煙雨と蓮
2016/06/13
三井寺の展望台からの眺めは今日は煙雨が梅雨の風情を演出してくれた。昨夜のEテレ、日曜美術館で広重の浮世絵の東海道五十三次を見た、中でも雨に纏わる何枚かの絵を紹介していた、広重の雨の描き方の上手さに驚いた。雨の三井寺への散歩も格別と、楽しく歩いた。金堂前の池の蓮の葉に留まる雨水の美しさに固唾をのんだ、銀色に輝き鈍色の空を写している光景をデジカメで撮っていた時、一瞬の出来事が,蓮の葉の雨水が零れ落ちた。また一つ自然から教えられたと余分なモノは持たぬことと、雨水を落とした蓮の葉の緑色の美しさに感心しながら又シャッターを押した。
我が家のアジサイ
2016/06/12
今年は我が家のアジサイの花は当たり年と、以前に載せたヤマアジサイ、ガクアジサイらが美しさを競って咲いているように見えた。僕はガクアジサイが一番と、そして直ぐに順位を決めたがる人間社会を直ぐに反省して其々のアジサイの写真を撮った。
パソコンのモニターに映るアジサイの花を見ながら改めて順位を決める必要はないと、無用なランク付けの社会など糞食らえと思った。
マイクロプラスチック
2016/06/11
プラスチックの海洋汚染は深刻な問題と最近メディアがよく取り上げて放送している、昨日もMテレビでマイクロプラスチックの環境汚染の事を伝えていた、気になるのは琵琶湖の汚染、番組の中で京都大学の研究チームが琵琶湖のプラスチックの汚染を調べている様子が画面に流れて、やはりと思った、以前に僕が琵琶湖の記録映画を撮影していた頃、琵琶湖の東側の浜辺に打ち上げられているプラスチックのゴミの多さに驚いた事を思い出してきて興味深く番組を見た。プラスチックは紫外線劣化や波により細かく砕かれて湖中に漂ったり、湖底に沈んで、有害物質を吸着する、そして魚が食して、其の魚を人間が食べる、所謂、食物連鎖だ。現代生活は予想も出来ないほどのゴミとして化学物質は言うに及ばず放射能のゴミまでと地球に与える影響はこれからも続いて行く・・・地球全体がトイレの無いマンションとして何時まで文明生活を続けられるのが問題と思った。
昨日、見た琵琶湖はただ静かに梅雨の佇まいを見せていた。
宿題と給食
2016/06/10
今朝の散歩は五月晴れの中を三井寺へと・・・途中に通る長等小学校の運動場?グランドから生徒の声がと近付いて見ると広いグランドに小人数の児童たちが授業を受けていた。僕が通っていた長等小は疏水を隔てた南側にあり運動場も狭く、もちろん校舎は木造だった。青空の下の学校風景を眺めていると、子供時代の記憶が浮かんできた、宿題の嫌いな僕は何時も遊びに夢中になり宿題を一月間貯め、親に叱られたこと、そして給食の不味かった事などが次々と思い出す中で、先日見た映画、マイケル・ムーアーの侵略のススメの中でフランスの小学校の日常が映し出され、驚いた事は給食がレストランでの食事かと見間違えるほど豪華で、しかもシェフが作っていてチーズが何種類も冷蔵庫に保管されいた。給食費は国が負担と伝えていた。宿題も無く学童たちはのびのびとして学校で過ごす時間が楽しく見え、我が国と比べると余りの違いに愕然として画面に見入った、ことを思い出して・・・青空を見上げながら、日本では宿題の無いのはお化けの学校だけと、此の国の教育に対する愛情の無さにはと今更ぼやいても詮無いことと、そして小学生が少し気の毒に思えてきた。
散歩から帰るとツンベルギアの花が五月晴れの下、艶やかに咲いていた。
此花は青空が似合うとおもった、荒木さんからアフリカが原産地と聞いていたので・・・・日本の梅雨空よりも今日の様な晴れの花と・・・そして何枚もデジカメのシャッターを押した。
ロウアングル
2016/06/09
浜大津から近江大橋にかけての湖岸の緑地はクローバーの花が絨緞を敷き詰めた様に広がっている。毎年、目に入っていても気がつかずに通りすぎていたのかもと、今日は不思議と写欲をそそった、デジカメG12は便利に出来ている自由に動くモニターが、地面に置いても被写体を確認でき簡単にロウアングルの写真を撮る事が出来、重宝している、そして、このカメラを修理に出した事は正解と満足しながら撮影を続けた。
由美が浜から湖上を眺めると多くの漁船が目に入った、直ぐに漁では無く藻刈での出動と判った、数えると20艘ほどが作業をしている、遠くからでも船上に積み上げられた藻が見えた、江戸時代は琵琶湖の風物詩として農家らが田舟で藻を刈り取り田畑の肥料にして野菜を育てたと本には記してあったが今では邪魔者扱いされて焼却処分と、でも最近はバイオ企業が利用を思考錯誤していると聞く、南湖の水草や藻は無尽蔵といえるほど繁殖していて、何か新しい利用法が見つかれば琵琶湖の環境にも良い事と思った。

















