアを見に出かけた。作品はジャ・ジャンクーで好きな監督の一人で以前に見た長江哀歌、罪の手ざわり、そして今回の山河ノスタルジアへと続く三部作の最終章だ。物語はタオ(女性)が暮らす山西省フェンヤンが舞台で彼女の三角関係を描きながら1999年当時の中国をビスタサイズで表現、そして2014年はワイド画面、2025年はよりワイドな画面で近未来を表現していて、ゆっくりと流れる時間の中で人生は旅と感じた、映画を見終え、バーK6に向かいバーテンダーSさんの作るカンパリソーダーを飲みながら映画の余韻を楽しんだ。
先日の琵琶湖クルーズで見た湖上からの写真を見て風景の現実を考えた。
浜大津港を出航して直ぐに見る近未来的な西大津の高層マンション群が後方の比叡山を圧倒していて今更、風景条例など遅いわと呟いた。そして坂本を過ぎると住宅群が見えた、此の風景なら琵琶湖を取り巻く自然環境がまだ楽しめると思った。堅田の浮御堂の近辺には高い建物も無く風情を感じる湖上からの眺めには琵琶湖の原風景が残っていると思った。大津から堅田までの湖岸を湖上観察をして見ると未来から過去へタイムマシーンに乗って時間旅をしている様に感じた湖上クルーズだったとパソコンに写る写真をまた見た。
沖島逍遥
2016/07/25
沖島に最初に訪れたのは僕の記録映画の撮影のために友人の清水さんと1979年が最初だと記憶していて、琵琶湖総合開発工事が始まり間もないころで港は工事中だった。島には大きな漁港などはなく島の南側の岸辺と言うより家の前に漁船を留めていた。其の頃は漁船もFRP製ではなく木造船が殆どだった。島の鄙びた風景は昭和そのもので時間が止っているように思えた。昨日も久しぶりの上陸?と言っても3年ぶりだが新しく完成した桟橋がドーンと鎮座ましていた。鮒ずしつくり、の休憩時間に島の中を歩いた、狭い路地は島特有のもので小さい島の生活の知恵を感じた。夏日が気だるさを運んできて島中が昼寝をしているように静かで、猫が多く住む島と言われているが猫の姿も見かける事はなかった。家の前には此の島でベンツと呼ばれている三輪自転車が軒先に置かれいるのが唯一生活臭が感じられた。漁港を見ると全ての漁船はFRP製のものばかりになり木製の漁船は僕の記憶の中にしか存在しないことを寂しく思った、でも島には観光開発の影響は少なく昭和の良き時代を仄かに残していて僕はほっとした。

















