近江富士と鶴翼山
2016/01/07
今日は久しぶりの冬型の気圧配置、西高東低となったが思っていたよりも寒くは無く、自転車で湖岸を走るも風も弱く楽に走れた。湖畔通信に載せる写真をと・・・目新しい物にも出会えないが今日はリュックに一眼レフを入れて来たので強引に風景を切り取り絵には出来るが文にするほどではと打出浜から近江富士を撮った。富士と名がつく山は日本国中には400程あると言われている、近江富士は標高は低く432メートルで丘に近い山と思えるが、とくに大津の湖岸から見る三上山は本当の富士山の様な形が美しく見え近江富士の名称に相応しい山と思っている。
もう一つ美しく見える山が近江八幡にある鶴翼山、此の山も毎朝、散歩する三井寺の展望台より見ると鶴が翼を広げている様に見え、なるほどと山の名前に感心する、その山は鶴翼山と呼ばれていて、大津の湖岸からも同じ様に見える。僕は今日パソコンを開き鶴翼山を調べ、そしてその山は八幡山とも呼ばれている事を知った。八幡山へは何回も行っていて秀吉の甥秀次の八幡山城が在った事も知っていたがまさか鶴翼山が八幡山と同じ山と知り驚いた、知っているようで知らないのが郷土の歴史と思い知らされ少し恥ずかしくなった。でも近江八幡市近辺では鶴が翼を広げた様には見えないから、もしかしたら大津方面だけが鶴翼山と呼んでいるのかと考えた。
湖岸から見る草津市も帰帆島に架かる橋を手前に入れて写真に撮ると都会の風景に見える、パソコンで草津市を・・・・人口密度は大津市を遥かに抜いて県下一となっている事も本日に判った次第、身近なところでも知らないことの多さを実感した今日の湖岸サイクリングだった。
武器よさらば
2016/01/06
今日も穏やかなお天気となった。三井寺の散歩を終えて、何時もの湖岸サイクリングへ出かけた。長閑な琵琶湖の風景を眺めていると平和な此の国が何時まで続くのかと考えてしまう、由美が浜で凧揚げをして遊ぶ園児たちが大人に成る頃も平穏な時が流れている事を祈りながら湖岸を走った。
先日、食事中に舌に血豆が出来、その後口内炎になり気になっていたので、皮膚科の医院へ出かけ診察を受け、ただの口内炎との診断を受け安心して家に帰るとテレビから北朝鮮の水爆実験のニュースが流れていた。安部総理が脅威と、そして制裁を云々と語っていたが、脅威論を利用して軍備の増強に走る方が心配になってきた。僕は脅威など感じる事はないとおもった。それよりも核保有国のアメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリスの各国が核兵器を全部廃棄してしまえば済むことと何時も思っている。アメリカの保有する核爆弾だけで地球上の人類や動物を全て絶滅させることが出来ると聞いている、その量も一回だけでは無く何回も絶滅できる事が判っている、北朝鮮を幾ら説得しようとしても自分達の国が核爆弾を大量に保持していては理屈は通らないと僕は思うが、これを機会に核爆弾保有国が一斉に廃棄すれば少なくとも地球上の国々は平和に向かうのではと思った。
武器よさらば・・・核兵器よさらば・・・・原発ともさらば・・・・
ペシミストとオプチミスト
2016/01/05
今日は気圧の谷に入りお天気は暗く重く感じるが自転車を出し何時ものサイクリングに湖岸へ向かった。浜大津港から打出浜へ自転車を走らせながら見る湖上の風景は何処までも暗く気分を内向きにさせてくるが、僕はこの様な風景が好きでついつい自転車を止め何回も同じ様な写真を撮ってしまう癖が在る、今日も打出浜の湖岸で見通しの悪い琵琶湖の光景を写真に撮った。杉本博(美術家、写真家)が好んで撮る写真の様に感じるからと思った。
湖岸に佇んで水気を含んだ重い空気の中にいると悲観的な発想がでてくるが僕はきらいではない、昨日もパソコンでタルコフスキーを調べているとペシミストと言う言葉がでてきてタルコフスキーは悲観主義ではと記してあった、でも楽観主義では重く心を打つ作品は作れないと僕は思った。
僕の好きな映画は概ね悲観主義的な監督が好きで最近はタル・ベーラ(ハンガリー)の作品ニーチェの馬、も暗くて重く心に残る映画だった。ギリシャの今は亡きアンゲロプロスの映画も同じように心に残る、長い人生では楽観主義の時も悲観主義の時もあるのが普通と考えているが今、此の国で暮していると悲観主義になってしまう、このままでは何時、楽観主義(オプチミスト)になれる日が来るのかと考えた。
由美が浜から折り返しての帰り道、びわこホールの湖岸側の植え込みの小さな木々が美しく紅葉しているのが目に入り自転車を止め写真に撮った。暫らく、その紅葉を見ていると気分が少し明るくなってきたがオプチミストにはなれないと思いながら自転車に乗った。
(続編)霧の琵琶湖
2016/01/04
霧の琵琶湖を撮影するため急いで自転車に乗り湖岸へ向かった。
浜大津まで来ると想像していた通りに幻想的な風景が広がっていた。
湖岸から見る景色は何時もと趣が違い感ずる物があり、取り合えずデジカメで撮影した後ゆっくりと湖岸に佇んで霧の琵琶湖の風景を眺めていると僕の好きなロシアの映像作家アンドレイ・タルコフスキーのノスタルジア(1983)とストーカ−(1979)を思い出してきた、どちらの映画も霧が立ち込める美しいシーンがスクリーンに映し出されて固唾を呑んで見入った事を思い出してきた。とくにストーカーは印象に残った、残念ながらストーカーと言う言葉が犯罪をイメージするからです、メデイアが多用し過と・・・本当はもっと深い意味もった言葉として取りあつかって欲しかった。映画は或るストーカーがある国で軍が特別に管理している区域、ゾーンに無断で入って、どの様な事態が起こっているのかを探求するお話の映画、トロッコに乗った三人が霧の立ち込める立ち入り禁止区域に入って行くが何も起こらない不思議さの中で映画は終るが、僕はこの映画の凄さは感じるより他は無いと今も思っている。物事は見るよりも感じる事の大切さは此の歳になってやっと判りかけたかと思う今日この頃です、そして僕は考える日本は立ち入り禁止の危険なゾーンとなっているのではと思った、数多くある原発の事故や戦争への不安が健在する此の国の政治は濃い霧の中に入り込み国民には見えなくなって来る事を心配しながら湖岸を走り何時もの折り返しの由美が浜へと・・・湖上を見ると霧が晴れて何時もの琵琶湖が見え少し心が安らいだ。
霧の琵琶湖(前編)
2016/01/04
今日は霧の立ち込める朝となった。三井寺への散歩も少し遅らせて出かけた、疏水の鹿関橋より見る風景も霧のお陰で神秘的な装いを見せている。
今は疏水の水が止められているので写真に撮ることも無かったが今日は暫らく佇んで霧の眺めを楽しんだ。三井寺の展望台から見る琵琶湖は霧の中で見えない、散歩を遅らせたのは雲海の中に大津の町が見えればと思ったから、でも想像していた風景にはいま少しと感じながらデジカメのシャッターを押した。観音堂は標高も低く雲海には無理と判ってはいても僕の想像する絵に近づけばと少し期待しながら数分待つと西大津の高層マンションの上部が霧の上に突き出て雲海の様な光景になり、数枚シャッターを切り写真にした。霧の摩周湖は全国的だが霧の琵琶湖はと急いで三井寺の石段を降りて家に、そして自転車を出し湖岸に向かった。
後編に続く・・・
















