中島省三の湖畔通信

ゲンゴロウ

2016/05/24

今朝の京都新聞、社会面にゲンゴロウ 湖国「絶滅」の記事が・・・直ぐに読んだ。小さな池までを琵琶湖総合開発で琵琶湖周辺を護岸工事をした
様にコンクリートで固めてしまった事も影響した、そして外来種が増えゲンゴロウが絶滅したとあり滋賀の自然環境も急速に変化していることを実感した。先日も琵琶湖大津館に行きイングリッシュガーデンから見る琵琶湖の風景は外国の湖と見間違うほどに変化している様子は、此れからますます琵琶湖の在来種は消えて行くのかと心配になってきた。

浜大津港では、はっけん号が廃船を免れてNPOが管轄して湖の環境調査を続けて行くとニュースで見て、この船にエールを送ると同時に調査結果は隠さずに良い事も悪い状態も正直に発表してほしいと願った。そして福井で原発事故が起きた時にも放射能関連の調査機器等も搭載して、もしかの時には信頼できる情報を県民に隠す事無く発表してほしいと思った。

今日の夜は、さいなら原発の世話人会へ、原発問題が今度の選挙では各党は議題に上げる様子もないとTさんと・・・・、この怒りは何処へと、選挙に行くのもばかばかしいと、もっと確りと現実を見つめて原発政策を変換して行く政党が出てこないのかとボヤキながら別れた。

時を楽しむ

2016/05/23

今朝も晴天、何時もの散歩で三井寺へ、境内は緑に覆われ今が一番に美しい時と思っている、足元に目をやると木漏れ日が涼しさを感じさせてくれた。三井寺への散歩も20年は続けている、何をしても長続きはせず、両親は言うに及ばず祖母、学校の先生等からは根気と努力が足りないと言われ続けて成長した事を振り返ると、現在も続けている琵琶湖の記録写真と三井寺への散歩と、最近、加わった湖畔通信を毎日、欠かさず書いている事は根気と努力が皆無だった僕には不思議な事に思えた。簡単に言えば楽しいから続けていると・・・・それに年金爺でお金はないが暇な時間とまだ辛うじて働く頭ぐらいが自由に使える環境にあるからと自覚している、今日も夕食後は本日の湖畔通信の写真を撮るために、二度目の湖岸サイクリング?へと出かけた。日も長くなり、夕焼けを写真にと考えるも少し時間がかかりそうだ、文化館の湖岸に腰を下ろして夕焼けを待った。今までならセッカチな僕は待てなかったと思いながら、暮れ行く琵琶湖を眺めていると、一刻、一刻と時の流れが目で確認でき久ぶりに時の流れを楽しんだ。デジカメは修理を終えたキャノンG12だ、こんな時にはカメラに付いている機能を試す余裕があり色んなモードを利用すると自分の好み通りに夕焼けの情景に出来た、直ぐにモニターで確認すると極彩色の夕景に仕上がっている、これは本物の夕景ではないが、僕のイメージに近いと納得した。すっかり日が落ち夜の帳の足音がする中を家路についた。

休日の湖岸

2016/05/22

休日の湖岸サイクリングは人の少ない朝の中にと・・・でも今日は10時を過ぎ、湖岸は多くの人で賑わっている、打出浜の緑地では地区のイベントでグランドゴルフの大会は何時もと少し様子が違った、高齢者に混じり小学生や園児らも競技を楽しんでいる、グランドゴルフと言えば高齢者のスポーツと・・・そしてゲートボールは何処へ消えてしまったのかと考えた。以前はゲートボールが主流で町内の高齢者の遊びと認識していたが
今ではグランドゴルフが主流で彼方此方で見られ元気な高齢者のストレスの解消法の一つかと・・・此の様なスポーツの集まりにも日本の村社会がいまも生きている、ウチとソトでのお付き合い、仲良く日本人だけで遊ぶ構図は他者を受け入れない風習が根強く残っていて、今も町内会や自冶会が選挙になると力を持ち古い体質のウチとソトで候補者を推薦して行く様は戦前と変わらないと聞いた事があり。僕も其の通りだと思った。

湖岸を自転車で走りながら平和な日常に感謝しながらも他者の暮らすシリア、イラク,中東、らで起こっている紛争やテロが日常の過酷な状況で生活する人々がいる事を何時も忘れず心に留め、一刻も早く紛争が無くなり解決できる様に祈るしかないと思いながら湖岸を後にした。

ウチとソト

2016/05/21

初夏を一気に通り越し盛夏が・・・と感じる中、湖岸サイクリングへ出かけた。少しヘイズで湖上の遠望は利かないが、琵琶湖から吹いてくる風は涼しく自転車も快適に走れた。浜大津港の近くで以前カメラ屋さんをしておられたNさんに出会い立ち話をした。急速に進んだカメラや電子機器らが話題に、そしてNさんからケムトレイルの話しが出てきて、少し驚いた。ケムトレイルが日常会話にでて来る事は誰もが大気中に起こっている異常事態を認識しているのだとしたら、原発から出る核廃棄物、そして事故後処理問題、地震国日本にある危険な原発の事なども含めてマスメディアが取り上げないのは何故と考えた。

午後は三井寺の茶房ながら亭へDAYS、JAPN誌を持って出かけた。
のんびりとコーヒーを飲みながら読む雑誌ではないと・・・でも静かで集中できるのは此の場所と・・・5月号は紛争と難民で読むうちに気分は暗く落ち込んでくるが、目を背けたくなる写真、記事を読んだ、中でも浅井 基文氏の難民の時代、世界はどこに向かうのか「他人事」ではいられない日本、の記事は重く僕の心に残った。他者と頻繁に交わる機会が乏しい日本人は、身内同士でかたまり、異質なものを排除する「ウチ」「ソト」意識を育んできたと記してあった。また新安保法制によって自衛隊が海外派兵されて戦争に参加する事が、また多くの難民を作り出す側になること等、が記されてあり今後の日本のあり方を真剣に考えて行く政治で在ってほしいと思った。

昨今は反知性主義とやらで・・・浜大津港で見たアオサギが哲学者の様に見え羨ましくも思えた。

ノンシャラン

2016/05/20

ノンシャラン、言葉として知ったのは随分と時間が経つ、滋賀会館シネマホールで上映されていた映画、月曜日に乾杯(フランス、イタリア合作、監督オタール。イオセリアーニ)のポスターに人生はノンシャランに行こうと書いてあったのを見たのが最初だ。映画は主人公ヴァンサンがノンシャランと暮らす日常を描いた映画で、僕は此の映画をみてイオセリアーニのファンになった。カメラワークの素晴らしさは計算されたストーリーボードにより完成していると評にあり、監督は数学者、音楽家でもあると記してあった。今日の湖岸サイクリングはノンシャランと行く人生にはふさわしいと・・・・因みにノンシャランとはフランス語で無頓着、のんきなさまと、そして投げやりとパソコン、グウグルにあった、ノンシャランは僕の人生には良いのだが、此の国の政治家がノンシャランでは困ったものだと美しい雲が広がる空を見ながらおもった、先日、喫茶店で読んだA新聞に立憲主義を知っていますか、に僕の無知さを反省しながら考えさせられた。今まで日本国憲法は我ら市民を守るためにあると・・・ところが紙面では政治家や国家公務員等をしばり権力の監視、監督をして暴走を防ぐために憲法があるのだとあったが今の安倍政権は憲法無視もはなはだしく、このままでは立憲主義が危ういと考え、もっと政治を監視して声を上げねばと思った。美しい空の下でノンシャランと暮らせる事が何時まで続いてくれることかと不安になった。

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