五月晴れ
2024/06/29
今年の梅雨は意外と五月晴れの日が多いと感じた。午前中は青空で雲が躍動していた。午後は積雲が多く出るも積乱雲に発達することもなく爽やかなお天気で湖岸ポタリングも楽しめた。におの浜ではハルジオンが最盛期を迎え白い可憐な花が湖岸を彩っていた。浜大津公園の木々たちは剪定されて何だか殺風景な風景になった。梅雨明けすれば木陰も必要ではと思った。
商店街近況
2024/06/28
嵐でない限り雨の日も三井寺へ散歩する、ビニール傘に当たる雨音は鈍く余り好きでないが、番傘の新しい傘での雨音は今も心地よい音として記憶にある、境内を流れる用水路も雨を集め音を立てながら流れていた。今日は気圧の加減で体調イマイチで家に籠もっていたが、午後遅く小雨になり商店街へ散歩した。今までシャッターが閉まっていた場所に小さなお店が出来ていた。商店街は寂れているが何軒かの新しく出来たお店もあり、おにぎり専門店では行列の出来る日もあるほどだ。電車通りの菱屋町の入り口には医院が間もなく完成すると商店街の入り口両側は歯科と内科・スポーツ整形の医院になりそうだ。超高齢化社会では商店街に医者も良いのではとおもいながら寂しい商店街を歩いた。
水無月
2024/06/27
水無月と言えば和菓子の水無月を思い出す。和菓子が好きな父は出かけると必ずお菓子を土産に帰ってきた。6月が終わりに近づくと大津の饅頭屋や和菓子屋の店頭には三角の外郎の上に小豆を乗せた水無月が並ぶ光景は今も映像として浮かぶ、商店街の近くには10軒を数える饅頭を売る和菓子屋が在った。今も名前を思い出すことが出来る、近くから、お時餅、親玉、きも玉、日の餅、少し離れて餅兵と光風堂、松月堂そして上菓子屋の鶴里堂、藤屋匠、亀屋大安と多くの店が繁盛していた時代が在った。今日は湖岸ポタリングの帰り道、江戸時代から続いている京町通りの餅兵に寄った。昔ながらの佇まいを残しているお店は旧東海道に相応しいと写真に撮った。店先のガラス戸には綺麗な字で水無月と書かれていた。流石、6月30日の水無月を食べる日が近いのか、何時もなら黒砂糖入水無月が並んでいたが今日は本来の白い三角の外郎の上に小豆を乗せた本来の水無月がウインドウに並んでいた。傍らを見ると熟れた字で夏越の祓えに水無月を進める張り紙が在った。そして奥の隅には江戸時代と明治の饅頭を運ぶ螺鈿仕様の箱が在った。水無月の三角は古来より氷を表すそうだ。水無月を四個買って帰路についた。和菓子屋は商店街で残り四軒となった。
剪定の事情
2024/06/26
今日も朝から素晴らしい雲の美術館が迫力ある作品を見せてくれた。之も梅雨前線が本土に掛かっているからと空を見上げた。五月晴れの空の下で美しい木陰を作っている一本木コロッセアム公園の木を写真に撮った。そして浜大津港の公園の合歓の木へ向かうと丁度剪定中で既に美しい花を付けた枝は切り落とされていた。まだ花火大会まで一月以上あると言うのに、もう少し待てなかったのかと無残に切り落とされた枝の山を見た。自然に優しい環境県は唯のキャッチフレーズかと選定された木々を見渡した。
浜大津港公園の木々
2024/06/25
梅雨入りで毎日お天気は良くないが雨の降らない時間を狙って湖岸ポタリングに出かけた。浜大津港の公園では合歓の木が花を咲かせていた。柔らかい優しい花が辺りを少し明るくさせていた。辺りを見渡すと木々の剪定作業が目に入った。木々は多くの葉を茂らせて夏の暑さの時に木陰を作って太陽光線を遮り涼しい場所を作ってくれるのに何故と・・直ぐに8月8日のびわ湖大花火大会の花火が良く見えるように木々の枝を無造作に切り落とす剪定作業だと分かった。公園の中には涼しい大きな木陰を作ってくれる木も剪定され真夏の公園で木陰を楽しむことが出来なくなるのは寂しいことだ。地球温暖化が叫ばれている中で花火大会の花火を見るためだけに木々を剪定するのは良いことなのかと考えた。そして間もなく合歓の木の剪定も始まると花も見られなくなるとデジカメで撮った。