デジカメのライフサイクル
2015/12/29
重宝していたコンパクトデジカメのキャノンG12の調子が悪く時々フリーズして思うように撮影できなくなり」修理にと、問い合わせると高額修理と言われて躊躇して、そのまま使用している。軽くて何時も持ち歩いても気にならないデジカメで今日も湖岸サイクリングのお供にと肩に架けて出かけた。浜大津から打出浜へと走り、自転車を止めて湖岸から写真を撮った、そしてカメラのモニターで確認すると綺麗に写っていたがボタンを押しても次の画面には移動しない、またフリーズして動かない、カメラも電化製品となりライフサイクルが短くなり消耗品の様に捨てるのかとデジカメを見た。まだ4年しか使用していないのにと、このカメラを買うときに下取りにだしたカメラは高級カメラだったが4万円で、そしてお金を足して買ったデジカメがこんなにも早く使い物にならないなんて納得できないと思いながデジカメのスゥイッチを入れたが機能は回復しなかった。
明日からは又少し重いカメラで撮影しようと思いながら自転車に乗り湖岸を走った、ちなみに乗っている自転車は20年を越えても充分に使用に耐えて毎日の湖岸サイクリングに活躍してくれて感謝している、カメラの業界も真剣に耐用年数の長いカメラを作って欲しいと考えた。
軍都の名残りが
2015/12/28
先日行った時の話ですが、法明院を散策した後、何時もなら来た道を引き返すが、今回は素直に標識に従い境内の石段を降りて東海自然歩道に入ると石柱が足元に見え確かめると陸軍と刻んであり少し驚いた。大津は明治の初めに陸軍歩兵第九連隊の駐屯地になり太平洋戦争終結まで軍都としての役割を果たしていた事は大津市歴史博物館の展示らで知っているが、まさか法明院の庭園直下で見かけるとは思わなかった。こんな場所にも戦争の過去を保ち続けて、時節の到来を静かに待っている妖怪の様にも見えて怖くなった。安倍政権になってからの新安保体制で自衛隊が海外へ派兵される日も遠くないと言われている昨今、改めてこの様な軍都の残像を見ると近い将来に又、大津は軍都になるのではと陸軍の境界石柱を見て思った。
日本国憲法第九条の大切さは誰でもが充分に判っているのにも関わらずにこの国の指導者は誤った方向に国民を導いて行っているように感じて止まないこの頃です。原発も事故が起きればこの国の存続にも関わることと思っています。原発が安全と言うなら避難訓練などする必要も無いと僕は思いますが・・・やはり事故が起こることを前提に原発を再稼動するということです、事故が起こればこの国では誰も責任を取らないシステムが出来ていて、それに慣れてしまった結果が今の社会と諦めてしまうのか、それとも嫌だと叫び続けること・・・僕は諦めずに叫び続けて行かねばならないと思った。
メダカの学校
2015/12/27
今日は冬型の気圧配置で寒くなり風が冷たく感じる中を何時ものサイクリングに出かけた。浜大津港に着くとユリカモメが僕を整列して向かえている様に見え嬉しくなった。もうユリカモメの姿は見ることは無いと思っていた時に出会えて、写真も撮れ今日の湖畔通信の写真も出来たとユリカモメに有難うと言ってその場を後にした。風が強く感じ由美が浜からの帰りは向かい風でペダルを漕ぐのに力が入り、ファイトと自分に声をかけ自転車で湖岸を走り家に向かった。
家に帰りパソコンにカメラを繋ぎ写真を取り込んだ。そしてユリカモメの整列している画面を見ていると昨夜の友人のNさん等の忘年会に誘われ参加した席での楽しい会話が思い出されてきた。Nさんから紹介されて初めてお出会いしたYさんは琵琶湖の水中の生物や魚が出す音を録音する技術者、そして研究者で日本中の川や湖の水中の録音で有名な方と知った、お酒も入り色々な話が出てきた中で、メダカの学校は本当にありますと言われ、メダカが水中で一列に並び一匹づつが声を出し順番に後ろから前へと伝えて行く様を笑顔で楽しく話された、そしてミジンコやエビも声を出しているのだと教えてもらった,ことらが映像となりユリカモメが整列する画面とオーバーラップしてきた。
今日のユリカモメも浜大津港で学校を開き授業をしていたのだと・・・・
人間の思い上がりで言葉を使いコミュニケーションを図っているは自分達人類だけと勘違いしているのだと考えた、そして地球上の全ての動植物らは何らかの形で言葉として音や振動、そして匂いらを使い連絡をとり合い人間を懲らしめる相談をして美しい自然環境を取り戻そうとしているのではと思った。
法明院へ
2015/12/26
湖岸サイクリングで最近、知り合ったOさんと奥さんに出会った。
Oさん夫婦は最近、大津に越してこられ、大津は良いところと何時も言われて市内を彼方此方と散歩されている、今日は会話の中で僕が法明院の事を少し話したが最近は其方へ行っていないのが気になり今日は午後から行こうと思った。
そして午後,法明院へ向かった、何時も通る道は大津歴史博物館の山手の東海自然歩道を利用するのが僕の行き方、山道に入ると彼方此方には猪が餌のミミズを掘った後が見かけられた。ほんの数十メートル、歩くだけで深い山に分け入った様に感じるから不思議だ、利用する人が少ないのか荒れていて、此れがブームで作られた自然歩道の成れの果てと、所詮国が指導して行うものつくりは、こんな物かと思いながら進んだ。途中には倒木や路肩の崩れ、そして標識の不備らが目に付いた。数年この道を通っていない内に此れほど寂れるのかと驚いた。僕は行きなれているので標識通りに行かなくても法明院の場所は判る、薄暗い森の中を抜けると急に視界が広がり庭にでた、木々の葉は落ちて以前来た時よりも明るくかんじた。
庭から見る西大津の風景も高層マンション等が聳え立ち眺めも台無しになり、さぞ此処に眠るフェノロサも嘆いていることと思いながら写真を撮った。池の傍にある法華塔の台座の石彫の獅子に気づき何回もこの塔を見ているのにと如何に自分がものを見ていないのかと反省して塔を写真に収めた。境内の池の周辺のモミジの紅葉は素晴らしく、写真に撮った事もあるがすっかり散り池に沈んで静かに眠っている落ち葉の水面には椿の花が一輪、スリーD映画の画面の様に飛び出していた。誰もいない静かな境内を通り抜けてもと来た道を引き返し帰った。
地酒と鮒鮓
2015/12/25
打出浜の湖岸から三上山を中心に見る対岸の草津市はやがて大津市を抜き滋賀県第一の地方都市になるのではないかと思うくらいに発展した。
駅前のマンションやビル群が遠くから見ても都会の様に思えた。JR草津駅は大津駅を遥かに越える乗降客で賑わっていて、大津と比べると活気があると思いながら湖面を見た、水位も先日来の雨で回復したようで琵琶湖の渇水の心配も消えたと少し安心して、また自転車に乗り湖岸を走った。
午後は浜大津の小川酒店に日本酒を買いに出かけた。このお店は滋賀の地酒が揃っている事で有名で、お酒に詳しい二人の女性店員?日本酒ソムリエ?・・・Aさんはお姉さんHさんは妹さんが親切にお酒の特徴を解説してくれるので数多い地酒の中から美味しいお酒が選べることが出来る、今日は友人に先日、届けてもらった鮒鮓に合う地酒は何が良いのかと尋ね、店内の地酒を写真に撮らせてもらった。そしてアドバイスを受けて七本槍と不老泉を選び持ち帰った。
鮒鮓は友人のMさんが毎年、沖島で漬け込んだ物を毎年、届けてくれるので嬉しい限りだ。僕は26歳までは鮒鮓を食べることはなかったが、飛行機仲間のUさんが鮒鮓は乳酸発酵した食品で乳酸菌が一杯入っていてお腹には大変良いのだと言われて、大津の坂本屋の鮒鮓を食べたのが最初で、僕はチーズは好物で良く食べていた、鮒鮓も口に入れるとチーズと同じ匂いと味がした、そして美味しいと思った、それ以来、鮒鮓はお酒の肴には一番と思っている。しかし漬物は相変わらず口に入れることは出来ずに過ごしている。
冷凍庫に入れた鮒鮓を出して、地酒の熱燗でと考えているが、冬の寒い日に胃袋とお腹を暖めようと思ってまだ食さずにいる、早く冬らしい寒い日に熱燗で鮒鮓をと寒波の来るのを待っている。
















