中島省三の湖畔通信

諦める事も大切と

2016/06/01

朝の散歩は五月の爽やかさを感じた、今日から六月、梅雨入りは間もなくと思いながら境内を歩いた。
今日はロード自転車を改造修理に出そうと、友人のNさんに御願いして京都まで運んでもらった。僕の自転車は30年前に製造されたもので直せば生涯?と言っても後、何年乗れるかといった爺の事だが迷った挙句のこと
久しぶりの京の町は車も人も多く、賑わっていて大津とは格段の違いと思ったが、直ぐに京都は京都と・・・そして自転車を下ろして・・・さあ帰路にと・・・Nさんにランチに誘われご馳走になり、楽しい都の時を、そして持つべきは友と感謝した。

京都から帰り、自転車を出し湖岸サイクリングへと出かけた。空を見上げると久しぶりの雲の美術館が開館かと、呟き、カメラを出して深呼吸をしながら空の広さを体に感じながらその光景を写真に撮った、何時も小さな事に囚われ、煩悩でガンジガラメになっている心の狭さを、この大空に解き放てればと考えた。何かの本にもあった様に、諦める事も大切なことの一つと考えているが、そう簡単ではないとおもった。毎日、訪れる湖岸で感じる雄大な自然の中ではチッポケナ人間が出来ることなど、たかが知れたモノと知らしてくれる日がある、それは晴れて風が強く波が立ち大空に雲が躍動して地球上全ての生物にパワーを与えているのだと想像することが出来る時、気分が少し明るくなって行くのを感じる、それが今日だった。


飛行機雲にも問題が

2016/05/31

今日も湖岸サイクリングに・・・・湖岸を走りながら琵琶湖を眺め、デジカメを出すも被写体も見つからず、困って・・・空を見上げると飛行機雲が青空に数本が目に入った、自転車を止めて空を見上げて、飛行機雲の多さに少し戸惑いも感じながら写真に撮った。
由美が浜で折り返し大津方向に自転車を向け、全視野で空を捉えながらペダルを漕ぎ打出浜までの僅かな時間、その間も上空を飛ぶジェット機から出される排出ガスは飛行機雲となって白線を引いている、僕等の少年時代の飛行雲といえばB29が終戦近くの琵琶湖の上空を飛行雲を引きながら飛んでいるのを見た印象が強く、その後は、普通に飛行機雲かと見るくらいだった。今日、空を見上げて少し驚いた、先日、湖畔通信でケムトレイルの問題を少し載せたが、それとは別に現実的な航空機の排ガス規制が問題ではと考えながら帰宅して、直ぐにパソコンに向かいグウグルで見ると、EUでは2006年12月にEU域内で航空機の温室効果ガス排出規制が決められたが、アメリカ、ソ連(ロシア)中国、日本らの世界中の国の航空事業関係社らが反対したままで留まっているとあった。そして航空機事故よりも飛行機の排出ガスの影響で年間一万人は死んでいるとも記されていた、そして大気の対流圏上層部成層圏に直接堆積されていて環境問題としても真剣に考えねばならないと・・・そしてパソコンの画面上で全地球上を飛行する航空機の可視化した映像を見て驚き言葉を無くした。地球上で起こる問題の多さ、戦争、紛争、核、原発、排出ガス、食料.難民、貧困等の問題を経済一辺倒の資本主義では解決する事は不可能と考えるとお先は真っ暗闇・・・人類の英知がと期待するのみと祈った。

地球上で起きている環境問題はすべてトイレの無いマンションの例え通りと実感するだけの空しい一日となった。

近未来の湖岸

2016/05/30

朝の散歩を終え、西大津耳鼻科M医院へ、突発性難聴の経過は良好で聴音検査も順調に回復と診断され、治療の薬をもらって帰宅した。耳鳴りが少し気になる程度でほっとした。

午後は雨の上がった湖岸へ何時ものサイクリングへ向かった。湿度が適度にあり風も優しく感じ、自転車も快調に走れストレスの解放にはピッタリだ。今日の目的は膳所公園湖岸のオオバナミズキンバイが咲いている様子を写真に撮るためにと・・・着くと湖岸には黄色い花が湖畔を美しく占拠している様を眺めて、改めて植物の迫力と脅威を感じながらデジカメを出しシャッターを切った。もう特定外来植物として駆除するにも時すでに遅しといった感じだ、曇り空の下、鮮やかな黄色の花が湖畔に映える光景は近未来の琵琶湖の姿を想像できた。地球全体で考えると、人類はお構い無しに自由に何処へでも行けて、人間以外の生物だけが何故制約を受けるのかと単純な疑問を感じた。帰路、湖岸を走りながら前方に広がる西大津の無造作に進んだ都市開発で立ち並ぶマンション群も雲が立ち込める比叡を背景に近未来の風景を見せている、もう僕は行政がいまさら風景条例などといっても、意味の無い事と琵琶湖を眺めながら考えた。

三井寺の法要

2016/05/29

今日は三井寺の法要に出席した、天気予報では曇りか雨と言われていたが法要が始まる10時には青空が広がった。天台寺門宗設立の淵源となった国家から智証大師の業績が広く認められ、正式にその教法を認め伝法公験(証明書)を国家が発行した日、今から一千百五十年前,866年5月29日を記念して天台寺門宗,立宗一千百五十年慶讃法要が本日、営まれた。法要が始まると金堂(本堂)から荘厳な三井声明が辺りの空気に溶け込んで行くと此のお寺の歴史の長さを感じた。金堂の上空には声明に反応した雲が集まってきて舞っている様に見え不思議さを感じた。今日は写真を撮らずに静かに三井声明を青空の下で聴きながら何時もと違う三井寺の雰囲気を楽しんだ。五月も後、僅か・・・もう梅雨が其処まで来ている事を感じる少し水気を帯びた風が法要の終った三井寺の山から下りてきた。

樹上のモリアオガエル

2016/05/28

毎日をノンシャランと行こうと・・・今日の午後、三井寺の茶房ながら亭へ本を持ち出かけた。境内の本堂は明日の法要の準備が進んでいた。
赤い門を潜り茶房に、コーヒーを注文して、本を開き、読みかけるとカエルの鳴き声が左の耳から入ってきた、突発性難聴も回復したと嬉しさを感じた。コーヒーを持ってきてくれた、Nさんに、あの鳴き声はモリアオガエルと尋ねると、もう池の傍の樹には白い泡の様な卵がと・・・僕は本を閉じて庭へ出て池の周りでモリアオガエルを捜している時、縁側からNさんがカエルが樹の上に居るよと教えてくれた。新緑のモミジの樹の上に緑色のモリアオガエルが見えた時に、何故か鎌倉時代の明恵上人の木の上の座禅の絵を思い出した。カエルは座禅などと・・・少し発想の貧困さを反省した。暫らく夢中でカエルの写真を撮りまくった。家に帰りパソコンにアップして見ると随分とモリアオガエルの写真を撮った事に、自分に笑った。そして又、木の上の座禅を・・・今度は河鍋暁斎の絵は三井寺にも少しご縁のある松浦 武四朗(江戸から明治にかけて活躍した探険家、浮世絵師・・・)が木の上で座禅している絵を思い出し、今日はモリアオガエルのお陰で、有名な木の上の座禅の二種類の絵を思い出せたことが嬉しく思え、楽しい日になった。

モリアオガエルはブルーギルと比べると随分と幸せだと思いながら湖畔通信を書いた。

TOPページ前ページ次ページ

-Topics Board-Skin by Web Studio Ciel- 管理

× 閉じる