中島省三の湖畔通信

晴れた日は美術館へ

2015/12/04

美術館へは晴れた日に、といっても別に雨の日でも良いのだが、先日、京都の美術館へ行ったのが晴天の日であった、ただソレダケの事だ。
地下鉄を東山駅で下車して白川沿いの道を京都市美術館へ向かった。
知人のYさんが企画するGOOD ART 40th Anniversary Exhibition とこれまた知人のMさんが出展している二科展を見るため出かけたしだい、お天気が良いので写真を撮りながら美術館へとのんびりと歩いた。
最初に見たのはグッド アート展で毎回見に来ている、楽しみは友人のN
さんが何時も小さな作品を出しているからでもある、知人のYさんの作品は宇宙をテーマーにした超大きな展示物で映像も使っているが自然の竹等を使用して宇宙と地球の自然、を表現している、友人のNさんは自分の中の小宇宙を表現している、僕は大きな作品と小さな作品を対比して楽しみ感じた事は直ぐに僕の頭の中へ格納した。
二科展の会場入り口で知人の画家のMさんに出会い独立展の切符を頂いた後、会場に入り最初にMさんの作品神様は、お元気ですね を見た。Mさんは気さくで何時も笑顔で会話しているので気楽に観賞して、他の作品も気になる作品には時々立ち止まりながら観終えた。
独立展は僕は始めて見る、Mさんに切符を頂かなかったら多分パスしたことと・・・・会場に入ると百号を越える大作の油絵からのパワーを感じた絵の表現者からのメッセージが飛び出してくる様な空気感が一瞬漂い絵画の森に誘われた。独立展の作品は迫力があったが何しろ点数が多く見る方にもパワーが必要と思った。一日に絵画を三百点近く鑑賞するのは不可能なことと感じ一つ二つの作品を心に留めて会場を出た。
外は青空が広がっていて絵画鑑賞での疲れから僕を解放してくれた。

雨日の紅葉

2015/12/03

三井寺の展望台より見る今日の風景は幽玄な眺めになった。高層マンションや近代的な建物は立ち込めた雲で隠されて何時もの様な景色ではなく美しい雨情を感じる光景を楽しめることができた。石段を下りながらこの国の政治の動きは霧や雲に覆われて見えなくなるのはご勘弁と願った。
境内の木々たちもライトアップの期間が過ぎ夜はゆっくりと休めたせいか雨の中で其々に艶やかさを競っている様にも見え、暗い椎の森を背景に紅葉が浮かんで来る姿は昔の絵巻物の中の風景の様にも感じた。
三井寺の紅葉は場所によっては此れからが一番美しくなる季節と散歩しながら観光客の少なくなった境内の紅葉を独り占めした。

静かな湖面を見て

2015/12/02

今日も昨日に続き穏やかなお天気で、小春日和と思ったが、十一月に使う言葉と書いてあったのを思いだし頭の中で訂正した。毎日のサイクリングで湖岸を走る。波が無く静かな湖面には水鳥が休んでいる、長閑な風景を眺めている時に水上スキーを引くモーターボートのエンジン音に驚いた水鳥の大群が慌てて飛び立っ風景を見て何故かイムジン河(ザ・フォーク・クルセダーズ)の歌詞を思い出した。イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥自由に・・・のメロディーまでもが僕の耳に聞こえて来るように感じた。今も朝鮮半島では二つに分かれた国はそのままだ、平和な話し合いで一つの国になる日は何時、来るのだろうかと考えながら湖岸を走った。
午後は浜大津のアレックスシネマに映画を見に行った。最近は京都シネマに行かずとも良い映画が観られて嬉しいことです。映画はフランス映画、エール(エリック・ラルティゴ監督)はフランスの片田舎の酪農家の家族四人の物語で暖かな人とのふれあいをリズム感あふれる映像と音楽で綴ったホームドラマで楽しく見られた。家族は四人の中、長女ポーラだけが耳が聞こえて家族の社会へのコミューニューケーション役をになっていて、自分が自由に音楽の世界へと飛び立って行く事への悩みを中心に描いたミュージカル映画で久しぶりに気持ちが穏やかに、そして暗い世相の中で少し明るさを見つけた。
ポーラ役ノルアンヌ・エメラはフランスでは今、一番の人気の女優、歌手とパソコンで見た。歌声も素晴らしく、可愛い美人と来れば退屈するはずが無いと映画を見終えアーカスの四階の窓より静かに暮れ行く琵琶湖を眺めた。
皆様にもお勧めの映画かと・・・・

平穏な湖

2015/12/01

昨日と今日は高気圧が近畿地方を覆ってくれて冬には珍しく穏やかな日になった。自転車で走っていても写真の被写体にも困るが、カメラを首にぼんやりと湖面を見ているとユリカモメが三十羽ほどが湖面に浮いているのが確認でき少し嬉しくなった。長閑な琵琶湖を数枚デジカメで撮り帰路に着いた。
家に着いて,暫らくしてコーヒーブレイクをとコメダに出かけた。
店の新聞棚を見ると朝日新聞が目に付き、手に取りテーーブルへと、以前は家でも朝日をとっていたのだが京都新聞に変えて久しい、朝日は読みなれているからと記事を読んだ。
ユダヤ人の医者が自分の経験したナチス時代の事を語っていた。全体主義に陥りやすい人間の弱さを判り易く話していた。今、この国が全体主義に陥り易く感じ、もっと確りと日本の政治に危機意識を持たなければこの国は70年前に逆戻りするとおもった。
もう一つの記事は格差社会が起こしている戦争やテロについても外国の記者が語っていた。資本主義社会での公平な利益配分を考える事も大切な事と、そして何よりも相手の言い分を聞くことと記してあった。
両方の記事を読んで感じたことは特に日本は自国の正確な歴史を勉強し、そして他国の歴史も勉強して充分な認識をもって国際情勢を考えて行くべきと痛感した。
そんな事は政治家がと、年金爺がいくら考えてもと・・・でも諦めないとコーヒーを口に運んだ。
今日は久しぶり、コーヒーの味は苦く感じた。

人工島から帰帆島へ

2015/11/30

現在、草津市矢橋にある帰帆島は最初は人工島と呼んでいた。其の島の出来るまでには建設反対運動があり、メンバーの一人で滋賀大学の鈴木先生(故人、滋賀大学教授)が島の建設は琵琶湖に悪影響があり作るべきでないと、強く抗議されていた事を今も鮮明に思い出してくる。島を作れば湖水の流れが滞り汚染して水質が悪くなると、そして島を作るために湖底の泥を使用することにより水深が深くなり湖底の水が無酸素化されて魚類や貝類が死滅する事などを指摘されていたにも関わらず工事は進んでいった。現在を見てみれば鈴木先生が言われた様に島と湖岸の間の水路は赤潮やアオコの名所として有名?になった。琵琶湖で一番美しくない場所として存在感を示している。矢橋と言えば縄文湖底遺跡、そして室町時代の連歌師の宗長が呼んだ歌、もののふの矢橋の船は早やかれど急がば廻れ瀬田の長橋と歌われている、また浮世絵では広重が近江八景で矢橋帰帆を描いていて、琵琶湖の歴史的にも観光、文化面でも貴重な場所であり決して総合開発などで破壊する場所では無かったのだと今も考えるが、二度と元に戻る事はないと思うが,国や県が琵琶湖再生で又新しい工事が始まりお金と人と物が琵琶湖で蠢くだけと思った。

写真を説明、一番上から、工事の準備で鉄板で囲われ島の大きさが判る。
周辺は葭原が残り自然の湖岸が続いていた1978年頃の草津の矢橋。
 
二番目は1980年代で下水処理場として稼動した頃、まだ周辺も本格的な開発工事が始まっていないので葭原も残っている。

三番目は最近、2015年11月7日に撮影したもので、鈴木先生が言われていた様になってしまった現在の状況です。琵琶湖で一番有名?な汚染されている場所です。

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