中島省三の湖畔通信

和田の浜

2016/03/02

膳所、由美が浜の河津桜も見ごろを迎え濃いピンク色の花を咲かせている。写真を撮るために場所を探して移動していると石碑が、何時も湖岸側から見て、普通に置いてある庭石と思っていたら、和田の浜と石に彫られているのに気がつき自分の認識不足に笑った。以前、膳所に詳しい人に聞いた事を想い出した。昭和の初期には港が在り白鳥丸と言う船が修学生等を乗せて湖上遊覧をしていた事などを話されていた、そして近くの膳所町内に和田神社が在り、大きなイチョウの巨木が聳えていて,その木は江戸時代の湖上交通で行き交う船の目印になっていたとか、今では想像できない程、湖岸から離れてしまい、周囲には高い建物も建ち昔の和田の浜を感じる場所は無い。琵琶湖を埋め立てて造られた人工の砂浜を由美が浜と銘銘したが、此の附近は昔から和田の浜と言われていたのなら新和田の浜の方が良かったのではと僕は思った。

写真の一番下、湖岸道路は琵琶湖を埋め立てて造られた、此の場所が和田の浜かと思いますが・・・・・

薄氷

2016/03/02

今朝は冷え込み三井寺への散歩では観音堂前の水ために薄氷が陽を浴びて輝いていた。我が人類の住む地球の自然浄化能力も限界に近づいている。薄氷を見ていると地球を覆っているバリアーの様に見えた、自然を大切に環境を守ろうと掛け声は聞こえるが、自然破壊は進むばかりで持続性のある社会を造る事はできるのかと心配になった。

昨日の湖岸サイクリングでは雪に見舞われて久しぶりのプチ吹雪を味わった。浜大津まで来るとお天気は急に回復して比叡山が雪化粧をして何時もより美人?に見え思わずデジカメを出してその姿を撮った。

鹿関橋より見る疏水もまだ水は流れておらず春はまだと、そして今年も疏水観光の通船が企画されていると聞いたが営業的には難しく春の運行は旅行会社の企画で観光ツアーに取り込まれ、通船だけの個別利用は出来ないと聞いた。この疏水通船もメディアやマスコミが書きたて騒いだだけのことと最初から僕は期待もしていなかったし興味も無かったと橋から冬景色を見ながら想いだして来た。

76歳の心象風景

2016/03/01

年金爺も昨日、2月29日で76歳になった、幼少の頃に祖母から本当の誕生日は4年に一回と言われた事を想いだして来た、子供の時から別に誕生日が毎年、無くて寂しいと思ったことは一度もない、出生届けが3月1日となっているので態々2月29日と書いたことは無い、今年がうるう年で76歳になったことも別に嬉しくもない、随分来たなと空しく感じるだけと・・・でも健康でいられる事には素直に感謝したいと思っている。

今日も湖岸サイクリングで雪の中を走り打出浜で自転車を降りた。
湖岸に立ち琵琶湖の北方を眺めて、希望も夢も持たずにこれから先を生きるには暗くて静かな風景が良いと自分に言い聞かせて、以前に写真に撮った同じような光景を写真に撮った。

文化館の東側の桟橋も今日は雪が積もり朽ち果てる様が妙に美しく感じた国が滅ぶ時などはこの様な美学を感じる事は無いと思いながらデジカメのシャッターを押した。

三上山方向は蜃気楼でも見るように地方都市が見えた,以前に読んだ本の中に海市という言葉があり気になりパソコンで調べると蜃気楼と同意語とあった、今日は海市の様な風景と言ってみたかった、ただそれだけ・・・

暗い日が好き

2016/02/29

今日は朝から雨模様で暗く感じるが、最近はこの様な日はものを考えたり本を読むには最適と思うようになった。
夕方、テレビのニュースが高浜原発4号炉が緊急自動停止したと伝えたていた関係者の対応を見ているとまるで危機意識がない、大事故は小さな事故が重なって起きることは航空機の事故を見ても分かる、原発の大事故が起きるのも時間の問題と覚悟しておくべきと思った。
又、続いてニュースで先日の高市発言の電波停止問題で今頃になってキャスター一同が記者会見で抗議していた、もっと早く抗議するべき重要な問題で外国では閣僚があのような発言をすれば政権は解散に追い込まれると聞いた事を想いだして来た。今頃ではポーズにしか見えないと僕は思ったマスコミやメディアはもっと生活者に信頼できる行動をとるべきと思ったが現実的にはもう既に信頼できる状態では無いと考えた。

三井寺の茶房ながら亭の池の水面に落ちる雨粒の波紋を見ていると地球上の彼方此方で起こっている紛争,戦争、テロ、空爆で炸裂する光景を想像して、シリア、イラク等で起こっている現実を考えて気分が重くなった。

空を見上げると空は今の日本の現状を表していると思った。

写真日和 3

2016/02/28

南郷に在る瀬田川洗堰まで自転車でストレスを感じる事無く来られた。
小学生の頃に自転車で来た事もあり、其の頃は僕等は南郷洗堰と、そしてレンガ造りで、いかにも明治を感じる堰だった。今の堰は1961年に新しく作られたものだ、開閉門は電動となり昔の面影は無い。
冬場の水門は水位の調整で三門の放水で迫力のない風景を写真に撮った。

帰路も車を気にせずに瀬田川畔の歩行者道を自転車で走った。
石山寺の対岸にはしゃれた喫茶店がありコーヒーブレークをした、最近に京都新聞にも此の店が載っていたが、僕はサイクリングの時は必ず立ち寄るお気に入りの場所だ。

瀬田唐橋も色鮮やかに塗り替えられて輝いているが、此処も眺めは台無しになった、以前は比叡山が見え浮世絵の東海道五十三次を想像できた五十年前の風景を想いだして来た。そして僕が20歳頃に撮影した8ミリフイルムには瀬田唐橋も木製の橋で河畔には大きな網が干されている情景は今も記憶にあるが、残念ながら今では映像で見る事しか出来ないと思いながら写真に撮った。

今日は少し長距離を走った充実感が少し気分を解してくれた。

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