坂本の町並み
2015/12/15
今日は坂本にある医院へと自転車で向かった、何時もお天気によって電車か自転車かを決めるが、天気予報を見ながら判断するが時々、自転車で行き雨に遭う時もあり今日も少し迷った、何故なら晴れのお天気で雨も降りそうも無いが予報では午後は雨とあったが午後二時前に帰れるので自転車に決めた。
坂本へはなるべく車が通らない道を選んで走るが、その道中は楽しい、神社によりケヤキの大木に触れたり、明智光秀のゆかりのお寺の前を、そして大きな石像の観音様の横を抜けると、直ぐに坂本の町並みに入る、旧大津市街と違い瓦屋根の民家が並び昔の街道をイメージでき、旅行で古い町を訪れた様にも感じ僕にとっては35日に一回訪れる小さな旅をしているようです。大津から自転車で40分の距離だが遠くへ来たように感じる。目的が医院行きでなければ尚いいんだがとペダルを漕いだ。
幸い医院での診断は異常無しで帰りは坂本名物の鶴喜そば、へより美味しいそばを食し、そして帰路も坂本の町並みを走り大津へ向かった。
追 坂本の町は中世の頃より栄えていて、今も延暦寺の門前町として形をのこしている。室町時代には繁栄していて琵琶湖周辺では一番の場所とパソコンにも記してあった。僕の住む大津の町は江戸時代に栄えた面影も少なくなってしまい寂しくなったと思った。
天赦日
2015/12/14
師走に入ってもお天気は春の様に穏やかだ。三井寺の境内を一回りしての帰り際に受付のNさんに挨拶をすると今日は天赦日ですよ、知っていますかと訪ねられた。僕は初めて聴く言葉で、怪訝そうな顔をしていると、説明をしてくれた。
天赦日、この日は百神が天に昇り、天が万物の罪を許す日で、何か願い事や新しいことを始めるには良い日で最上の吉日と教えてくれた。
あまり暦等には感心がなく大安とか仏滅らも気にしたことは無かったが、そんな日もあるのかと話しを聞いてから家に帰りパソコンを開き天赦日を調べた、一年に五回か六回あると12月14日は今年最後の天赦日と、そして一粒万倍日で何事を始めるのに良い日と在った、他は三井寺で聞いた事ばかりなのでパソコンを閉じ、お天気が良いうちに湖岸サイクリングへと急いで自転車を出した。
浜大津港まで来ると平日なので観光客も無く閑散としている、湖上を眺めると波が無く鏡の様に静かな湖面をミシガン号と学習船うみのこ、が音も無く走っている。
空を見上げていると、天赦日の事を思い出した、今日は本当に天には百神さんが居られるのではと思うぐらいの荘厳な空に見えた。僕には願い事などは無いが穏やかな琵琶湖の風景を見ていると、こんな平和が何時まで続くのかと、そしてこの国が戦争をしなかった70年間は本当に平和な時代だったのかと考えた。そしてこの国が豊かになったのはお隣の国であった戦争の特需で敗戦国から一気に経済大国へと駆け上がり豊かになったのは隣国を犠牲にして発展した事を忘れてしまったのか、今その稼いだお金で戦争まで出来る様にしている事は狂気の沙汰としか僕には思えません、今日は天赦日とか僕は不信人ですが若し天に百神さんが居られるなら争いの無い世界にと御願いしたいと静かな美しい空を見上げた。
太陽は誰の物
2015/12/13
今日も暖かく春の様なお天気の中を湖岸サイクリングに出かけた。
いざ写真の題材になるものと探すも見当たらず今日は諦めた。
湖畔通信はお休みにしてと三井寺の茶房ながら亭へ出かけてコーヒーを飲んでいると十一月に友人に同乗させてもらい琵琶湖を飛んだ時に見た情景を思いだしてきて、湖畔通信のネタが浮かんだと急いでコーヒーを飲み終え帰宅した。
家に帰りパソコンを開き以前に撮った数十年前の草津川の河口周辺の航空写真で辺りに広がるビニールハウス群の写真を画面に出し、飛行ルートを思い出してきた。名古屋から琵琶湖へと入ると僕は飛行機の窓から地表を食い入るように眺めていた、気になること、・・・それは太陽光パネルが琵琶湖周辺で増え続けて緑の農地や河川敷が自然エネルギーブームで太陽光発電のパネルで覆われているのではと考えていたからで、空から見てみると意外とソーラーパネルは少なく少し安心した、でも琵琶湖を一周した訳ではないので全体的に把握はできていませんが、草津川河口の上空から下方を見ると周辺にはソーラーパネルは見当たらずホッとした事を思い出しながらパソコンの画面を見た。
そして太陽光は人間の生活や経済活動の為だけに在るのではない、もし植物や動物、昆虫等と土の中の微生物に太陽光線の恩恵が受けられ無くなり自然の多様性が失われてしまい自然環境が破壊されて大変な事が起こるのではと考えます。太陽光発電も背後を見ればヒト、モノ、カネだけが活性する現代社会が見えてくるだけで僕には未来が見えてきません、人間の経済活動にブレーキーを踏むべき時が来た・・・・そしてソーラーパネルで地表を覆うのも規制をしないといけないのではと思いながら最近撮った草津川周辺のビニールハウス群が写っている写真を見て少しは安心した。
知らない事の多さ
2015/12/12
三井寺の紅葉も昨日の嵐で落葉して残念と足元を見ると美しい紅葉の絨緞が広がり晩秋の残像を感じさせてくれ楽しめた。
湖岸サイクリングで由美が浜まで来ると、砂浜では高校球児がトレーニングをしているが球児たちは此処が人口の砂浜で琵琶湖を埋め立てた事などは知る由もないと思いながらスナップ写真を撮り帰路に着いた。
午後は我が家の長男のグループ写真展(Hou are you,PHOTOGRAPHY?)を友人を誘い見に出かけた。そしてもう一つ目的があった、今朝見た京都新聞の美術欄で小川千甕、縦横無尽に生きる、の文字が目に入り見に行く事に決めていたので写真展を一通り見終え、京都文化博物館へ小川千甕の展覧会場へ向かった。入場券を買い、会場に入ると意外と空いていてゆっくりと観賞できると、嬉しい気分になった。
新聞には明治から昭和にかけて自在に絵筆を振るったユニークな画家小川千甕(1882年から1971年)の初の回顧展とあり、写真は1930年の作品,
炬火乱舞、が掲載されているのが目に付き、どうしても見たいと思った。
千甕の絵を見て行くうちに此れは凄い画家と、そして縦横無尽とその自由で楽しい作品を鑑賞した。デッサンからスケッチと油絵、南画とどれを見ても気取ったり媚びたりする絵は一枚も無かった。人としての優しさがどの作品からも伝わり久しぶりに展覧会で絵を楽しめたと、これほどの画家が今まで世間で評判にならなかったのかと不思議におもいながら、炬火乱舞の絵に見入った。
絵には群集の松明の炎の明かりで浮かび上がる鞍馬寺の門、そして暗い森の中の本堂が、火の怖さと言うよりこれほど優しくて迫力の炎の絵を見たのは初めてだ。
作品は最後まで肩の力を抜き鑑賞できた、そしてこんなにも素晴らしい画家が居た事を知らなかった自分が少し恥ずかしくなった。
映画で見た大自然の迫力
2015/12/11
今日の湖岸サイクリングは夕方になった。低気圧の通過で雨や風が強く湖岸を走るのはと遅らしたお陰で素晴らしい風景に出会えた。嵐の後の湖上の光景にはドラマを感じる、湖岸に佇んでいると昨日、京都シネマで見たロシア映画、裁かれるは善人のみ(アンドレイ・ズビャギンツェフ監督)の作品の冒頭シーンの迫力ある自然の描写を思い出してきた、ドラマはロシアの地方都市に住む家族、コーリヤと後妻リリアと先妻の子供ロマが暮している美しいというより厳しい自然が残る川辺から物語りは始まる、権力を持つ悪徳市長が其の力の限りを尽くして善人(市民)を押しつぶし家族までが崩壊そして市長の手によって家が壊され、その土地には新しく教会を建ててしまう、市長は権力は善と堂堂と悪事が行われて行く社会を監督は皮肉たっぷりな表現で宗教(ロシア正教)の権力志向(神の不在)と政治の独裁性等を映画の中で見せる、ラストシーンも荒涼とした風景の中で行われる自然の在り様の素晴らしさは何を語っているのかと映画を見終え考えた、大きな自然の時の流れの中では人の営みなどは意味しないのか・・・善も悪も同じ時の流れの中に消え行くのみと今日見る湖上の風景にも偉大な自然の前では何も出来ないと少し無常の意味を理解できたかと・・・・まだ無理でしょうと風が言ったように感じた。

















