中島省三の湖畔通信

命は経済活動より軽いのか

2015/12/24

湖岸へ何時ものサイクリングに出かけた。打出浜より眺める琵琶湖は比叡山から比良山へ続く山並みと湖上の雄大な景色は気分を落ち着かせるが今日は琵琶湖の北方の福井高浜原発の再稼動差し止め仮処分の取り消しを求める関西電力と差し止め仮処分の続行を求める訴訟団の判決が福井地裁で判決が下りる日で気分は落ち着かない、司法の決定が下りないのに福井県知事は早くも高浜原発の再稼動を認めた。昨日のテレビを見ていると視点の定まらない知事の様子を見ていると国の圧力があるのかと思った。

午後のテレビニュースで福井地裁が高浜原発3号基4号機の再稼動差し止めを取り下げの判決を下した。以前の判決では、命の重さは如何なる経済活動よりも重い、と言う内容で原発の再稼動を止めたが今回は経済活動が命より大切と、僕には感じる判決が下りた、裁判長が変わると判決が簡単に覆る現実を見てこの国の司法も信じられないと思った。これからは国家権力が強まり行く独裁国家へと進んで行くのかと不安を感じた。
今日もテレビでは原発の電気料金の安さを伝えるゲストが話していた、原発の事を少しでも勉強した人なら発電コストが一番高くつくのは原発であることぐらいは直ぐに判る、事故が起これば大変な事になるのは福島の原発事故で誰もが自覚したことなのにと、残念ながらこの国の政治家や経済人は目先の利益を追うばかりで国民の安全などはお構い無しと思った。
テレビのニュースを見終えるとただ空しい気分と怒りが混ざった空気が部屋を占領した。

雨の降る前に

2015/12/23

水気を含んだ空気が一面を覆っている様な天気は何となく気分が落ち着くので僕は好きだ。自転車を出し雨の降る前に湖岸サイクリングに出かけた。湖岸から見る景色はギリシャ映画アンゲロプロスの作品を見ている様な錯覚に囚われて行き、思考が心の中へと入って行く、どんよりとした琵琶湖の風景を眺めていると昨日、読んだ写真誌の内容で気になるページが浮かんできた。その誌面にはファストファッションが地球を壊す、と見出しで始まり、大量生産と大量消費で動く社会の内面を知らしていた、たとえばユニクロに代表される格安の衣類などは発展途上国で安い人件費で過酷な労働を強いて作られる製品の過程を知ると経済大国の中で暮している自分の考えや立場を見てみると恥じるべき事の多さに驚く、以前からユニクロ等の製品の製造過程でのアジアに置ける過酷な条件で作られている事は知っていたのでなるべくは買わないようにしていたが、最近、ヒートテックの下着を買ってしまった、以前ならパタゴニアやモンベルのブランドを選んだ、其の企業のバックヤードは誠実と聞いていたからです、幾ら安いからと言って経営理念の低い会社の製品を買うなんてと自分を非難した。この国も確りとした物つくりの出来る国へと変わって行かねば未来は無いと思った。
そうしてもう一つは食の問題で、豚肉についての話にも心が打たれた。
過酷な飼育状況の中で育てられる豚の記事を読んだ、同じ動物として少なくとも敬意を払わなければ豚さんに対しても失礼なことと思った。
劣悪な環境で人間に食されるためだけに育てられる動物たちの事を考えると心が痛んできた。日本では麻酔もせずに食用の動物を殺していると、そして世界では数少ない国と書いてあった。消費者がもっと声をあげて食用にされる動物の環境を改善する様に呼びかけなければ人間としての資質を動物達に疑われると考えた。
僕も今日から肉を食す事を減らして行こうと思った。

長閑な師走

2015/12/22

新聞やテレビから流れてくるニュースで今年はエルニーニョ現象で地球全体の海水温が高いと伝えていた。今日も暖かく感じる朝だった。三井寺への散歩を済ませて、湖岸サイクリングにと出かけた。琵琶湖の湖面にも波は無く長閑な風景が広がっている、こんなにも平穏な時を感じていて良いのだろうかと少し不安になった。自転車で湖岸を走っていても風が無く、楽に走れて、何時もより早く帰宅した。

午後は三井寺の茶房ながら亭へコーヒーブレイクに出かけた、何時も此処へ来る時は写真誌DAYS JAPANを持って行く、其の場所は静かで集中して本が読めるからと決めている。
一月号は人々の意思が戦争を止める日が必ず来る、と表紙に書いてあり、ページを開くと、ニューホライズンズが捉えた、冥王星の大地の写真が目に入った、記事の中に天文学者のカール・セーガンは「広漠とした宇宙の中では地球は漆黒の闇に包まれた泡だ」と言った。『宇宙では名もない存在で,他に助けてくれる人はいない、自分たち以外は」と争いごとの絶えない2015年の終わりと2016年の初めに、私たちは本当はたったひとつの同じ舞台に立つ共同体なんだ、と思い出させてくれた写真だ。と二ページに亘る冥王星の写真を載せている。文章と写真を見て次のページへと進んだ。
「テロ」と「反テロ戦争」の時代、の記事と写真を読んで行くと自分の頭の中に今、イラク、シリア、パレスチナ、で起こっている戦争の悲劇の写真や記事を真剣に考える事に集中できた。今、この国、日本は戦争とは無関係と思っている人が大多数だが、この国,は戦後からアメリカの後方で戦争に関係ある給油や戦争の物資で協力して来たことは明白の事実、其のことで多くの人の命が消えたことを改めて自覚して本を閉じた。
そして、静かな境内を歩きながら、こんなにも平和な時間が流れるこの国の実情は他を犠牲にして成り立っている仮の社会と思いながら帰路に着いた。

ヴィヴィアン・マイヤーを知っていますか

2015/12/21

ヴィヴィアン・マイヤーを捜して、はドキュメンタリー映画の題名で以前から見たいと思っていた。今日は雨で湖岸を自転車で走れないので京都シネマ、へ行った。ヴィヴィアン・マイヤーは女性の写真家でジョン・マルーフ(監督)が2007年シカゴのオークションで大量のフイルム(ネガ)を380ドルで落札して、ネガを見ると素晴らしい写真が目に付き一部をブログに載せると大反響となり話題となった。映画はジョン・マルーフが写真を撮ったヴィヴィアン・マイヤー(1926年ー2009年)の足跡を追って行くドキュメンタリー映画でテンポも良く飽きずに女性写真家の作品や女性が生きた背景をインタービュー形式で見せてゆく、ヴィヴィアンは生存していた頃は自分の作品を発表することは無く、乳母として収入を得ながら15万枚以上の作品を残した、彼女は写真家とは名乗っていない、自らはミステリアスウーマンといっていたそうですが映画の中では色々な人達が彼女の事を語っていますが、彼女はローライフレックス(ドイツ製の2願レフ)を使い町中で人物や風景を自在に切り取り撮影した作品はどれも素晴らしい、何故発表をしなかったのかが話題になっているが、僕は彼女は撮影する瞬間だけに喜びや楽しみを感じていたのではと思った。彼女は貧困の老後だったが、アメリカの資本主義経済の中で若しヴィヴィアンが注目をあびて有名になり富を得るよりも彼女にとって注目もされずに逝った事はヒト、モノ、カネ、の世界で翻弄されるより幸せではなかったのかと映画を見終え僕は思った。

今日の写真はヴィヴィアン・マイヤーに敬意をとローライフレックスと同じスクエアー(6X6)の二十数年前の航空写真を載せました。

シタールとウード

2015/12/20

今日の午後、堅田教会でのシタールとウードによる音巡礼と題した音楽の夕べに参加したというより所属する堅田九条の会とアムネスティ・インターナショナル大津坂本グループが共催するイベントで準備もあるので教会には早く出かけた。友人の清水さんの車のお陰で予定よりも早く着いた。堅田教会の正式名は日本基督教団堅田教会でヴォーリズ建築で瀟洒な教会で有名でも在る、そこでシタール奏者の伊藤 公朗さんとウード奏者常味 裕司さんの競演での音楽会で会場は満席となった。僕はシタールは知っていたがウードは始めて聞く名前の楽器だが説明で和楽器の琵琶の原型と知り形もそっくりと思いながら説明を聞いた。
演奏はシタールから始まった。静かなメロディーは自然界の風、水の流れや森の中にいる様な安らぎを感じた。
続いてウードはエスニック、いやオリエンタル文明の華やかさを感じ今にも彫りの深い顔立ちの美人が踊り出てくるのかと期待しながら聴いた。
第二部は伊藤さんのシタールと常味さんのウードのセッションも意気のあった演奏が楽しめた。奏者の常味さんが教会の礼拝堂の反響の素晴らしさを絶賛していた。今日は電気機器のアンプやマイクを使用せずに楽器のもつ生の音が木造の教会と競演している様に感じ、しばし世相の暗さを忘れさせてくれた。
最後に竹内牧師が今日は教会を出ると何時もと違う光景が見られますよと言われた・・・・・教会を出て見るとイルミネーションで飾られ青い清らかな光がクリスマスが近い事を知らせてくれた。

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